エピローグ
こうして長く険しい旅の末、私達は遂に目的のシェルターに辿りついた。
あれから数日も経ったというのに未だ十分な実感が湧かず、宙に足が浮いた様な奇妙な感覚に戸惑っている。
しかし、今日は待ちに待ったエリス様との対面日だ。元気な彼女の姿を見ればきっと、ここに辿りついた事の実感がより深く湧いてくるに違いない。
「お待たせしました、それでは行きましょうか」
スラウが用意してくれた淡い水色の服に身を包み、彼に案内されてシェルターを進む。
天は青々とした空に無数の白い縮れ雲を走らせていた。
「その服、お似合いですよ」
「ありがとうございます」
「しかし、貴方が始めて来た時は本当に驚きました。人がここまで辿りつける筈が無いですからね」
「でしょうね」
「言い方は悪くなってしまいますが、ここまで完成したアンドロイドがまだ残っているとは思いませんでしたから」
「シュタインバーグ夫妻が、廃棄予定だった私を拾ってくれたと聞いています」
――そう、私は人ではない。研究所の仕事を補佐する為のアンドロイド。
内部にレーザー炉を持ち、単身で半永久的に稼働する事が出来る。
「その人格はシュタインバーグ博士達が?」
「ええ。研究所用では不具合が出ると言う事で、新しく用意して下さったようです」
「アンドロイドは周囲に分かる様に奇抜な髪と目の色を強要されますからね。色々と、その方面で周囲とのすれ違いもあったでしょう」
「アンドロイドには根強い偏見がありますから。半ば、諦めていました」
そんな私を、シュタインバーグ夫妻は人として、家族として扱ってくれた。
この恩は一生、忘れる事も消える事も無い。
向かう先は、病院と併設されている研究区画だ。スラウの話によると、エリス様の希望でシュタインバーグ夫妻の仕事を間近で見続けているらしい。
なにしろ四年間も会っていなかったのだ。その反動が一気に来てもおかしくは無い。
「エリス様の脚はもう良くなったのですか?」
「ええ。一通りの医療機器は揃ってますからね。リハビリは必要でしょうが」
「それを聞いて安心しました」
建物に入り、幾つかの扉を潜った先で彼は足を止めた。右手側には手動の扉があり、その奥にエリス様が待っているらしい。
「どうぞ」
先導していた彼は、あっさりと扉の前から退き、道を開けた。
私は深々と頭を下げ、二度のノックの後に扉をゆっくりと開く。
「失礼します」
部屋は簡素な面会室然としていて、シェルターの一室を思い出させる。中央には小さなテーブルがあり、前には椅子が二つ。そして――。
「……これは?」
椅子の上には、薄汚れたテディーベアが置かれていた。
随分と汚れて草臥れてはいるが、私はそれを知っている。
「何処でこれを?」
思考が結論に追いつかず、後ろに居るスラウに問いかける。
それは見間違いようもなく、エリス様のテディーベアだった。
「ああ、今はそう見えるんですか?」
私の問いに、彼は目を細めて、まるでおかしな事を聞かれたというような表情を作った。
「見ての通り、シュタインバーグ夫妻がエリスさんにプレゼントしたテディーベアですよ」
「そうではなくて、どうして此処にあるんですか? まさか、探しに行ってくれた、とか?」
「いえいえ、流石に縫いぐるみ一つの為に捜索の人間なんて出せる筈が無い」
分からない。会話が噛み合っていない。
私は言い知れぬ嫌な感覚に後ずさる。
「貴方も、そういう人間臭い反応をするんですね」
今までの彼とは違う、冷めた言葉だった。
「騙したんですか?」
「騙す? それは少し違います」
彼は首を振り、改めて縫いぐるみへと視線を合わせる。
「このぬいぐるみは貴方が持って来たものです」
「私が……?」
「ええ。覚えてませんか?」
「そんな筈ありません。このぬいぐるみは、エリス様が失くされて――」
「覚えてませんか。これは、貴方が大事に背負って来たんですよ?」
否定の言葉を吐きだそうとして、しかし口が意志とは別に止まる。
見えない鈍器で殴られた様な感覚に、視界が大きくぶれた。
彼は何を言っているのだろう。
でたらめだ。そんな筈は無い。
私は、エリス様とここまで辿り付いた!
「……私が連れて来たのは、本当にエリス様だったの?」
無意識に己の口から疑問が零れ、私はハッと口を塞ぐ。
スラウが口の端を悲しそうに歪めた。
「貴方から話を聞くのとは別に、貴方のメモリーからデータをコピーさせて貰いました。全て、映ってましたよ」
「何が……」
「陳腐な言い方をするのなら、真実ですか。貴方が塗り固めた虚構を否定する」
彼は白衣の内ポケットから、リモコン端末を取り出して操作する。すると部屋の照明が落ち、奥の壁に映像が投影され始めた。
「これは――」
見間違いようも無い、第四のシェルターに辿りついた時の光景だった。
映像が時々大きくぶれるのは、私の見た映像をそのまま流している為だろう。
私の記憶だ。見覚えが無い筈が無かった。
映像の中の私が、背中のエリス様に声をかけながら闇に包まれたシェルターの通路を進んで行く。そして制御室を見つけ、エリス様を一旦下ろす。
確かに、エリス様の姿が映っている。何もおかしい所は無い。
スラウはそこで一旦、映像を止めた。
「よく見て下さい。貴方の大切なエリス様、彼女は既に失くした筈の大切な荷物を背負っているのではないですか?」
その通りだった。彼女は確かに、シェルターに入った後でもリュックを背負っている。その膨らみ方から、中にクマの縫いぐるみが入っているのは明白だった。
「……どうして」
疑問を口にして、しかし思考の片隅でそれを疑問に思っていない自分が居る事に気付く。
事の顛末を静観している部分が、確かにあった。
映像が着々と進み、私がシェルター内の電力を復旧させる。
そして、エリス様を抱いて医務室へと向かい、彼女をベッドに横たえた。
――そう、知っている。
テントを潰して布をかけ、何度も呼びかける。
――これも知っている。
暗転し、映像が途切れた。誤作動の為か、私が意識を失ったあの時だ。
「ここで貴方は間違いなく一度、機能を停止した。ジュゼさん、あなたはどれだけの時間、意識を失っていたか思い出せますか?」
「それは、ほんの一、二時間程度で――」
「一年、だと言ったら?」
彼の指摘に、私は凍り付いた。
「そんな筈無いっ!」
「事実です。貴方の記録には一年の空白がある」
暗転した映像は直ぐに再会される。
それは、ベッドの脇に崩れ落ちた視点から始まった。
「……違う、あれは悪い夢」
「そう、思いたかっただけではないですか?」
追い打ちも耳に入らない。目は映像に釘づけになっていた。
下に向けられていた視線が、ゆっくりとベッドの上を映す。そこには、青白い顔で静かに横たわるエリス様の遺体があった。
「嫌。夢、あれは夢だった……。夢だった……」
うわ言の様に、何度もくり返す。
しかし、映し出される映像は変わらない。映像が大きくぶれ、暗転した。
「アンドロイドにとって、己の主人から受ける命令は絶対。完遂できなかった場合、アンドロイドは存在意義を失ってしまう」
否応なく真実が突き付けられる。それが夢ではなかったのだと。
「貴方は、シュタインバーグ博士達から『エリスを守る』という命令を受けた。それは絶対に守らなくてはならないルールであり、貴方が稼働し続ける為に必要な絶対条件だった」
「違います、私はエリス様の意志で――」
「違いません。確かにエリスさんの望みは二番目に順守すべき事案だった。貴方がどう解釈しようと、その順位は変動しない。つまり、エリスさんを死なせてしまった時点で、貴方の存在意義は無くなった。守るべき命令を失った機械に、自主性は失われるのです。どれほど人間に近い高性能なアンドロイドでも、それは変わらない」
彼の言う通りだ。シュタインバーグ夫妻が、そしてエリス様がどれだけ私を家族の一員だと認めてくれようと、私がアンドロイドだという事実は変わらない。
同じ食卓に着いた所で、皆と同じ食事も出来ない。
共に成長する事も、老化する事も無い。
この事実がどう足掻いても覆らないように、私に課せられたプログラムもまた絶対だ。
「この時点で、貴方は稼働理由を失ってしまった。普通なら、その場で動かなくなってしまった筈だ」
ロータムは興味深そうに私を正面に見据える。
「しかし、貴方は違った。事実を、認識を書き換える事で己を守ったのでは?」
暗転していた動画が再会される。そこにはやはり、エリス様の死体があった。
しかし、映像の中の私はその事に動揺していなかった。徐に彼女の脇にあったリュックを引き寄せて厳重に布に包まれた縫いぐるみを取り出す。そしてそれを、彼女の遺体の上に乗せた。
『エリス、様?』
そして始まる。――
縫いぐるみを彼女に見立てて、私が一方的に語りかける。
『すみません。なんだか、とても嫌な……夢、を見てしまって』
「……もう、止めて下さい」
耳を塞ぎ、目を閉じて
「驚きましたよ。何せ、アンドロイドがクマの縫い包みを背負ってやって来たんですから」
「私は、何の為に……」
「意味はありましたよ。これらの映像は、外の現状がどうなっているのかを知る良い証拠となります。とても貴重な資料です」
彼は興奮した様子で語るが、私にはどうでも良かった。
「貴方自身も非常に興味深い。人間の逃避行動として、現実から目を背ける事は間々ある。しかし、アンドロイドの貴方が事実を歪曲したという事は、別の意味を持ちます」
「どうでも、いいです。そんな事」
「いえいえ、これはとても重要な事です。ここに辿り付いたあなたは今、椅子に乗っているのがクマの縫い包みだと理解している。未だ、エリスさんだと誤認してもおかしくは無い筈なのに」
「……どうでも」
言葉が上手く発声出来ない。平衡感覚が保てず、地面にへたり込んでしまう。
「つまり、彼女の死に縋らなくても良い理由を見つけた訳だ。彼女が生きていようと、死んでいようとどうでも良くなった」
「違う……そういう意味じゃ、ない」
果たして本当にそうだろうか。私はエリス様とここで生活するのを望んでいた筈だ。
――本当に?
私は、エリス様が両親と再会するのを心から望んでいた筈だ。
それは誰の望みだった?
「私は……」
結局、定められた命令の中でしか動いていなかったのだろうか。
気がつけばスラウが傍に居て、物憂げな表情で私を見降ろしていた。
「シュタインバーグ博士達は、災厄が起こったあの日に、ここで命を引き取りました。最後の最後まで、自分の命を投げ出して避難誘導を優先した」
「そう、ですか」
「今度は、驚かないのですね?」
「ええ。自分でも驚くぐらいに平気です。それに、誇らしく思います」
分かっていたのだ。最初から。
ここに辿り付けた事が奇跡に近いのに、夫妻が生きているという希望を抱く事がどれほど愚かな事なのか。
エリス様を託されたあの日、あの時、あの瞬間に私は気付いていた。二人が命を捨てる覚悟だと言う事を、私は理解していた。その段階で既に、エリス様が私にとっての一番となったのだ。もしシュタインバーグ夫妻の命令が生きていたのなら、屋敷を出るという選択肢が存在しない。
「私は最初から、間違っていなかった」
「どういう事です?」
「私は最初から最後まで、エリス様のお目付け役です。だから、彼女の望みを叶えたかった」
言い訳がましいのは自覚している。エリス様の虚像を作り上げていた事も事実だ。
しかし、私は此処に辿り付いた。その事に意味がある。
次第に、私の思考に立ち込めていた不快な靄が晴れ、クリアになるのが分かった。
「エリス様は出発前に言ったんです。『私が死んだとしても、ジュゼにはそのままで居て欲しいの。私なんて無視して、シェルターを目指して』って。そして、『私が生きた証を繋いで、届けて欲しいの。もしもお父さんやお母さんが生きているなら、私がそこを目指そうとした事を伝えて欲しい』とも言いました」
夫妻が亡くなったと知った今、私はエリス様の願いすら叶える事が出来なかった。
しかし、エリス様がここを目指そうとした事は、私を通して確かに伝わっている。
研究材料という形であれ、確かに伝わったのだ。
「……なるほど、実に都合のいい解釈だ」
「そう思われるのでしたら、それで構いません」
もう迷いは無い。既に、私は仕えるべき主人を失った。
「これから私はどうなるのですか。解体されるのでしょうか?」
「まさか。解体なんて出来る筈が無い。貴方の動力炉は繊細で緻密だ。既に技術も失われている。下手に手を出せばこのシェルターが吹き飛ぶかもしれない」
「なら、どうするのですか?」
私はゆっくりと立ち上がる。
その反応は予想外の物だったのだろう。初めて、彼の顔に戸惑いの色が滲む。
だからと言って、何か特別優位に思う事も得意になる事も無い。
「貴方の目論みでは、私は起動を停止する筈だったんでしょう?」
沈黙がそのまま肯定となる。
私を縛るものは、何もない。
ならば私は最初から最後まで、エリス様の為に働き続けたいと思う。
「――例の記念館の一室。私に頂けないでしょうか?」
数日後。
私は、ガラスのケージの中に居た。
部屋の中央の椅子に、私は座っている。
膝の上には、エリス様が尤も大切にしていたクマのぬいぐるみを抱えて。
私の後頭部からは一本の細いケーブルが延び、それが新たに設置された液晶モニターへと繋がっている。画面には絶えず私の見て来た過去の景色、そしてエリス様と過ごした日々が映し出されている。
私の胸元には更にもう一本、大きなケーブルが突き立てられていた。
これが、交換条件。
私の生み出すエネルギーは微々たるものだが、その大半をシェルターへと供給している。
もうこの部屋の中から出る事は無いのだ。
私はそれで構わない。
ガラスの向こう側から、人々が私の姿を興味深げに眺め、そしてモニターに映る映像を凝視する。
これでいい。一人でも多くエリス・シュタインバーグという少女が居た事、そして彼女がこのシェルターを目指した事を知ってくれれば、それだけで幸せだ。
「エリス様……」
――今日はもう休もう。
エネルギーの大半を外部に放出している今、定期的に私は稼働を停止しなければならない。
人間のように休まなければならないのが、なんだか嬉しい。
目を閉じているその時だけは、私とエリス様、二人だけの時間を感じるのだ。
―― 了 ――
砂の城 白林透 @victim46
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