それはまるで御伽噺のような

特別なものなんて何も持っていなかったけど、彼女が私の隣ではにかむように笑っているのをみた時に、生まれて初めて神様に感謝した。そのくらい彼女は私にとって大切だった。大切に隠しておきたいくらいだった。


「私には魔法使いがついてるから」そう言ってリリちゃんは白い布と白い布を縫い合わせる。何度も指を指したのか絆創膏だらけの手を気にすることもなく、彼女は目の前の作業をただ一つ一つこなしていく。

絆創膏に覆われた手を心配していると、彼女は「絆創膏の上から刺しても意外に痛くないの」なんて、楽しそうにカラカラと笑う。そんな風に笑う彼女を知っている人間が、この世に何人いるのだろう。

あわよくば、私だけだったらいいのに。私だけが彼女の心の一番柔らかい部分に、お邪魔することが許されていたらいいのに。

その考えは、バカみたいだったけど今でも私はそうだった時のことをひたむきに考えている。


リリちゃんがその服を作るのは、ファッション部の子のいない裁縫室か、活動日ではない美術部の部室だった。先生に特別に鍵の隠し場所を教えてもらっていた私が美術室に向かうと、冷たい色のはがれかけた床の上にリリちゃんは置物のように座っていた。そして、私が来るのを確認すると安心したように笑うのだ。

リリちゃんは私の斜め前の席に座って、丁寧に折りたたまれた布を控えめに広げて、一つ一つ布のつながりを作っていく。私は、作業をしているふりをしてリリちゃんのことをよく見つめていた。もう、惚けてしまっていた。

リリちゃんはそのことに気づいていたかはわからないけど、私のパレットには干からびた絵の具がたくさん乗っていて、全部が全部水を求めているみたいになっていた。それはリリちゃんに出会う前の、出会いを探して空ばかり見上げていた私の姿に似ていた。

リリちゃんは乾いた絵の具に水をさすように、簡単に私のことなんて潤してくれた。


「小指、楽しいことを考えたの」


リリちゃんはいつもそう魔法を思いついたように笑って、私にある男の子の話をする。その男の子はここにはいないはずなのに、リリちゃんがあまりにも楽しそうに話すから私の中で具体的にイメージすることができるようになってしまって、自分に都合のいい理想の王子様のような存在になってしまった。リリちゃんはいつもその子が登校してきたら、どんなに楽しいかを話していた。

それは誰にも聞いてもらえなかった彼女の夢で、私だけが知る夢見がちな彼女の本当に望んでいることだった。




リリちゃんが灰になったその日のことを私は今でも霧のようなものがかかったモヤモヤした思考の中で、うまく思い出すことができない。

リリちゃんが骨とか肉とかそういうリリちゃんだったものを囲っていた容器ごと、溶かされてしまって灰になってしまったことを今も認めることができないからだ。

灰が空に舞っていくのを見たわけじゃないけど、黒い煙がモクモクと空に飲み込まれていくのを見て、リリちゃんは大人になることもなく、夢を叶えられることもなく、空に帰ってしまったのだと。

その事実だけが、その真実だけが、夢じゃないことを物語っていた。




リリちゃんが望んだことはリリちゃんがいなくなってから、ある少年の登場であっさりと解決してしまった。城鐘くんを見たときにリリちゃんの言っていた男の子と一緒で、ここにリリちゃんの理想があるんだと思った。

白鐘くんはどうしてここにいるのかを私はイマイチ理解することができなかった。白鐘くんは何も言わずにただ淡々と溶け込んでいく。

リリちゃんの残したいくつかの糸を拾うことも掴むこともなく、そこにいる。楽しそうに、時々驚いたように、笑いながらそこにいた。

だから、私はリリちゃんが灰になった日のことを覚えている人なんて一人もいないんだって思ってた。私以外は、きっともうリリちゃんのことを覚えている人なんていないんだって。そう、思った。


でも、白鐘くんが少し目を細めて、女の子たちの群れの中に何かを探すようにしているのを見たときに、この人はきっと、女の子たちの偶像の中にリリちゃんの面影を探しているのだと思った。

私がとうに思い出にしようとしていた女の子を今も思い出にできないまま、追いかけているんだと思った。

そこからは、きっとリリちゃんが思っていた通りだった。私は、白鐘くんを図書室に足止めして、美術室に置いてあったモデル用のウィッグをきて、走り出す。自分の吐いた息が熱くて、喉を焦がす。

あの日、リリちゃんの瞳に映っていた焦がれるような炎を、私は白鐘くんの瞳の中に見つけたかった。見つめていたかった。



「たまに百合子の幽霊をみるんだ」


美術室にある昔の先輩が作ったいびつな陶芸のコップに注がれたコーヒーは甘すぎてもうぬるくなっていた。白鐘くんがポツリポツリとこぼしていくように吐いていく言葉は、コーヒーに溶けて私の全身を巡っていく。甘さの奥に苦さが広がっていって、私は黙って、彼の言葉を飲み込むことしかできない。


白鐘くんの手の中にある手帳は鍵なんてもうかかっていなくて、あとはめくるだけになっていた。白鐘くんは私の顔なんて見ずにそれをじっと見つめている。瞳には迷いなんてない。


「ここに書いてあるのはなんなんだろうな」


「私席を外そうか?」


「いや、いい。そこにいて」


白鐘くんの手は震えていた。横に座る私はその左手に重ねる。熱が伝わって、溶けそうだった。疑念とか、懸念とかそういうのが溶けていく。少年から感じた不安さに。溶けていく。


リリちゃんの見慣れた字でかかれた文章は日記のようなものだった。その日あったことと、明日の持ち物とかのメモが整理されて綺麗に並べてある。それが数ページめくっていくと、見慣れないなにかの物語の写しのようなものにかわっていく。


『赤ずきん いつまでも変わらない狼にイライラしてる。』


「なにかの童話のうつしみたいなのかな?リリちゃんこういうの好きだったもんね」


白鐘くんは何も言わずにページをめくっていく。有名な童話の主人公の名前のあとに、一文が添えられている。

それが何ページも続いていく。最後は白紙で終わって、それを白鐘くんはもう一度ゆっくりとめくっていく。



「小指、答えたくなかったら答えなくてもいいけど、百合子が仲悪かったのってさ、4人くらい?」


「リリちゃんは素直じゃないから…でも、喧嘩したところを私が見たことあるのは、七瀬ちゃんとかえでちゃんかな」


「やっぱりその2人か。あと、もう一つ。普通科のハルってどんなやつ?」


「春くんはすごい美人の男の子だよ。リリちゃんとはたしかに付き合ってたけど、あ、でもそれはね、永遠ちゃんのすすめで」


「そっか。わかった、ありがとう。あとは、自分で調べてみる」


そういうと、白鐘くんは丁寧に手帳のページを一枚ちぎって、それを私に手渡す。


「これは多分、小指のことだから。」


そう言って、白鐘くんは私の頭を優しくなでて、美術室からでていく。

その仕草はよくリリちゃんが私によくしてくれたことと被って、2人の面影が重なる。

リリちゃんはもうここにはいない。白鐘くんも私もその面影を探して、見つけては、彼女がいないということを知る。そういう生き方しかできない。そういう生き方しか彼女にもう会うことができないのを、彼も私も知っている。


白鐘くんに手渡されたリリちゃんからの私に宛てて書かれたらしい届かなかった手紙。そっと、めくって文字を追いかける。

もう二度と追いかけることのできない彼女の存在を確かめるように。


『勇敢な親指姫。きっと夢を叶えてね。大好きよ』


私の心の何処かに溜めてあった涙をつくるための材料だったものが一気に混ざり合って、頬に冷たい水が伝う。

これはきっと、リリちゃんが灰になった日、泣くことのできなかった分。

親にすすめられた学園で居場所のなかった私に優しい心を向けてくれた女の子。きっともう会うことはできない、できないけど。それでも忘れることはできない。

私はきっと綺麗なものを見た時に、彼女を思い出す。思い出して、嬉しくなってそれからきまって悲しくなってしまうんだろう。それが私だけがしるリリちゃんの私にかけてくれた最後の魔法だ。





「七瀬」


眠たそうに、それでも完成された女子高生の姿で彼女は扉を開けようとして、声をかけた俺を一瞥して特に何の気持ちも抱かないといわんばかりに、あっさりと切り捨てるようにして挨拶をして中に入ろうとする。

去っていこうとするその腕を掴むと、驚いたように彼女が俺をみる。その目はあの日の目と同じだった。


「お前、百合子と」


そう言おうとして、唇に指が当たる感触に言葉を失う。七瀬は飽きたように俺を見つめて、それからまた嘘っぽく微笑む。


「百合子が執着してた男だからどんなかと思ってたけど、白鐘くんったらうじうじしてるんだもん」


「七瀬おれは」


「百合子もこんな童貞に執着して結局はうまくいかないんだもん。ただの陰キャラポエマーだったってことか。」


七瀬の美しく揃えられた髪型が本人の手で乱されていく。髪をかきあげるようにしたあと

、そう言って意地悪く微笑む。その言葉の棘はわざとらしく、おれに向けられている気がした。

その棘の中を進むことに少し躊躇したが、百合子のメモの内容が背中を押している気がした。振り向いたら。後ろにおれに都合のいい幻が立っている気がした。


「七瀬。お前が百合子のこと嫌いでも百合子はお前のこと、そんなに嫌いじゃなかったみたいだ」


「そう。私は殺したいほど、大嫌い」


少女という花に手を伸ばして、棘が刺さる。その棘の痛みに閉じていた瞳を開けると、そこにはもっと苦しい顔で俺を見つめる少女がいた。

七瀬は百合子をきっと殺していない。ただ、二人の間にはきっと何かあってそれは百合子と七瀬しか知り得ないことだ。

それを少しずつ解いていかないといけない。絡み合ってしまった糸を解いて何かが見えるとき、俺は初めて百合子の残した呪いと遺言のようなラブレターの意味を知ることができるのだろう。

窓からは四月の優しさを遠くに払いのけるような冷たさの五月の風が入り込んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

リリィ、僕を殺してくれ 芳野よだか @hositojigoku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ