アンデマウスとイデアポケット

藤木 傍

第1話 アンデマウスとイデアポケット 1

 実験の合間に窓から空を見上げて、今日もいい天気だな、なんて取り留めの無いことを考えながら、ずっと遠くまで広がる青色を眺めていた。 手元にはマグカップが握られており、少し啜ると独特の苦味と酸味が口に広がっていく。 中のコーヒーがすでに人肌ほどの温度になっていることを考えると、しばらく僕はこうしてボーっと突っ立っていたようだ。


「実験の続き、しないとな」

 そう呟いてみたものの、まったく動く気持ちにはなれなかった。


 それからまたしばらくそうしてやる気が湧いてくるのを待ちながら、コーヒーを啜っていると、急に一陣の風が吹いた。 風に驚いて閉じた目を開けると、そこには箒に乗って宙に浮く女性というには少々幼なさが残る少女がいた。

「アーデ、何してるの? 暇そうじゃない。 ちょっと一緒に外まで行かない?」


 彼女の名はイデア。 腰の辺りまで伸びる薄い琥珀色の髪を持った魔法使いである。 彼女は事あるごとに僕を外に連れ出そうとするが、彼女の言う”ちょっと”、とはたいていの場合、お隣の国や竜の住処であるから、油断してはならない。

 つい一ヶ月前にもそのちょっとのお出かけに付き合って、入ったら出られないと言われている森に踏み込み危うく死にかけたばかりなのだ。


「ちょっと、無視? 無視なの? 殴るわよ! いいの?」

 宙に浮く彼女を眺めながらコーヒーをさらに一口、二口と飲んでいると、彼女は拳を握り締めて窓のそばまで寄ってくる。


「イデア、君もお披露目にいくんだろ? 修行はいいのか?」

 その様子を見て、慌てて僕は彼女に話しかける。 彼女が殴ると言ったときは大体において本当に鉄拳を食らう。 大人しくしていればどこかの貴族と言っても通じそうなぐらい美しいが、中身は街のゴロツキと大差が無いほど短気なのが、イデアという少女である。


「わたしはいいの天才だから。 アーデこそ、のんびりしていていいの? お披露目は明日よ?」

 お披露目とは年に一度開催される、王家主催の錬金術師、及び魔術師による研究の発表会のことである。 参加する錬金術師は午前の間に、王族や貴族、同業者に向けて一年間の研究の成果を発表する。 錬金術は羊皮紙に書いた術式を使って、火を出したり、石を砕いたり、といった現象を発現できるが、正直地味と言わざるを得ない。


 この世界の人間は皆、魔力という力を体に備えているが、その魔力を現象として発現するには、魔力の別に、魔力を外界へと発露できる特別な体質が必要となる。

 錬金術はその体質がなくても魔術が使えるよう魔力を流しさえすれば、発動する血陣、あるいは単純に陣と呼ばれる術式の構成を研究、開発するのが仕事だ。 血陣とは、初めて錬金術を成功させた人物が自ら血で術式を書いたことから、そう呼ばれているらしいが事実かは定かではない。


 そんな錬金術師の反対側。 特別な体質を持ち、身体一つで現象を発現させることが出来る人間のことを魔法使い、あるいは魔術師と呼ぶ。 彼らは魔力を自由に発露、操作できるため、地味な成果しか出ていない錬金術に反して、派手で有益な術を次々と発現することが出来る。


 発表会は午前中に地味だが実益が見込める錬金術師の研究発表を行い、午後からは魔法使い達の魔術の技術を披露する派手な発表となっている。 大体の貴族は午後からの発表だけを観覧し、午前に来る人は軍の関係者や同業者などが多い。


 そんな現状があるからか、伝統なのか、錬金術師と魔法使いは総じて仲が悪い。 

 錬金術師からすれば自分達が何年研究しても出せない現象を簡単に行ってしまうのだから、頭では魔法使いが特別な存在なのだと分かっていても納得がいかない。

 魔法使いは魔法使いで錬金術など魔術のまがい物だと、軽んじる風潮があるので、それがまた、錬金術師達に怒りを煽っている。 


 そんな中、僕とイデアは例外的に仲が良いと言っていいだろう。 イデアの父、三年前に他界してしまったイアンデルカ=ポケットはこの街に住む錬金術師の一人であった。 彼は、長年この街で研究を行い。 ある日、町娘と恋に落ち、結婚をし、イデアを娘として授かった。 イデアが生まれたとき、僕はイデアの父親の弟子として住み込みで働き始めたばかりであった。


 あの頃のことは、良く覚えている。 当時、7歳だった僕は師の娘自慢に毎日何時間も付き合わされ、出産後すぐに働き始めた奥さんからはいつも子守を頼まれていた。 僕はイデアの世話ばかりしていたせいで、錬金術師の技術より先に子守の技術を覚えてしまったほどだった。


 それからイデアに魔法の才能が分かった5歳まで、僕とイデアはこの家に一緒に暮らしていた。 今、僕がアトリエ兼住居としているこの家は三年前他界した師から受け継いだもので、イデアの実家とも言える。 なので、イデアはよく魔法の修行を抜け出してここへ来るし、師匠の娘で妹のようなイデアを僕の方でも魔法使いだからと言って邪険に扱ったりはしない。


「お披露目の準備は終わったよ。 昨日から徹夜だったんだ。 さっきから全然実験の続きをやる気も出ないし、少し寝るよ。 ゆっくりしていくといい」

 本当は明日のお披露目の前に陣の実験を何度かやりたかったが、イデアが来たからには落ち着いて実験することなど、望むべくも無い。 一度休憩をして、早朝、太陽が昇る前から実験を始めれば、お披露目までには最後の調整も終わるだろう。


「なんだ、つまらない。 気分転換に森にでも連れて行ってやろうと思ったのに、引きこもり、根暗」

「この前、森で迷ったばかりじゃないか。 もうしばらく森は結構」

 イデアはひとしきり文句を言うと、ずかずかと部屋に入ってきて、いつもそうするように、お気に入りのカップにコーヒーを淹れ、茜色をした一人掛け用のソファに腰を掛けた。


「それじゃあ、僕は少し寝るから。 イデアも明日頑張れよ」

 仏頂面で錬金術について書かれている本を読み始めたイデアにそう声を掛けると、彼女はこちらを見もせず、手を振った。 


 ……これじゃアトリエの主人がどちらか分からないな

 僕はそう思い苦笑しながらアトリエから寝室へと繋がるドアを静かに閉めるのだった。


 

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