恋愛アナフィラキシーショック

RAY

危機回避のメカニズム


 スズメバチに刺されたり毒ヘビに咬まれた経験のある人は、再度同じ目に遭ったとき、過度の呼吸困難や意識障害といった、命にかかわる症状が発現することがある。

 これは「アナフィラキシーショック」と呼ばれ、最初に攻撃を受けたときに体内にできた抗体が、同じ攻撃を受けることで毒に対して過剰な免疫反応を示すことで発症するもの。

 そこで、過去に毒による攻撃を受けた人は、同じ状況に遭遇しないよう細心の注意を払い、いわゆる「危機的な状況」の回避に努める。それが自らの死につながることを考えれば、当たり前のこと。


 彼女が初めて好きになった男は、はっきり言って、最低の男だった。

 どこがどんな風に最低なのか細かい部分は省略するが、見た目が良く、口が上手で、いつも笑顔を絶やさないことで、ウソをホントだと思わせる技量に長けていた――彼女は複数の彼女ストックのうちの一人に過ぎなかった。

 結果として、健気に尽くした彼女は大きなショックを受け、身も心もボロボロになって使い古された雑巾のように捨てられた。


 ただ、そのときの経験が糧となり、それ以降おかしな男に引っかかることはなくなった。


 言い換えれば、第一印象で「いいなぁ」と思った瞬間、彼女の中で危機回避システムが働くようになった。

 それは、瞬時に男の特徴を分析し「OK」か「NG」かを判定するもの。彼女を酷い目に遭わせた男と目の前の男とのマッチングを行い、特徴が被る場合は「危険人物」と認定するもの。


 皮肉なことに、彼女が好きになる男はいつもに似ていた。


 気に入った男が現れても、付き合うことはもちろん、気持ちを打ち明けることもままならない彼女。過去の重い出来事が、好意を抱いた男に背を向けさせる。

 瞬時に自己完結する恋心。同じ過ちを繰り返さないための自己防衛手段――頭では理解している彼女だったが、いつも心の中で葛藤が渦巻く。


『外見や話し方があの男とマッチしているからって別人でしょ!?』


 自分の中で、彼女はやり場のない怒りをぶつける。


『付き合ってみなければわからないじゃない!? 今度は大丈夫かもしれないじゃない!?』


 同じことを繰り返し訴え続ける。

 しかし、危機回避システムが出す答えはいつも「NG」。


『そもそも、こんなシステムが必要なの?』


 最後は同じ疑問にぶち当たる。

 しかし、その答えはいつも同じ。システムの存在意義が自分のプライドを守るものだと言うことを、彼女自身が理解しているから。


「あんな屈辱は二度と味わいたくない」。彼女はいつも思っていた。プライドの高い彼女にとって、あのことは死ぬよりもツライことだったから。

 そう考えれば、恋愛の可能性を事前に排除するやり方は、彼女の心が望んだものであり、彼女にとって最優先されるもの。


 とは言いながら、女のさがが生み出す、理屈では割り切れない思いが葛藤となって現れる。


 恋をした彼女は、いつも二つの複雑な思いを抱く。

 一つは「人を好きになる喜びと不安感」。もう一つは「人と決別する悲しみと安堵感」。そんな相反する思いが同時に存在しては、葛藤が起きるのは当然。好きになった相手の気持ちを確かめることなくサヨナラを経験するのだから。


 彼女は過去の経験を踏まえて「危機的状況」を回避しようとする。

 それは、アナフィラキシーショックを避けようとする行為と似ている。


 違うのは、彼女の場合、危機的状況を避けたとしても、結局は、心の葛藤に押しつぶされそうになり、別の苦しみを味わうこと。

 そう考えると、彼女が回避してきたのは、本当にと呼ばれるものだったのだろうか?


 スズメバチや毒ヘビに遭遇しないに越したことはない。

 自分の身体を守る「薬」の役目を果たす抗体が、ある状況下において「毒」へと変わるリスクを負うのだから。

 ただ、恋愛においては、若いときにヘビやハチに遭遇することは必ずしも悪いことだとは言い切れない。なぜなら、抗体がを改めて認識するときが来るのだから。


 恋愛アナフィラキシーショック――それは、危機的な状況ではなく、真の愛にたどり着くためのプロセスなのかもしれない。

 いつか彼女の過剰なまでの免疫反応をもってしても抗えない男がきっと現れる。そのとき、彼女は思うだろう。「長い間抱いてきた葛藤は、彼と出会うために神様が与えてくれたものだった」と。



 RAY

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