大人しくしててくださいね?

「優姫さん、これ恥ずかしいんですけど……」

ははいはっへわたしだって……」


 床に仰向けに寝た僕の上に優姫さんが覆いかぶさっている。

 そしてその口にはチョコが……。


ふひふへへくちあけて

「口移しなんて僕たちには早いですっ!」

ははふはやくほへはうとけちゃう


 どうしてこうなっちゃたんだよ……。



 ~ ~ ~ ~ ~



 原因は今日の日付と数時間前にある。


 今日は2月14日。バレンタインデーだ。

 女子が好きな男子に、友達同士に、義理としてちょっと仲のいい人にチョコを送る日だ。

 もちろん僕もこのイベントを忘れていなかった。むしろ心待ちにしていたくらいだ。

 しかし考えが甘かった。


 事は下校時刻にまで遡る。場所は1階昇降口。僕、達也、桜――達也と桜は僕の友人だ――で帰ろうとしていた時の話だ。


「靴箱にもない、か……」

「諦めろ、来年に期待だ」

「私のがあるからいいでしょ」

「ありがと、桜」


 達也が素直にお礼を言った、だと……?

 僕と桜は目を丸くして達也を見た。


「どうした?」

「いや、あの達也が……」

「素直にお礼を言うなんて……」

「おい」


 相当落ち込んでるってことだよな。うん、どんまい。


「あの……島村くん」


 声のしたほうに振り向くとクラスメイトの女子生徒が立っていた。

 顔は赤く、手を後ろに隠していた。


「おっと、じゃあ遼、また明日」

「じゃあな~」


 2人ともニヤニヤしながら先に帰ってしまった。

 置いていくなよ……。


「あのっ、その……」

「うん、ゆっくりでいいよ」


 顔を真っ赤にして俯いている女子生徒。

 これはいわゆる告白なのだろう。バレンタインに合わせて、ということだろう。


「あのっ……」

「うん」

「……好きですっ、よければ受け取ってくださいっ!」

「えっと……」


 どうすればいいのか迷う。受け取っていいのだろうか? 彼女がいる身で?

 その時、僕の左腕が引っ張られて倒れそうになる。


「ごめんなさい。私の彼氏なの」

「ちょ、優姫さん?」


 優姫さんが僕の腕を取り彼女から離れようとグイグイ引っ張ってくる。


「あのあの……」

「そういうことだから受け取れないんだ。ごめん」

「はい……」


 優姫さんに腕を掴まれたまま引っ張られるように歩く。

 優姫さんの顔を見ると少し膨れているようだった。


「優姫さん、怒らないでください」

「怒ってないっ」


 見るからに怒ってる。顔も膨れているし目を合わせようとしてくれない。

 どうすればいいんだろう……?



 ~ ~ ~ ~ ~



 そんなことがあって優姫さんは爆発しているのだろう。


「あ~もう、わかりましたよっ」


 恥ずかしいが、とても恥ずかしいが(2回目)観念して小さく口を開く。やらないと優姫さんは収まらないだろう。

 目を閉じるのはせめてもの抵抗だ。


ひふほいくよ……」


 唇に硬いものが当たって口の中に入っていく。チョコが舌に触れて少し溶けた感触が伝わってくる。

 もういいだろうと目を開けると至近距離に優姫さんがまだいた。

 その頬は赤く、緊張していたのか体が固まっていた。


「……っ、優姫さん?」

「どう? 美味しかった?」

「美味しかったですよ」


 正直恥ずかしすぎて味なんてわからなかったが不味くないことは確かだ。ちゃんと飲み込めた。


「どうしてこの体勢のままなんですか……?」

「キスしたいな、って思ったんだけど……」

「ダメですっ」


 慌てて体を頭のほうにずらし、上体を壁に預ける。

 いきなり何を言うのか。心臓が止まりそうだ。


「逃げないで、チョコはまだあるから」

「もう勘弁してください、心臓が壊れそうなんです……」


 優姫さんはうっすらと笑みを浮かべながらにじり寄ってくる。

 反射的に下がろうと体が動くが後ろは壁。挟まれた……。


「遼くん。私たちもうちょっと先のことまでしてるよね?」


 ……ノーコメント。先を経験しているから前の段階が恥ずかしくないわけではない。

 優姫さんはいくら家に二人きりだからといっても羞恥心が無さ過ぎやしないだろうか。


「黙るなっ、答えないならキスしちゃうぞ」

「やめてくださいっ、心の準備が!」


 何だその新手の脅しは……。

 心の準備とか言ってしまったが本当にするつもりなのだろうか……? するんだったらあとチョコは何個あるんだ…………。


「心の準備できた?」

「わかりましたよ。食べきるまでやればいいんでしょう……」

「ちなみにあと2個あるけど?」

「やっぱり普通に食べるのは――」

「ダメ、ちゃんと私の唾液と一緒に食べるのです」


 そして舌なめずりをする優姫さん。吸血鬼の本能なのか獲物を前にした時の動作は全てなまめかしい。


「わざわざチョコを舐めなくても……」

「直接がいいならそう言って?」

「そうじゃないですっ」


 そう言っている間に優姫さんは僕の脚に跨って座り、肩を掴まれてしまった。

 体重をかけられてしまって容易には動けない。無理に動こうとすれば優姫さんが倒れる可能性があるし、僕自身この行為を内心ではやめようとは思っていない。

 ……ただちょっと心臓に悪いだけだ。


「いい?」

「まあ……」

「じゃあレベルアップね?」

「レベルアップ……?」

「舌に乗せたのを食べる?」


 ……レベルアップってレベルの話じゃない。進化してるレベルの話だ。


「ほら、やるよ?」

「……わかりました」


 優姫さんが舌にチョコが乗せて、それを突き出してくる。

 えっと……その……それだと舌に当たってしまうのだが……。

 優姫さんは変わらず僕の目を真っ直ぐ見ている。意思のこもった目つきで僕を睨んで聞くる。

 仕方ないのか……。諦めるしかないか……。


「ん」


 仕方ない、仕方ないんだっ。自分に言い訳しないとやってられないっ。


 舌の上側に口を当ててチョコを唇で咥え、舌からはがして取る。

 当然、舌に当たってしまう。


「んっ、わざと当てるなんて……遼くんのえっち……」

「仕方かったんですっ、優姫さんだってわざと当てにきてましたっ」

「それは……」


 目を逸らして頬を赤くする優姫さん。わざとだったんですね……?


「ちゃんと言ってください」

「いじわる……」

「優姫さんのことなら何でもわかりますからね?」

「知ってるわよっ……」


 優姫さんが頭を僕の胸に押し付けて両手で軽く肩を叩いてくる。

 相当恥ずかしかったようで全然顔を上げてくれない。


「ごめんなさい。僕が意地悪でした」

「反省してっ」


 大いに反省します。調子に乗りました……。

 おかげで優姫さんを赤面させられたわけだけど。


「もうっ、遼くんのバカ」

「いきなりの罵倒ですか……」

「私もう我慢できないかもしれないよ?」

「優姫さんならいいですよ」

「バカぁ……」


 僕の胸に頭をグリグリ押し付けてくる優姫さん。

 こういう反応が可愛い。ずっと見ていたいくらいだ。


「……しちゃうよ?」

「いいですよ?」


 すると優姫さんが顔を上げて僕の首に手を添えた。


「いいの?」

「どうぞ」


 目をつむり手から力を抜く。頭の中を空っぽにして何も考えない。


 しかし待っても首に当てられた手はそのままで首に痛みはやってこない。

 優姫さんが動いた気配もなくずっと僕の脚の上に佇んでいる。


「優姫さん……?」

「遼くん、私おかしいのかも……」

「どうしたんですか?」

「……こっちがいいの」


 そう言って優姫さんの指が僕の唇をなぞる。

 僕は目を開けられない。開けてしまえば優姫さんの唇を奪ってしまいそうだからだ。

 それくらい刺激の強いセリフを言っている。聞いている。


 お互いに時間が止まったように動けなかった。


「優姫さん、ちょっと退いてもらっていいですか」

「……うん」


 優姫さんが僕の横に向かい合う形で座り、僕は両足をたたんで体育座りをする。


「優姫さん、チョコはあと1個あるんですよね?」

「うん」

「じゃあ最後の1個、僕にください」

「元々遼くんのだけど、どうするの……?」


 僕は優姫さんの頭の後ろに手を伸ばし、もう片方の手で優姫さんの肩を押した。


「ちょっ、遼くんっ」

「チョコは?」

「これ……」


 優姫さんが脇にあった箱を渡してくれる。中には最後のチョコが1粒。

 それを手に取って眺める。優姫さんは何でも完璧だ。料理も洗濯も僕の扱いも。

 でも1つだけ僕が勝てる部分がある。

 優姫さんにゆっくりと力をかけて床に寝かせる。


「遼くん……?」

「大人しくしててくださいね?」

「待ってちょっとっ」


 優姫さんの口にチョコを咥えさせる。これで口を封じて同時に準備完了。

 優姫さんは全くわかってないみたいだ。目を丸くして僕を見ている。

 口のチョコが溶け始めて唇にチョコが流れる。


「じゃあ、いただきます」


 優姫さんの顎に手を当てて口に口を重ねてチョコを優姫さんの口の中に入れる。

 溶けたチョコがまとわりつく感覚と優姫さんの舌の柔らかい感触が僕の脳を溶かしていく。


「んんっ……ちゅ……」


 チョコの味と口内の温かさが舌を通して伝わってくる。

 優姫さんも目を閉じて互いの味を感じている。


 前に聞いたことがある。吸血行為は何も血に限らないのだと。体液ならば同じように効果が得られるらしい。

 つまり僕とのキスでも多少は吸血になるのだ。


 僕が上になるとどうしても唾液が優姫さんに流れてしまう。さらに今はチョコが合わさモノを優姫さんは少しずつ飲み込んでいく。

 苦しくなったので口を離して優姫さんを見る。


「優姫さん、大丈夫ですか……?」

「んっ、大丈夫……」


 頬を上気させて息は荒いがちゃんと体を起こしている。


「びっくりしたじゃない……」

「ちょっとしたサービスですよ」


 優姫さんが嫉妬してくれたことへの、ね。


「何のサービス?」

「……教えません」


 教えちゃったら多分図に乗るだろうし、口封じにもう一回しなくちゃいけなくなってしまうからね。


「もうっ、遼くんのバカ」

「バカでいいですよ。ホワイトデーのお返しは期待しててくださいね?」

「……うん」


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糖分多めの二人の日常 赤崎シアン @shian_altosax

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