第2話 アンデマウスとイデアポケット 2

 ガタッ

 隣の部屋から聞こえた物音を拾い、僕は目を覚ました。 浅い眠りの状態だったのだろう。 不快な起こされ方されたのに反して、頭はすぐに回転を始める。

「……イデアか?」


 窓の外は向かいの家の輪郭が見えないほど暗くなっており、時計を見ると針は深夜の三時を指していた。 

 イデアはここに来るとよく本を見ながら眠ってしまうことがある。 さっきの音はソファで寝てしまったイデアがどこかに身体をぶつけたのだろうか。


 深夜とはいえ、そろそろ血陣のチェックもしなければならない。 僕はもう起きてイデアをベットで寝かせてやろうと、アトリエへ続くドアを開く。 しかし、そこにイデアの姿はなく、すっかり冷めてしまったコーヒーの入ったカップと開けっ放しの窓がだけが彼女の足跡として残されていた。 僕は窓から入ってくる冷たい風に一度身体を震わせると、なにはともあれ暖をとるため暖炉にマッチで火をともした。


「イデアのやつ、また片付けもせず帰りやがったな」

 そう呟くと飲みかけのコーヒーを台所へと持っていく。 彼女は自分ではカップを洗ったりはしないが、お気に入りのカップに汚れが残っていると途端に不機嫌になる、不機嫌になったイデアの顔を思い出し自然と苦笑いが浮かぶ。


 カップを洗い終えると、一人暮らしには少々多すぎるぐらい食器類の整った棚の中から自分のカップを取り出し、あらためてコーヒーを淹れ直す。 お披露目の準備に気合いを入れるため買った、少し高めのコーヒー豆は残り少なくなっていた。 お披露目がうまくいったらもっといいコーヒー豆を買って、お祝いしよう。 いや、うまくいかなくても頑張った自分のために、いいコーヒー豆を買おう。 


 淹れたコーヒーの香りを存分に味わってから一口だけ口に含む。 口の中にコーヒーの芳醇な香りと雑味が口の中に広がり、先程よりも頭が冴えるのを感じる。

「さて、実験の続きを終わらせるか」

 机の前に座ると今日のお披露目のために書いた血陣の紙を手に取る。


 書いてある血陣は外側に書かれた大きな円とその中にあるいくつもの太い線によって構成されている。 慎重に太い線を見ると、細い線がいくつも枝分かれしたり、結合したりしながら円の中いっぱいに張り巡らせているのがわかる。 見るものが見ればこの線一本一本が意味を持ち、錬金術を成り立たせているのが分かるだろう。


 僕が書き上げた陣は、ご多分に漏れず、地味な効果を持っている。 石で出来た壁や岩に、この陣をくっつけて魔力を流すと決めてある形に石を切り取ることが出来るのだ。 石材の加工には大いに役に立つだろう。 とはいえ、地味であるには変わらないし、何より消費魔力が多い、陣が複雑すぎて量産できないなど、問題点はまだまだある。


 床に置かれている身の丈ほどの石材に、陣が書かれた紙を当てて魔力を徐々に流し始める。 陣を構成している円の部分が薄紅色に仄かに輝く。 一分程、魔力を流し続けた頃、陣が魔力を受け付けなくなり、その光は徐々に薄くなって静かに輝きを失う。 陣の書かれた紙を退かして見ると、石材には薄く線が引かれているのが見える。 しっかりと切れ目が入っているようだ。 


「どれどれ」

 石材の切れ目がある部分を引っ張ってみると、羊皮紙半分ほどの大きさの石の塊が、ゴトッと音を発てて落ちた。 切れ目の部分は滑らかで、目立つ凹凸おうとつも見られない。 成功だ。 一息つき、淹れてあったコーヒーを一口含むと、先程とは違う陣を取り出し、さらに実験を続けていく。


 それからお披露目までの間、石材を切り取る大きさを変えた陣や切り取る形を円柱型や三角柱形に変えた陣を試し、すべて問題ないことを確認する。 ふと窓の方を見ると空がうっすら白くなっているのが分かる。

 時計を見るといつの間にかお披露目の時間まで三時間を切っていた。 


「そろそろ行かないと」

 僕は急いで牛皮のハンドバックにお披露目用の陣を丸めて入れると、一年でお披露目の時にしか、着ない豪奢な上着を取り出し、それを羽織った。


 お披露目の会場まで歩いて四十分ほどの距離がある。 発表の時間まで時間があるとはいえ、一年間この日のために準備してきたのだ。 慎重に慎重を重ねても、いいだろう。 


 朝の街道には、街に住む住民たちがそろそろと起きだして仕事に向っている姿がちらほら見えた。 家から続く石畳の小道を抜けて広場に着くと、昼には人の波で満足に進むことも出来ない有様だが、今は市場に店を連ねる店主やら、その丁稚やらが開店の準備に忙しそうにしているのがわかる。


「見習い坊主! 今日は大事な日なんだろう、これ持ってけ!」

 声を掛けられた先を見ると、いつも市場に行った帰りに果物を買って帰る果物屋のバトンが、真っ黒な手に真っ赤なりんごを乗せて、こちらに差し出していた。

 顔を見れば彼の口の両端についている牙が鋭く光っているのが分かる。


 この街には、様々な獣人が住んでいる。 その中でも彼は珍しい黒豹の獣人である。 肉食系の獣人は生来、肉を好むことが多い。 だが、彼は森の集落から出てきて、初めて食べたりんごの甘さに魅了され、ここで果物屋を始めたそうだ。

 物好きな奴ってのは、人間でも獣人でもいるらしい。


「ありがとう。 頑張ってくるよ」

 僕はりんごを受け取って、お礼を言うと一口かじって見せた。

 バトンはそれを見てさらに牙を見せて笑う。


「もしお披露目が失敗したら、そのりんご代は払ってもらうからな」

「嫌なこと言うないでよ、バトンのおっちゃん」

 苦笑いでそう返すと、お披露目の会場へと歩みを戻す。


 会場に着き時計の時刻を確認すると予想より20分ほど時間が掛かっていた。

 途中、知り合いの魚屋やら、錬金術師仲間などから声を掛けられながら来たので、予定より時間が掛かってしまった。


 足早に会場の入り口へと向う。 会場は普段は王国の抱える騎士団が駐在している兵舎兼訓練場で行われる。 普段は騎士達が訓練を行っている広場では、王族と貴族が座る観覧席、領民達が座る下座が用意されている。


 観覧席のほうは石で組まれた二メートルほどの城壁のようなものが用意されている。 下から見ただけだけでは分からないが、その上には貴族達が座る豪奢な椅子が置かれているみたいだ。

 一方、下座の方はというと、これは地面に麻を引いてあるだけだ。 それでも、午後からの魔法使いの発表になると、下座のほうは祭りのように人が集まってくるのだから、魔法使い達がどれほど注目される存在かは押して知るべしである。


 ちょうど、下座の前を歩いていると、僕よりも頭一つ分は大きい大柄の男に声を掛けられた。

「おう、アンデマウス。 いい結果を今日は期待しているぞ」

 彼はこの城下の石工親方の一人である。 錬金術師の研究は、基本的にはお披露目で後援者を募り、その出資で研究を続けている。 錬金術師の中でも若輩ものである僕は、去年のお披露目では大した成果も出せず惨敗している。 

 そんな中、僕を拾ってくれたのがこの石工親方、アイゼンハウルであった。


 彼は僕が発表した、石を切断する陣に目をつけ出資を約束してくれた。 その資金は実験には十分なもので、そのおかげでかなり研究が前進したのは間違いない。

 僕は一年間支えてくれた感謝を込めて、彼に向って深々とお辞儀をする。


「期待していてください。 アイゼハウルさん、後悔はさせませんよ」

 それを聞くと彼は満足したように笑った。

「言うじゃねぇか、坊主。 楽しみにしてるぞ」

 そう言って彼は僕の背中を、その鍛えられた身体で強く叩くと下座の中央に堂々と座った。 叩かれた場所は火であぶられたように熱を発していたが、その痛みが彼の期待の大きさだと思うと、絶対に失敗は出来ない。


 気を引き締めて、普段は騎士達の兵舎として使われている発表者の控え室へと向う。 兵舎の前には中には入れない錬金術師の弟子や家族が、不安を押し殺せないのだろうか、兵舎の前を行き来している。


 僕は、兵舎の前で自分に言い聞かせるように、小さな声で呟いた。

「絶対にうまくいく。 期待してくれている人もいる。 大丈夫だ、大丈夫」

 錬金術師にとって今日はもっとも大事な日だ。 失敗は許されない。


 僕は、もう一度覚悟を決めると、兵舎に取り付けられている扉の取っ手を掴んだ。


 

 


 



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アンデマウスとイデアポケット 藤木 傍 @Greyjoy

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