幕間 4

「――腕はその時に?」

「はい。最初の内は少し力が入らない程度だったんですけど、徐々に悪化して」

「苦労されたんですね」

「騙し、騙し、でしたから」

 ここは実に過ごしやすい環境が作られ、完成されている。

 あれから二日と経たず、私は外に外出する事を許可されていた。

「エリス様は?」

「ええ、順調に回復していますよ。つい昨日、エリスさんの両親との面会を果たしました」

「そうですか。良かった」

「ジュゼさんにも、会いたがってましたよ」

 仲介役ちゅうかいやくの私は約得かもしれませんねと、スラウは穏やかな笑みを浮かべる。

 シェルターの中央に植えられた巨木に見降ろされる位置にある公園のベンチに私達は座り、青く染まった空を見上げる。

「懐かしい、景色です」

「過去の空模様が投影されているだけ、と言うと味気ないですが、無意識に安心してしまうのも確かですね。この空に救われている部分もあります」

 スラウの視線に釣られるように周囲を見回すと、数人の老若男女が公園内を散歩していた。彼らの表情には陰鬱な色は見えず、柔らかい笑みが浮かんでいる。

 これも、長い旅の中で一度も目にする事が無かった光景だ。

「本当にいい場所ですね」

「シュタインバーグ博士たちのおかげですよ。あの研究チームの助言が無ければ、このシェルターも他の所と変わらなかったでしょうから」

 色々と自慢して回りたい場所があるのだと、スラウはベンチから立ち上がる。

「こっちです」

 案内されたのは、小さな立方体の建物だった。広い間口が設けられた立派な箱物の入口には『地球史記念館』という見慣れない文字が躍っている。

 私が質問するよりも先に、彼は建物の中へと歩を進め、私もそれに続いた。

「……すごい」

 真っ先に目に飛び込んでくるのは、かつての地球の姿を示した、直径四メートルはあろうかという巨大な地球儀だった。回転こそしないものの、周囲を回ればその精密さに驚かされる。

 奥に進むと、数年前まで現役だった電子機器類が陳列され、各国の写真や国旗も飾られていた。多種多様な展示品の中、一つの写真に目がとまった。

「この写真は、火星ですか?」

 茶色に染まった惑星の写真。あまり画質は良くないが、火星か木星の様に見えた。

 そんな写真が六枚ほど、青々とした地球の写真の隣に並んでいる。

 ――地球から火星に移住する。

 そんな計画が本気で考えられていた時期があった。結局、宇宙に出るコストに加え、テラフォーミングに掛る費用、その他の問題が山積みのまま計画はとん挫した。

「……地球の姿ですよ」

「これが、地球ですか?」

 予想外の返答に、私は彼の横顔を見て聞き返してしまう。

 その表情を見れば、嘘を言っていないのは明白だった。

「地球を回っていた衛星からの写真です。あの災厄が訪れた後の地球の姿を、私達は知っておかなければならない。こんな、偽りの園で生活していてもね」

「確かに、それは大切な事かもしれません」

 目を背けたい現実が、そこに映し出されていた。かつての母なる大地は黄色と茶色のコントラストに覆われ、無残な姿に変わり果てている。

「尤も、その衛星ともここ一年余り通信が途絶えていまして。恐らくもう、軌道から外れてしまっているんでしょう」

 徐々に外堀が埋まって行く様な閉塞感に私は沈黙する。

 返答の代わりに歩みを進め、他の展示物を見て回った。

 こうして保存されている数多の展示品の中に、ガラスケースに収められた地図を見つけ、私は辿って来た道筋を指でなぞった。

「地図で見ると、こんなに近いのに」

 改めて進路を確認すると、大きく蛇行していた事に気付く。尤も、通れない場所があったり、起伏が激しすぎたりと、仕方の無い大回りだったが。

「この地図も災厄前のものですからね。ジュゼさんの話を聞く所によると、大規模な地殻変動が起こっているようですし」

「そうですね。二つ目のシェルターから三つ目のシェルターにかけて、大きく隆起してる箇所がいくつもありました。砂が堆積しているだけかと思っていたんですけど」

「……我々の予測を超えた事態がいくつも起こっている」

 彼は珍妙な表情で地図を睨む。それも当然で、他所で予測が外れたと言う事は此処も安全では無い可能性が出てくると言う事だ。

 シュタインバーク博士達の目算を疑う訳では無いが、現にそれが起こっている今、悠長に構えている訳にも行かないだろう。

「予測の精度を修正する為に、ジュゼさんが経験した事、見た事が必要になってくるかもしれません。その時は協力して頂けますか?」

「勿論です。それがエリス様達の為にもなりますから、是非」

「そう言って頂けると助かります。我々では、せいぜい一キロ圏内を探索する事しか出来ませんでしたから」

 スラウの苦笑いに、私とエリス様は本当に遠い所まで辿りついたのだと実感する。

「……ここは?」

 様々な道具等の日常用品が展示されている中、ひと際目を引くガラス張りの小さな部屋があった。中には小さな椅子が四つだけ置かれていて、随分と殺風景な印象を受ける。

「ここは今、改装中なんですよ。昔の暮らしを再現する為に小さな部屋を作る予定だったんですが、小道具や人手が足りなくて」

 彼の言う様に、よくよく周囲の展示品等を見回してみると、確かに一つ一つの品物との間が必要以上に空いていて、広すぎるスペースを何とか埋めようとしている印象を受ける。

 その中で、この一室だけはどうにもならなかったに違いない。

「管理人室にしようか、なんて案が出た事もあったんですが、見ての通りのガラス張りですから断念したんですよ」

 本気で困った風ではなく、彼はおどけて見せただけだった。

 私も特に気にするでもなく、次の区画へと足を進める。

 そこには、シェルターの構造等を示した資料やシェルターのレプリカが保存されていた。

 シェルターは内部から見た通りのドーム型の形状をしていて、空気循環や制御室等は私達の立っている場所よりも更に下に設置されているらしかった。

「やっぱり、食物の栽培区画もあるんですね」

「お世辞にも供給出来ている、とは言えない量ですけどね。作れるものにも制限がありますから」

「メンテナンス……に関しては、心配する必要はなさそうですね」

「おかげさまで」

 何しろ、このシェルターの建設に関った人間が多く住んでいる。

 他のシェルターの様に、壊れたら放置する以外に無い、という事は起こり得ない。

 粗方の展示品を見終わった後、私達は外へ出る。半円の空に投影される景色は、赤い色を含み始めていた。もうすぐ、夕刻になるのだろう。

「綺麗ですね。でも……」

「エネルギー効率が悪いのは分かっています。でも、なるべく普通の生活を維持する為には欠かせない装置です」

「普通、ですか」

 何が普通なのか。この半月に及ぶ旅の間に私は分からなくなりかけていた。

 シェルターに閉じこもり、外にも出られず、息苦しい中での生活を強いられている人々。

 彼らにとっての普通は、私達にとっての異常だった。

「そろそろ、戻りましょう。明日には、面会が出来ると思います」

「本当ですか!」

 エリス様と会える。たった数日なのに、もう何日も会っていない様な錯覚に陥る。

「博士達も来られるそうです」

 四年ぶりの再会。どのような態度で臨めばいいのだろう。ぐるぐると回る思考の渦に身を任せかけ、しかし肩に乗せられたスラウの手で現実に引き戻される。

 私がハッと振り返ると、彼の苦笑いが待ち受けていた。

「考えるのは、部屋に戻ってからでも遅くないでしょう」

「そうですね、すみません」

 私はぺこりと頭を下げて、足早に歩き出す。それで明日が早くやってくるわけではないと理解していても、自分の行動を押さえる事は出来なかった。


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