誕生日(二)

「牡丹ちゃん、おめでとう!」

夕暮れの図書室で、夕焼けをバックに冷泉先輩は束になった原稿用紙を渡してくる。


「これは?」

「私が書いた小説。プレゼントにはならないかもしれないけど力作だから最初は牡丹ちゃんに読んで欲しくて」

「いいんですか?」

「うん!これは牡丹ちゃんがいたからかけた物語だからね!」


冷泉先輩は原稿を渡すとそそくさと、図書室から出ていってしまう。

頬が赤く染まっている理由を問えないまま、私は原稿に目を落とした。


___これは感謝の物語だ。


そんな一文から始まった小説を私は紙をめくる音だけを立てて読みふける。


主人公である少女は、たった一人きりであった。友だちはいる。だけど放課後はまるでその箱庭に閉じ込められたかのように一人きりで過ごしている。

そんな彼女はある日、とある少女と出会った。


その少女はどこかむすっとした表情で本を読んでいて、少女はその少女に惹かれてしまった。


少女と出逢い、日常は変わっていく。

放課後過ごす友だちができた。好きな人ができた。再度筆を取ることができた。

そして感謝を伝える小説を書き上げることができた。


読み終わると同時に、その熱烈なラブレターに顔が歪む。

恥ずかしさと嬉しさの入り混じった感情にどうしていいか分からず、今この読了と共に襲ってきた感情をぶつける相手がいないことにひどく寂しさを覚えた。


感想をアプリから冷泉先輩へと送ろうとして、止めた。

代わりに感想ではなく、一言。


『また明日、放課後に』

ただ一言だけ送って、携帯を閉じる。

また明日。感想はそこで言おう。最高の誕生日プレゼントだったと枕詞を添えて。


________________


夕焼けに照らされた帰り道、優と別れて家へ帰ると百合は既に帰っているようで、靴が靴箱に入っている。


「何してるんだ?」

部屋に荷物をおいてリビングへ向かうと百合がソファの上で正座をしていた。

「あう、姉さんおかえりなさい」

「ただいま」

「えっと姉さんにプレゼントを渡したくて待っていました」

「お、おう」

「と!隣に来てはいただけませんか?」

驚くほど動揺している百合が、座ってるソファの空いた隣を視線で差す。

私がそこに座ると百合は、隣から小さな箱を取り出した。


「要らないのなら捨ててもらって構いません……どうぞ」

パカ、と箱をあけて中のものが見える。

銀色に輝く小さな指輪、愛らしいデザインをした指輪をまるでプロポーズをするように差し出す百合に思わず笑ってしまった。


「着けてくれないのか?」

「へ?」

少し意地悪だったかもしれない。

惚けた顔の百合を見て、噴き出してしまうとからかわれたと顔を赤くして身を乗り出した百合にあたって、ソファへ深く沈み込んだ。


百合の顔が直ぐ前にある。

その頬には朱が差していて、決して軽くはない重みが私の太ももにかかる。


つまりなんというかその……私は今、実の妹に押し倒されていた。


「あぅ、えっと姉さんごめんなさい!」

慌てているのか足の絡まりを無理やり剥がして、起き上がろうとする百合。

襲ってくる痛みに、私は慌てて百合を離れさせまいと抱きしめた。


「ごめん、痛い」

「えっ、あっ、すみません」

「いいよ」

……気まずい。

先ほどの指輪はまだ百合の手の中にあり、私の胸の上あたりに乗っかっている。


「……姉さん誕生日おめでとうございます」

「ありがとう」

「えっとその……着けてもいいですか?」

「いいよ。どっちの手がいい?」

「じゃあ……右手で」

「わかった」


右手を差し出すと、百合の頬の朱色が更に増した。

指輪を取り、震えた手で薬指へと通す。

指輪はぴったりとはまった。


「ありがとう、百合。嬉しいよ」

「は、はひ」

綺麗な指輪だ。指輪に見入っていると、百合の嗚咽が聞こえてきた。


「ひぐっ、ごめんなさい……」


私は、ただ百合の背中を撫でる。

涙は制服にシミを作り、なお絶えず溢れ出ている。

綺麗、だとそんなことを思ってしまった。


「どうしたんだ?」

「ずっと、ずっと不安で、私、お姉ちゃん・・・・・に嫌われてるんじゃないかって、お姉ちゃんが一番大変な時にわがまま言って……!」

「私が百合を嫌いになることなんて、絶対にないよ」

「優さんにだって意地悪言うし」

「言ってたね」

「布団に入り込むし」

「暖かくて安眠できるよ」

「私なんて、私なんて」

「百合の痛みや辛さは私には分からないかもしれない。でも『私なんて』、なんて卑下しないでくれ。私の大切で大好きな妹がそういう風に言っていると悲しくなる。私には百合の痛みや辛さなんてわからない。だけど私にとっては百合は百合だ。だからあえてそのままでいいと言うよ。百合は昔からずっと賢くてちょっぴりやきもち焼きな私の大切な妹だ。嫌いになんてなるはずがない」


だから。


「泣かないで。私まで泣きそうだ」


目を真っ赤に腫らした百合が、鼻をすすり、荒い息を漏らす。

泣き止んでくれたみたいだ。


「ずるいです。姉さんはずるいです」

「あ、戻っちゃった」

「うるさいです。もう今日は離してあげませんので」


体をぎゅぅと抱きしめられる。

体を包む、百合の柔らかい感触に、これはこれで役得なのか?と苦笑を漏らした。


________


部屋のランプが指輪の入った箱を照らしている。

広いベッドの中では、百合が後ろから私をがっちりとホールドして離さない。


「百合、起きてる?」

「起きてないです」

「そっか。じゃあこれは独り言だけど、私ずっと百合の姉失格だって思ってたんだ」

「そんなことないです」

「ふふっ、……私は両親が死んで、百合の喧嘩したあの日をずっと後悔してた。私は姉失格だって。でもそれは百合も同じだった。ねえ、百合?」

「なんですか」

「今の私は百合が甘えられる姉でいられてるのかな?」

「……姉さんは姉さんです。昔から変わりませんしそれが変わることはありません。かっこよくて美人で、誰よりも優しい私の、私だけの大切なお姉ちゃんです」

「そっか。ありがとう百合。大好きだよ」

「私も大好きですよ」


手を伸ばし、ランプを消す。

暗闇になった部屋には直ぐに寝息がたてられる。私は緩まった拘束から抜け出して、百合の頭を撫でる。


額に口づけをして、小さく呟いた。


「おやすみ、いい夢を」


彼女がもう二度と自らを卑下することなく、幸せに生きていけていけるようにと願いを込めて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

近衛 牡丹は何も知らない 森野 のら @nurk

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ