『交差点』

 あの悪夢の様なシェルターを出てから、道は常に登りを示す様になった。

 私達の目指す目標地点は、周辺で尤も標高の高い山の中腹。怪我を負ったエリス様が歩くには厳しすぎる道のり。しかし、戻るという選択肢は無い。

 立ち寄れるシェルターはあと一つ。問題は稼働しているかどうかだ。

 私が中継地点として目指しているのは、稼働信号を発していないシェルターだった。

 信号が無い為に正確な位置が掴めず、シェルターそのものが見つからない可能性もあった。ルートを考えれば、そこを経由するよりも直に目的地を目指した方が早い。

 しかし、距離とエリス様の状態を考慮し、あえて遠回りの道を選んだ。

 ――この選択が、吉と出るか凶と出るか。

 なるべく風の通り道を避けているものの、砂嵐を抜けなければならない場面も一度や二度では無かった。これほど環境が悪変化していても、山の天気が変わり易いという事実までは例外にならないらしく、時折凄まじい茶褐色の吹雪や雹が降り注いだかと思うと、乾いた砂嵐で前が見えなくなる事もしばしばだった。

 足取りは更に遅くなり、巨大な砂山と化した一帯に風を凌げる場所は殆ど無く、嵐をやり過ごすにも到底テントを立てられる状況では無かった。その為、風がきつくなる度に私はエリス様を座らせ、風よけになる様に私が風上に立って、覆いかぶさる様にして彼女を守った。

 悪路を彷徨う事、約一日。ようやく私達は目的地の周辺へと辿りつく。しかし、周囲を見回しても、視界に入るのは砂に覆われた地表ばかりで、シェルターらしきものは見当たらない。砂に埋まってしまった可能性を頭から排除し、エリス様の肩を左手で支えながら、雪の降りしきる中を懸命に前へ。

 携帯端末に示された気温はマイナス四度。防塵に優れたローブも、防寒までは万全ではない。蓄積する疲労に加え、過度な寒さがエリス様の体温を奪い始めていた。

「エリス様、見つけました!」

 入口を見つけたのは、それから十分後。早期の発見と言えたが、それでも私は発見が遅れた事を悔やみ、自分を責める。エリス様は既に気力だけで立っている状態だった。

 シェルターはなだらかな傾斜が広がる平原の中ほどからせり出したトンネル口の奥にあり、その入り口は半分近くが砂で埋まっていた。

 発見出来たのは、トンネルの縁に積もった砂が僅かに丸く膨らんでいたからだ。もしこれを風の悪戯による造形と断じていれば、何十分と周囲を彷徨う事になっただろう。

 トンネルの内部に這い入ると風は幾分か凌げるようになったが、逆に凍える様な寒さが一段と増した。四方の壁が冷やされ、天然の冷凍庫の様だ。

 奥の扉は開け放たれたままになっていて、しかし人工的な光は一切無く、来訪者を飲み込まんとする暗闇が奥へ奥へと続いていた。私はケミカルライトを折り、一本を入口の前に置き、一本を照明代わりにエリス様の肩を抱き寄せて奥へ進む。

「作りは、前のシェルターに近いようです」

 エリス様を安心させるように、私はあえて声に出した。そうしないと、今にも彼女が倒れるのではないかという不安が拭いされなかったのだ。

  シェルターの中は幾ら進んでも暗闇ばかりが続き、私達は左の壁に沿って歩を進める。

 もしもの際は、逆を辿れば外に出られるように。

 シェルター内は完全に冷え切っていた。テントを張ればあるいは凌げるかもしれないが、それでも凍死の可能性は拭いきれない。

 右腕の状態も気掛かりだった。寒さのせいか、それとも今までの無理が祟ったのか。辛うじて物を握る以外の動作を、受け付けてくれない。

 四つの角を折れてようやく、壁際に設置されている見取り図を発見する。アクリルの板に刻印されたタイプのものなので、取り外す事は出来ない。私はケミカルライトで全体を照らし、見取り図の内容を頭に刻みこむ。

「制御室を目指しましょう」

 まずは明かりが無ければどうしようも出来ない。

 発電と電器系統が死んでいる可能性が高いが、稼働の見込みがゼロという訳ではない。シェルターには少なくとも二重の予備電源が用意されている筈で、それさえ生きていれば僅かな時間だけでも電源を復旧させる事が可能だ。

「電源さえ復旧できれば、医務室の機器も使えるかも知れません」

 そうすれば、暖を取ってエリス様を休ませる事も出来る。

 頭の地図を頼りに制御室に辿りついた私は、閉ざされた扉を左手で強引にこじ開ける。

 扉の隙間から光を入れて目を凝らすと、徐々に室内の様子が明らかになった。

「……ッ!」

 私はすぐさま、エリス様を後ろに下がらせる。手にしていたケミカルライトをエリス様に握らせ、私は新たなライトを折って一方を部屋の中に投げ入れた。

「ここで、待っていて下さい」

 照らし出された制御室の内部は黒の絨毯に覆われ、数体の白骨が地面に転がっていた。

 私が恐る恐る中に一歩踏み込むと、カサリという軽い音と共に足が黒の絨毯に沈みこみ、細かな黒い粉塵が舞い上がった。

 私はその奇妙な感覚に、ライトで地面を照らす。

 数秒、己の見た物を理解できず――理解するのを拒み、固まってしまった。

 そこにあったのは、無数の蠅の死骸だった。

 数十や数百程度では無い。

 数千を超えるハエの死骸が折り重なって、黒の絨毯を形作っていたのだ。

 この場で白骨と化している人々の肉を媒介として、発生したのだろう。

 私は無為に歩くのを止め、摺り足で死骸を押しのけるように、白骨を避けながら奥の制御盤まで歩み寄る。

 パネルの上にも無数に積ったハエの死骸を掃い落し、計器類を確認する。

 やはりと言うべきか、一つとして作動しているものは見当たらなかった。

 これほどのハエの死骸がある以上、少なくとも一時期はシェルター内の空調が正常に作動していた筈だ。現在の室温はマイナスなので、到底ハエが湧ける環境では無い。

「……何処かに、予備電源が」

 私は諦める事無く、不気味な室内を歩きまわる。死骸を払い退け、僅かな希望を探す。

 そんな折、堆積するハエの死体を掃う事に意識を裂き過ぎていた為か、手にしていたライトを計器に引っ掛けて落としてしまった。ライトは地面に堆積する死骸に中ほどまで埋まり、光が僅かに弱まる。

 慌てて拾おうと屈み込んだ視界の端に、落としたケミカルライトとは別のごく微かな光が映り込んだ。私はライトを拾おうと伸ばした手を止め、光源へと視線を向ける。

 その光は操作パネル上の、未だ死骸の積み重なった場所から漏れ出ていた。

 光源を慎重に辿って死骸を払いのけると、淡いランプの光が一つ灯っていた。

「緊急停止中……?」

 ランプの下には、そう刻印されたプレートが嵌まっている。

 このシェルターは稼働限界を迎えた訳では無かった。何らかの理由で、恐らく長期間操作する人間が居なかったが故に、休止状態に入ってしまったのだろう。

「これさえ解除出来れば、シェルター内の設備は復旧する筈」

 私は一心不乱に周辺の死骸を掃い、復旧に必要なパネルを探す。部屋の中を練り歩く事五分余り。ようやく、停止解除用の操作パネルに辿りついた。

 規模こそ違えど、屋敷の設備と基本的な構造は同じ。これなら、私にも復旧は可能だ。

「お願い、動いて」

 再稼働ボタンを左手の指で強く押し込みつつ、右手で電源復旧の操作を行う。

 一度目は失敗。しかし、二度目の操作でようやく、各所のパネルに光が灯り始める。

 私は恐る恐る手を離し、先ほど停止中を示していたランプを確認する。果たして停止ランプは消え、代わりに『再稼働準備中』の枠に光が灯っていた。

 続いて、シェルター全体の空気が僅かに変わった様な気配と、羽虫が飛ぶような微かな重低音と共に機器が再起動を始める。同時に内部の電力も復旧したのか、部屋が眩しすぎるほどの光で満たされ、一瞬だけ視界が真っ白に塗りつぶされた。

「これで……」

 パネルを見ると、今まで沈黙を続けていた電子モニター等も復旧している。空調の排気口からは冷気に続いて温かな風が送り出され、部屋の中を滞留し始めていた。本格的にシェルター内が温まるのには一時間以上かかるだろうが、これで凍死の心配は無くなった。

 医務室の電力が復旧しているを確認し、私は急いで部屋の入口まで戻る。

「エリス様、やりました!」

 廊下に出て、しかし――私の声が彼女に届く事は無かった。

「エリス様!」

 彼女は壁に背中を預けてその場に崩れる様に座り込み、ライトを両手できつく握りしめた状態で頭を垂れている。私は慌てて駆け寄り、彼女の手を取る。

 ――冷たい。

 一体私は、どれだけの時間を制御室内で無駄にした?

 電力の復旧に気を取られ過ぎて、エリス様の事まで気が回らなかった。エリス様と離れるべきでは無かったのだ。しかし、自分の過ちを後悔している暇は無い。

「まだ、息がある」

 私は背負っていた荷物を脱ぎ、エリス様を抱えて背負い上げて、医務室の方角へと走り出す。

 ――電器系統が回復した今、適切な処置さえ出来れば。

 辿りついた医務室で、私は再び絶句する事になった。

「ここも……」

 黒の絨毯。中は、制御室と同じ有様だった。

 しかし、迷っている暇は無い。

 ハエの死骸を踏みつけて、部屋の右奥にある診療台へ。こんもりと黒い層を形成している土台のシーツを引き剥がして打ち捨て、エリス様の体をマットレスだけのベッドに横たえる。

 高水準の医療器具が揃っているのかと期待したものの、設備としてはおざなりと言わざるを得ず、せいぜい医務室と呼ぶのが関の山の旧時代的な器具と薬品しか見当たらない。

 薬品棚を片っぱしから開き、使えそうなものは無いかと掻き回す。

 並んだアンプル類の瓶を手に取り、果たしてそれを投与していいものかと手を止める。

 ここは少なくとも数カ月は電気の供給が止まり、極寒の外気に晒されていたのだ。中身が凍ってしまっているものも見受けられる。そんな状態にあった薬品を使うのは、いくらなんでも危険すぎる。私はそれらのアンプル類を諦め、湿布とガーゼを取り出す。

 本来は体温を上げる様な何かがあれば良かったのだが、水道の蛇口を捻っても水が出てこない。どうやら、この寒さで配管が凍結してしまっているらしい。これでは温水もしばらくは期待できない。

 手を拱いている間にも、エリス様の呼吸は徐々に浅く、か細くなっていた。

「……少しの間、待って居て下さい」

 私は苦肉の策として踵を返し、制御室前に置いて来た荷物を出来るだけ急いで取りに戻った。そして荷物を抱えて医務室に戻ると、リュックの中から簡易テントを引っ張り出し、骨組みを千切る様に抜き取る。次に己のローブを取り掃ってエリス様の体に巻き付け、続いてテントの残骸の布を上から巻きつける。テントは保温素材で出来ているので、これ以上の体温低下は防げるはずだ。

「エリス様、頑張ってください!」

 私は何度も、何度も呼びかける。

 彼女の意識が回復すると信じて、私は必死に彼女の体を擦り続けた。



 ――あれからどれだけの時間が過ぎたのだろう。

 気が付けば、私はベッドの脇に蹲る様にして倒れていた。

「どう、して……」

 エリス様を呼びかけていた記憶は残っているのだが、以降の事を思い出せない。ゆっくりと体を起こして頭を振る。私も相当、ガタが来ているらしい。

 しっかりしなくてはいけないと、ベッドの上を見て――思考が、止まる。

 そこには、青白い表情でピクリとも動かないエリス様の姿があった。

「そんなっ、そんなっ!」

 体を起こし、頬に手を当てる。

 冷たい。室温は回復しているのに、彼女の体は冷え切っていた。

 頬に這わせた震える手を、そのまま首筋に移動させる。何かの間違いであってくれと念じながら。

 しかし、鼓動は感じられなかった。

 柔らかな首筋をどれだけ押しても、そこに通っている筈の、通っていなければならない血の流れが感じられない。

 思わず手を離し、後ずさる。

 目の前の光景を拒絶するように。これは何かの間違いだと。

 放置されていた椅子を蹴飛ばしてしまい、大きな音が室内に残響する。

 こんな事、ある筈が無い……。

「いやああああああああああああああ!!」

 視界が歪み、世界が震える。

 それが己の絶叫だと気付くのに数秒。

 視界が、再び暗転した。



「ジュゼ、起きて……ねぇ、お願い」

 誰かの声に呼ばれて、頭を上げる。

 どうやら私は、ベッドの端に顔を埋める形で気を失ってしまっていたらしい。目の前には半身を起こしたエリス様の姿があり、右手が私の頭に乗せられていた。

「エリス、様?」

「ありがとうジュゼ。でもジュゼが起きなくて心配したんだよ?」

 エリス様の顔色は未だ芳しくない。しかし、それでも頬には安堵の笑みが浮かんでいた。

 私は彼女の感触を確かめるように、乗せられた手を握り締め、胸元に手繰り寄せる。

 途端、彼女の笑みに困惑の色が上書きされた。

「ジュゼ?」

「すみません。なんだか、とても嫌な……夢、を見てしまって」

 私も、とうとうおかしくなってしまったのだろうか。

 考えを頭の脇に追いやり、エリス様から手を離して立ち上がる。

 体が斜め後ろに傾きかけ、慌ててバランスを取り直した。

「もう、本当に大丈夫?」

「エリス様こそ、大丈夫なんですか?」

「うん。だいぶ平気。ジュゼのおかげ……でも」

 彼女は自分にかけられたテントの残骸を見て、複雑な表情を作る。

「ごめんなさい」

「謝るのは私の方です。本当にこれが必要になるのは、ここから先かもしれないのに」

 このシェルターが山の中腹にあるとはいえ、目的地までは距離にして約四キロ。今までの悪天候を考慮すると、一日で辿りつけるかどうかも怪しい。テントを失った今、私達は外での休憩手段を失った事になる。

 しかし、エリス様の命が助かったのなら安いものだ。

「それより、まずは食事にしましょう。エリス様もお腹がすいているでしょう?」

「うん」

「期待は出来ないと思いますが、食料庫を見てきます。何かあるかもしれませんし。ここで待って……いえ、場所を変えましょう」

 医務室とはいえ、白骨や無数のハエの死骸が散らばっている中にエリス様を置いて行く訳には行かない。これならまだ、廊下に居る方がマシだ。

 私はエリス様の手を取り、しかし彼女は一向に立ち上がらない。私が首を傾げると、彼女は申し訳なさそうな表情を作った。

「足、動かないの」

 その告白は、私に大きな衝撃を与えた。慌ててローブを捲り、彼女の脚を露出させる。すると、驚くほどに細く白い足が二本、目の前に曝け出された。

 私は恐る恐る彼女の脚を触り、状態を確かめる。足を触っているような気がしないほどに感触は柔らかく、筋肉が完全に弛緩しているのだと断定する。

 今まで足を限界以上に酷使していた事に加え、寒さが追い打ちをかけ、とうとう彼女の脚を駄目にしてしまったのだ。不幸中の幸いか、凍傷や壊死している箇所は見当たらない。

「相応の設備さえあれば……」

 私はすぐさま、口に出した可能性を否定する。否、どの道無理なのだ。どれだけ設備が整っていようと、体を癒す為の栄養が足りていない。仮にこれが軽いリハビリで治る程度の物だったとしても、今の状況で回復は困難だ。

「私が運びます」

 私はエリス様に背中を向けてベッドに座り、彼女の両手を手繰り寄せて背負った。

 立ち上がった瞬間、彼女のあまりの軽さに動きが止まりかける。

 しかし、悟られない様にすぐさま一歩を踏み出し、医務室を出て廊下へ。やはり空調や電源類は滞りなく復旧しているらしく、温かな空気が滞留していた。

 私は幾つかの部屋を見て回り、ハエの死骸の無い個室を見つけてエリス様をベッドに寝かせ、食料庫へと向かう。シェルターは全三階層で、食料庫は例に漏れず最下層の地下三階にあった。シェルター内にはエレベーターもあったが、万が一の事も考えて非常階段を利用する。

「やっぱり、何もありませんね」

 食料庫は空になっていた。否、この言い方は正しくない。そもそも、食料が運び入れられた形跡が無かったのだ。山の中腹であるが故に食料の運搬が間に合わず、先に災害がやって来たのだろう。白骨の数が少ない割に、長年稼働している気配が無かったのはそういう事だったのだ。避難したはいいものの、食べるものも無く餓死していったに違いない。

 環境だけ見れば、前のシェルターよりも遥かに優れているにも拘らず、此方には尤も重要な食料が欠けていた。実に皮肉な話だと思う。

 とはいえ、何時までも空の倉庫を前に悲観思考に暮れている訳には行かない。すぐさま元来た道を引き返し、エリス様にその報告をしなければならなかった。

 私が戻ると、ちょうどエリス様が栄養剤を口に運ぶ所だった。

「エリス様……」

「分かってる。無かったんだよね?」

 既に私達の食料備蓄は微々たるものだ。それでも、この設備さえあれば温かいものを食べさせる事が出来る。厨房は同じフロアにあるので、エリス様を再度待たせ、小さな厨房へと向かう。嫌な予感は最初からあったが、やはり厨房も無数のハエの死骸が敷き詰められた状態だった。不衛生とまでは行かないものの、流石にここを使える筈も無く、厨房を諦めて給湯室を目指す。給湯室は廊下の延長線上の窪みの様な場所にあり、ハエの死骸も見当たらなかった。

 お湯のコックを捻ると、途端に湯気の立ち昇る熱湯が流れ出た。

「これなら使えますね」

 私はエリス様の元へと引き返し、リュックから水筒と粉末スープを取り出す。そして再び給湯室に向かい、水筒の中の水を捨て、更にコップに粉末を入れてお湯を注いだ。立ち上る湯気と共に、粉末が解けて混ざる甘い香りが周囲に充満する。私は慎重にコップを持ち、エリス様の元へ急いだ。

「スープです。火傷しない様に」

 私はエリス様の脇にコップを置き、水筒はエリス様の脚の間に挟んだ。熱湯を入れた水筒はほんのりと温かく、患部を癒すのに良いかもしれないと思ったのだ。

「……あったかい」

 エリス様の表情が綻ぶ。

 私はその笑顔を見た途端に体全体の力が抜ける感覚に陥りかけ、何とか踏みとどまって思考をクリアにする。危うく、また意識を飛ばしてしまう所だった。

 考えてみれば、これほど心休まる平穏な時間を過ごせたのは久しぶりだ。

 常に気を張って周囲を警戒し、私達は此処まで辿りついた。あるいはその慎重さに助けられてここまで辿りつけた。

 エリス様と過ごした屋敷はどうなっているだろう。そんな事を考える。きっとあの屋敷なら、今も堂々と、世界が終わるその時まで立ち続けているに違いない。

「あと、少しだもんね」

 エリス様の口元を指の腹で拭い、私は無言で頷く。

 目的地はもう、目と鼻の先だ。

 エリス様を背負って進まなければならない以上、余分なものを持ち歩く余裕は無い。

 改めて荷物を選別すると、殆ど全てのものを置いて行く形になった。

 残った荷物は、僅かな医療品と栄養剤、そしてエリス様の――。

「……エリス様、背負っていた荷物はどこに?」

「落としちゃったみたい」

 エリス様の荷物の中身、それは例のテディーベアだ。この旅の中で最も必要の無い物だったが、エリス様にとっては唯一の心の拠り所だった。私は何と答えていいか分からずに沈黙してしまう。

 しかし、エリス様は気丈に笑って見せた。

「私は大丈夫。平気だよ。だって、後少しでパパとママに会えるんだから」

 そう、エリス様の気持ちはシェルターで待っている筈の両親の方、遥か前方へと定められている。

「絶対に辿りつきましょう、あのシェルターに」

「うん。お願い、私を連れて行って」

「勿論です。エリス様は必ず、……私が送り届けます!」

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