第32話 爆弾テロ犯(仮)、テイクオフ。

 

 滑走路脇の待機線の上。

 既にエンジンを温めているプライベートジェットの白い機体が、比較的小規模な飛行場の中で際立っていた。高音域の回転音が鼓膜を揺さぶる。一台の車両が近づいて来て、その傍に停まった。


 機体の後部ドアが開く音がして、出発直前の機内に大きな男が乗り込んでくる。男は客室に入るなりげんなりとした声を上げた。


「やだー。またジャズなんか聴いてるの? ほんとあんたって気取った趣味してていけすかないわ」


 白い革張りの座席にドカッと巨体を沈めて、隣に座った男がむさ苦しい風を起こす。すぐさまシートの背を倒して向かい合う席に足を乗せ、眠る体勢に入ろうとするのを、女は一瞥をやってからまた読みかけの本に目を落とした。


「よく我慢したわね」


 彼女なりの労いの言葉を男にかける。その言葉を無視して男は早々にアイマスクをかけて腕を組んだ。そこへ後ろのキャビンからグラスを二つ持ってきたブロンドの男が二人の間を取り持つように声をかけてくる。


「そう拗ねないでよ、リオさん」


 リオと呼ばれた筋肉隆々の男は、グラスに注がれたブランデーの匂いを嗅ぎつけて、アイマスクの端をちらりと持ち上げる。横目で優男の笑顔を見上げた。好みではないものの、整った顔立ちが視界に入るのは悪い気はしない。リオはイケメンの死神から素直にブランデーを受け取った。


「あんたがそう言うんじゃ、仕方なく許してあげるわ。純血と戦うチャンスを逃したことも、この気取った音楽もね!」

「ハハ、そうこなくちゃ」


 思った通りの反応に少しおかしそうに笑いながら、ノーアードは背を起こして座り直したリオの正面に座った。そして持って来たもう片方のグラスを、手を出すだけで読んでいる本から目を離しもしない女に渡してやってから、リオと同じように深くシートに背もたれる。

 珍しく長い息を吐き出して、ノーアードは女ボスが手にした分厚い本の背表紙に何気なく目をやった。布製の赤い表紙には、どことなくノスタルジックな字体で『Война и мир』と書かれていた。


 戦争と平和、ねぇ。

 トルストイか。なんかシュール。


 眉一つ動かさず、それどころか微笑みながら怪物の腹をえぐる女が読むにしては、違和感がすごい。そんなことを考えながら、もう傷の塞がった右の肩口を、新しいシャツの上からなぞった。

 そんなどこか焦点の定まらない横顔を、アイマスクを外したリオがグラスに口をつけながら眺めていた。


「やーねー。随分疲れてるじゃない」

「ええ、それはもう」


 声をかけられて視線を正面に戻す。

 グラスの中の氷をカランと鳴らすリオがこちらを見ている。ゴツイ手で掴む細工の美しいバカラが小さく見えた。


「いつも涼しい顔してるイケメン君を溜め息吐く程疲れさせるなんて、純血はよほどいい男だったのねぇ」

「強かったですよ。想像を絶するほど」

「え。……マジかよ」


 驚くほどストレートで素直な返事に、リオもうっかりオネェ言葉を忘れてしまった。自分より細身だとはいえ、ノーアードの肉体は戦士のそれ。美しくとも屈強に鍛え上げられている。ましてや自分たちは「赤い悪魔」を摂取した強化人間アーマードなのだ。コンクリートを素手で軽々と砕いて見せるノーアードに、掛値もなく「想像を絶する」と言わしめる純血の強さとは……。その姿を想像して、リオは思わず体を震わせた。


「はぁ~~!! やっぱりアタシが戦うんだった!! なんでよりによって人質のお守役なのよ! まぁあの子可愛かったけどさ!」

「リオさんなら、どんな勝負になっただろうなぁ」

「そうでしょ!? やっぱ気になるでしょ!? 力比べの殺し合いならアタシをおいて他にないってのよ!」


 丸太のような太い腕を二人の間ににゅっと差し出して力を込める。すると引き締まった筋肉がさらに岩のように盛り上がった。


「殺し合いじゃ困るから、連れて行かなかったんでしょ」


 リオ自慢の腕をよそに、二人の会話を聞き流していた女が、ぱらりとページをめくりながら水を差した。


「何が困るってのよ」

「万が一負けたらどうなると思うの」

「アタシが負けるですって?」

「ご自慢の無敗伝説を信じろとでも?」

「伝説じゃなくて真実よ。だいたい戦ってみなきゃわかんないってのが楽しいんじゃないの」

「それが困るって言ってるの。純血なんて希少種過ぎて力は未知数。これはビジネスなのよ、結末が不確かな戦いなんて困るの。頭を使って準備したお陰で、ちゃんとモノは手に入ったでしょ?」


 読んでいた本に栞を挟んで、程よく氷の溶けたブランデーを手に取ると、香りのよい琥珀色をひとくち喉の奥に流し込んだ。


「はぁーっつまんない。あんたはいつもそうよイエヴァ。何かと言っては人が暴れる邪魔ばっかり。アンデッド相手の時だっていつもいつも」

「その巨体で暴れられたら後始末が大変だからでしょ」

「アンデッドの死骸なんて死んだらあっという間に灰になっちゃうじゃない」

「死骸のこと言ってんじゃなくて、あんたのその馬鹿力で破壊される建造物のことを言ってるの」

「アタシが何壊したってのよ」

「この前、真夜中にパリの地下鉄メトロで爆弾テロ騒ぎ起こしたの誰よ」

「……爆弾なんて使ってないわ」

「むしろ使いなさいよ。使って騒ぎにしなさいよ。その方がまだマシだわ」

「なんでよ」

「おかしいでしょ? 爆弾も何もないのにホームの床や壁が穴だらけだったらおかしいでしょ?」

「まぁまぁ、落ち着いて」


 苦笑しながらノーアードが酒を一気に煽るイエヴァをなだめる。


「たしかにあの時は面倒だったね。テロ対策部隊まで出動しちゃって。調査してるのに爆弾の痕跡すら見つからないから新型兵器による無差別攻撃か、とか話がどんどん膨らむし」


 言いながらノーアードは、大騒ぎになったテレビ報道を思い起こす。


「政府筋の顧客から手を回そうとしたけど、適当な言い訳が見つからなくてどう収拾つけようかってさ。液体爆弾説、殺人ロボット説、局所的地盤沈下説……靴の妖精のいたずら説ってのもあったっけ」

「無理あるでしょ」


 リオの絶妙のツッコミにノーアードは笑いながら頷く。


「うん、でもそれくらい言い訳に困ったってことだよ。僕らの存在を表沙汰にするわけにいかないからね」

「まぁそりゃそうだけどね」


 イケメンのたしなめるような笑顔に、リオは横を向いて口を尖らせた。


「ノーアード。おかわり。あとチョコレートもちょうだい」


 ノーアードのフォローに納得したらしいリオを見て、イエヴァは空になったグラスを差し出した。そして再び閉じた本を開く。


「チョコレートあったかな。じゃあ探してくるよ。リオもおかわり?」

「ええお願い。次はリオスペシャルにして~」


 リオスペシャルとは、単にストレートのトリプルのことだ。

 はいはいと立ち上がって、ノーアードは二人のグラスを掴んで後方のキャビンへと向かった。

 まるでホテルのような内装のプライベートジェット。その機体後部のソファシートでは、ジャレッドとベルベロンがだらしなく寝転んで既にいびきをかいている。ベルベロンの足の上には、半ば乗っかるようにして背もたれに体を投げ出したスザクが座っている。ヘッドホン付きでゲーム機で遊んでいるので、こちらには目もくれない。ドットは、イエヴァたちよりさらに前方のシートに座っていた。そんないつもの光景に視線をやりながら彼らの間を通り抜ける。ゲーム中のスザクは一切飲み食いをしないので、ノーアードは自分たち3人とドットの分を入れて新たにグラスを4つ用意することにした。



 ノーアードが立ち上がって離れていくと、リオは再びアイマスクをかけて腕を組み、深々とシートを倒した。体を預けながら、大きく息を吐き出す。


「それで、“純血の赤い悪魔”はどうだった?」


 おもむろに隣で本を読むイエヴァに問いかける。

 イエヴァはまるで意に介さないような声音で答えた。


「別に。見た目はアンデッドほかのと変わらないわ」

「へぇ。それで、あんたは試したの?」


 聞かれてフッと小さな笑いをこぼす。

 読んでいる頁に目を落としたまま、おかしそうに答えた。


「あんな得体の知れないモノ、自分の体で試すほどバカじゃないわ」


 リオはアイマスクの端を持ち上げて、隣でくつろぐ女を横目見た。

 その視線を感じ取って、ロシア文学を目で追いつつイエヴァは前方を指刺す。その先には背もたれ越しに窓際に寄りかかり外を見ているドットが見えた。ブツの管理役はドット。いつも通りの配役。純血の血に興味がない者などいないだろう。だが仲間は誰一人手を出そうとはしていなかった。


「それもそうね」


 リオはアイマスクを摘まみ上げた手を離して、再び目を閉じた。


 永遠の命。

 無敵のパワー。

 神にも劣らぬ不思議な能力ちから


 アンデッドの物とは比べ物にならないという伝説の「純血の赤い悪魔」。そんなモノを欲しがるのは、欲にまみれた亡者たちだけ。せいぜい金を払ってたらふく飲んでくれればいい。自分たちは好きなことをして好きなところへ行き、好きに遊んで好きに暴れて、あとは適度に腹が膨れればいい。そうしていつか朽ち果てるまで、好きに生きられればそれでいいのだ。

 アイマスクで半分隠れた顔で、そんなことを考えながら口端を持ち上げた。



 夜の滑走路。

 プライベートジェットの窓の外では、遠くのターミナルや誘導灯の光がキラキラと煌めいている。

 機体は姿勢を真っすぐにすると、轟音を立てながら走り出した。

 外の景色が猛スピードで後ろに流れていく。

 そしてふわりと体を浮き上がらせ、死神たちを乗せて、夜空の光の中へと消えていった。





 飛行機の車輪が地面を蹴って空へ滑り出した頃。

 次郎の携帯には、残り時間がわずかに迫ったことを知らせる連絡が、ヒナからもたらされていた。






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うちのバイトのヴァンパイアが全然働かない事案。 @kohaku_wt

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