黄色い実が浮かぶ夜


 昔住んでいた家の風呂は所謂、五右衛門風呂でして、日が暮れると湯を沸かすために火をつけに行きました。まだ五つになるかどうかの幼い私は、その火がゆらりゆらりと揺れるのが好きでした。


 冬になると「少し熱めのお湯がいい」と祖母が言いました。そのため、私は釜戸の前に座って少しずつ要らなくなった雑誌を入れていきます。今思えば、幼い私一人で火の番をさせていた両親はお気楽な性格でした。私が親の立場なら、危なくて一人になんてしておけないですからね。


 幼い頃の私は水が嫌いでした。顔に水がかかると息が出来ないような気がして、私はシャワーも苦手でした。皆が楽しみにする夏のプールも私には苦痛な時間で、何故こんなにもはしゃぐのか理解をするのには時間がかかりました。

 それでも、湯船につかるのは好きでした。よく長風呂をしては逆上せてしまい、心配をかける子供だったと思います。


 釜戸番が終わると、私もお風呂に入ります。


 「おーい」


 父が髪の毛を洗い終えると名前を呼ばれます。それを待てず、フライングして入ったこともありました。


「もう来たのか」

「うん!」


 私は足を滑らせました。何故、そうなったのか。しっかりと浴槽の縁に掴まっていたはずでした。息が出来ません。苦しくて、怖くて、入りなれた温度がどっと熱く感じました。

 父は溺れた私をが助けてくれました。不思議なことに、お湯の中にいたはずの私がやけにはっきりと父の顔を覚えているのです。目を見開いて、慌てふためく姿を。

 そんなことがあってから、呼ぶまで来るなと念を押され、私はそれに従いました。



 時折、風呂の蓋を開けると実が浮いていることがありました。冬が多かったような気がするので、今考えれば冬至のゆず風呂ではないかと想像が出来ます。しかし、記憶の中には黄色だけでなく、赤のまるい実もぷかり、ぷかりと浮かんでいるのです。


 あれは林檎でしょうか。


 他にも丸い実が浮かぶ夜がありました。ゆずやカリン、林檎の香りのするお湯が特別な気がして好きでした。肌がほんの少しぴりっとするのですが、私はよくその実を手に持ち、香りを独り占めしました。



 窓を開けると、煙突から燃えた木のにおいがしてきます。肩までしっかりと湯船に浸かって温まる、とても幸せな冬の夜です。

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今日はお粥でいいですか。 二條 有紀 @yukinote07

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