野良チョコ
人生
野良猫にチョコをあげてはいけない
・1
2月14日――バレンタイン。
女性が男性にチョコを贈る日、というとセクハラ扱いされてしまう昨今だが、それでも僕ら男子学生にとってそのイベントは何かを期待してしまうものだ。
僕はこの日、気になっていた女の子からチョコをもらった。
時間の経った今でもあの瞬間を思い出すとどきどきと鼓動が速まる。
あれは放課後、なんの収穫もなかった、今年もおばあちゃんからもらう一個だけだろうと諦めながら教室を出ようとしていた時だった。
クラスメイトの美少女、
「
広瀬とは何を隠そうこの僕、広瀬
クラス一の美少女(主観)からバレンタインの日に声をかけられたのはこの僕である!
胸が躍った。踊らざるを得ない。カーニバルだ。
「あの、これ……」
と、彼女が絶対チョコが入ってるとしか思えない、可愛らしくラッピングされた小箱を差し出してきたのだから。
しかも、頬を赤らめながら。
「広瀬くんに、良かったら……」
受け取らない馬鹿はいないだろう。僕はもちろん受け取った。遠慮なく、ありがたく。
そして。
「それから」
そこで終わってくれればよかったのだ。
「これ、
そう言って、赤い包みでラッピングされた中箱(明らかに僕のより一回り大きい)を差し出してきたのである。
……あ、知ってた。この展開、中学の時にも覚えある……。
高遠とは、高遠
つまり、モテるのである。
ちなみに僕はモテない。
ならもう自明の理だろう。
本命は高遠で、僕のはおまけにつくった義理チョコで。
「あ、うん……」
……世の中そううまくはいかないって、知ってたさ。
「…………」
そうして僕は高遠宛のチョコを預かった。
断れるはずもなかった。だって、渡してくれたら嬉しいって、恥ずかしそうに微笑みながら言うのだもの。
麗井さんは僕にチョコを渡すと帰ってしまい、一人残された僕は周りの男子たちから憐みの視線を向けられた。義理チョコもらっただけでもいいじゃん、そう肩を叩かれ、よろめいた。立っていられなかった。
好きだった、というわけではない。ただ、気になっていた。
でも――なんだろう、胸にぽっかりと空いた、この隙間は。
失意に沈みながら、僕は教室を出た。
校門へ向かう道中、体育館に向かう高遠と出くわした。
眼鏡が似合う高身長のイケメンくんはいつも通り爽やかな笑みを浮かべ、僕に「帰るのか?」と声をかけてきた。
渡すチャンスなら、まさにその瞬間だった。
だけど僕は――
「やっちまった……」
高遠にチョコを渡せず、そのまま学校を出てしまったのである。
麗井さんの本命チョコは、未だ僕の鞄の中にある。
心に出来た隙間に、どろりとした何かがわだかまっていた。
・2
そのまま帰るのも躊躇われ、僕は学校近くの公園で無意味に時間を潰している。
手持ち無沙汰だったので、麗井さんからもらった義理チョコを開封した。
手作りみたいだったから一瞬期待したのだけど、
「……なんだろう、しょっぱいな……」
本命ならきっと、こんな味はしない。
「かっ、辛い……!?」
きっと人生の味だろう。傷心の僕には辛辣すぎる。
近くにあった自販機で水を買い、ブランコに座って黄昏ることさらに十数分。
「さて……」
いい加減、現実に向き合うべきだ。
「これ、どうしよう……」
赤いラッピングが素敵な本命チョコを見下ろし、僕は自問する。
今から学校に戻って高遠に渡すか?
……でもこれも手作りだよな。麗井さんの。本命ってことは、気持ちをこめて作ってるわけで。きっと隠し味に愛なんか入っちゃってるんだろうな。
なんか、嫌だな……渡したくないな……。
「かといって持ち帰るのも……」
良心の呵責が。
既に他界している僕の両親もきっと、息子が託されたチョコを渡さず持ち帰るような真似をしたら悲しむだろう。
かといって、捨てる訳にもいかない。これは麗井さんがわざわざ作ったものだ。それに僕はおばあちゃんから食べ物は粗末にしてはいけないと言われて育ってきた。今だって、辛辣な味のする義理チョコをきれいに完食した。捨てるのは躊躇われる。
「じゃあ……これも食べるか……」
だけどもうお腹いっぱい胸いっぱい。
「はあ……」
何度目かも知れないため息をこぼし、間を埋めるようになんとなしに水をあおる。
と、
「……なんだろう……?」
さっきから気付いてはいたのだが、公園の外からじっと僕に視線を注いでいる少女の姿が目に入る。
しかも、気のせいか、徐々に距離を詰めてきているような気がする。
「…………」
近付くにつれ――少女がやたらと汚い身なりをしていることが分かった。
まるでゴミ箱に頭から突っ込んだかのような、いやむしろゴミ袋から生まれてきたかのような。
それに、なんだろう、僕というより、その目は僕の手の中にあるチョコを凝視しているみたいだ。
「えっと……」
もう完全に目が合ってしまっている。
僕は、つい出来心から、
「これ、食べる……?」
そんなことを言ってしまった。
「!」
僕の提案に全力で頷く少女。チョコを差し出すと、飛びつくように迫ってきた。
「ま、まあ落ち着いて。ほら、そこにでも座って」
彼女は僕から本命チョコをひったくり、隣のブランコに腰を下ろすと容赦なくラッピングを引き裂いた。びりびり、ばりばり。あぁ、僕の心も引き裂かれる。
そうして現れたのは、僕がもらったチョコとは異なる丸っぽい形をしたチョコだ。もしかするとケーキかもしれない。大きい。少女が涎を垂らす。それにしてもこの子、近くにいるとクサいな……。
「い、いただきます……っ」
と、掠れた声で口にすると――あぁもう取り返しがつかない――
「ッッッ」
少女がチョコにかぶりつく。
「…………」
僕はただただ、少女がチョコを消化していく様を見つめていた。
これでいい、これでいいんだと言い聞かせながら。
……麗井さんには、ちゃんと渡したと言えばいい。きっと気付かれない。高遠は毎年たくさんのチョコをもらっているんだ、一つくらい、いいじゃないか。
「ぐへっ、ぐへっ、」
「そんなにがっつくから……。ほら、水。飲みかけだけど」
少女は遠慮もへったくれもない。僕からペットボトルを奪うと、一気にあおった。そしてむせる。飢え過ぎだろう、いくらなんでも。
なんにしろ、これで証拠隠滅できたわけだ。チョコはもう、少女の胃袋へと消えてしまった。
「か、カレーの味がしゅる……」
「そんなまさか」
本命だぞ、それ。そんなわけないじゃないか。
「吐きしょう……」
「飲め。飲み込め。麗井さんの手作りだぞそれ!」
僕に言われるまでもなく、少女は残りの水をぐびぐび飲む。
相当マズかったのかなんなのか、それとも単に、これまで何も食べてこなかったから胃が驚いているのか。
……どっちでもいいや。
「……はあ」
チョコは消えたのに、僕の心にわだかまる何かは消えない。
「……じぃ……」
と、隣から視線。なんだよ、と振り返ると、少女は遠慮がちに、
「……まだ持ってない?」
「持ってないよ。そんなモテるように見える?」
「空腹で行き倒れそうな私を救ってくれた大恩人! 神様! ……イケメンっ」
「持ち上げてもないもんはないんだよ」
あと、思い出したように付け加えるな。
「……ちぇっ」
露骨だな、おい。
「だいたい何なんだよ君。こういっちゃなんだけど、クサいよ? 寝てる時とかハエとまってない?」
「失礼な。ちゃんと水浴びしてますー」
「水浴び……」
見たところ僕と同じくらいの年代だ。この歳でホームレス……。というより、家出でもしてるのかな。
ところでその水浴びだけど、どこでどうしてるかはさておき、この街で雨が降ったのはもう一週間くらい前の話だ。
それはさておき。
「今日ってバレンタインでしょ?」
「そうだけど。君からもらったチョコ食べたら絶対お腹壊すよね」
「だから、チョコ渡せなくて持ち帰ってそうな失恋女子さがして、この辺の学校の周りうろついてたんだよねー。ほら、こういう公園とかで、今年も渡せなかったな……とかたそがれてそうでしょ?」
「僕の話はスルーか」
「そうしてたら、きみを見つけたのだ。いやぁ、ごちさまでした」
幸せそうな顔してるとこ悪いけど、僕は全然嬉しくない。
今更ながら後悔がこみあげてきて、
「君が食べたチョコ、あれ、友達に渡すはずだったんだ」
「え? 友達って……男? え? そっちの人?」
「違うよ。女の子から……友達に、渡してくれって」
「え。」
少女が固まる。そうだよ。お前が食ったのはそういうチョコだったんだよ。
「な、なんてもの食わせるんだ!」
「有無も言わせず勝手に食ったのはそっちだろ……。まあ、もうどうしようもないよね。過ぎたことだ。チョコはもうないんだから。きれいさっぱり忘れよう」
話してちょっとすっきりした。
じゃあね、食べてくれてありがとう。僕はそう告げ、ブランコから腰を上げる。
と、そこで、僕は足元に落ちている、少女が破り捨てた包装紙に気付いた。
その中から、カードのようなものが覗いている。
僕が手を伸ばすより先に、少女がそれを拾い上げた。
「これ、なんだろう……?」
「……メッセージカードだろ」
「うん、た、たかとー? くんへ、て。わあお。名前書いてないけど、いかにも女の子って感じがしますね。……あれですね、青春ですね。心中お察しします」
「…………」
察するならとっとと消えてくれ。あとついでにそのゴミも片付けといてよ。
「ね、ねえ……きみ、ほんとにこのままでいいの? 後悔しない?」
「後悔も何も……チョコはないんだよ。君が食ったせいでね」
どうしろっていうんだ、今更。
「か、買って渡すとか……。ついでにわたしにご飯を……」
「なんて図々しいやつなんだ……」
「これくらい神経図太くないと生きていけない世の中なのだ……」
この子のことは、ともかく。
買って渡すという選択肢に、僕の心は惹かれつつあった。
このままだと、僕は麗井さんだけじゃない、高遠相手にもちゃんと向き合えないだろう。
この後悔を、一生引きずっていくかもしれない。
だって僕の神経は、この子ほど図太くは出来ていないから。
チョコを食べるたびにきっとこの日の後悔と、見ず知らずの少女の悪臭を思い出して苦い想いに駆られるに違いない。
「……だけど」
どうだろう。この時期にそこらのコンビニでチョコが手に入るだろうか。
それに、麗井さんは高遠のため、わざわざ手作りしているのだ。その代わりのチョコが適当な安物であっていいのだろうか。
……お前が言うなって話なんだけど。
「……そういえば」
両親の死後、僕は母方の祖母の家で暮らしている。
お菓子作りとか料理が趣味のおばあちゃんは毎年、僕にチョコをつくってくれるのだ。
……もしかしたら……。
「材料が残ってるなら……でも今更……」
「今からでも遅くないって! チョコつくるの? わたしも少しは手伝えるよ!」
「……味見だろ、どうせ」
もし、今からでも許されるなら。
急げば、まだ――
・*
……いっぽうその頃。
「子羊、もしかして彼氏にチョコあげたの?」
「お、お母さん! か、彼氏なんかじゃないよぉー……」
「……ヤバい。どうせ渡せないって思って変なもの入れちゃった……っ」
・3
「おう、どうした真純? 急に呼び出して」
辺りはすっかり暗くなっているにもかかわらず、高遠は校門前でまだ僕を待っていてくれた。
急いで駆けつけたけど、どれくらい待たせただろう。
それでもこいつは嫌な顔一つせず、笑顔で僕に声をかけてみせる。
こんなやつだから、僕は裏切れない。
「た、高遠……。えっとさ……」
ラッピングはあの少女が破いてしまったから、家にあったもので代用した。だけどなんだかお中元とかお歳暮みたくなっちゃってるけど……。
中にはちゃんと、麗井さんからのメッセージを入れてある。
「これ、お前に」
「……え」
差し出すと、高遠は呆然とした様子で、しばらく動かなかった。
やがて。
「お、おう……。ありがとな……?」
「……いや、いいんだ」
僕がこうしたかったんだ。こうしなきゃ、僕は前に進めない気がしたんだ。
でもこれで、きれいさっぱり忘れられる。
麗井さんとお幸せに。いやまあ、付き合うかどうかは分からないけど。
とりあえず、僕は彼女の気持ちをお前に届けたからな。
――後日、僕はとんでもない誤解をされていたことに気付くのだが、それはまた別の話である。
・4
「ただいま……」
高遠にチョコを渡して家に帰ると、おばあちゃんが出迎えてくれた。
「おかえり、真純」
「……あれ? あいつは?」
僕がおばあちゃんからチョコ作りを教わっている間、あの身なりの汚い図々しい少女はお風呂に入っていた。その後、チョコを味見するだけにとどまらず夕飯まで食べていこうとしていたはずだが――気付いたら、いなくなっていたらしい。
「書き置きなんか残しやがって……」
別に感動なんかしないけど。
でも、彼女があのチョコを食べてくれなければ、きっと僕はいつまでも踏ん切りがつかずにいたことだろう。
もしかすると彼女は、バレンタインで悲しい思いをする人たちの前に現れる、妖精のようなものだったのかもしれない――
「……なんて」
思っていたのだが。
――翌日。
「ただいまー」
「おかえりー!」
「なぜお前がここに」
野良猫にエサをやると、家に寄り付くようになると言うけれど。
「チョコのお礼に参りました」
「ホワイトデーは来月だが?」
野良チョコ 人生 @hitoiki
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