彼と私がだいじなの

 アイスキャンディー。

 差し出された冷たい甘味を、私は喜んで受け取る。半透明のアイスキャンディーには、缶詰の果物が入っている。それは季節の和菓子のように。寒天に泳ぐ金魚のように、氷菓子を透かして、みかんが泳ぐ。

 ここは、どこだったろう。アイスをくれた、この人は誰だったろう。

 壁も床も見覚えがあり、しっくりと馴染む。だから気にする必要はない。たとえ記憶にないとしても。

 アイスキャンディーは、溶け始めていた。ああ、いけない。焦るでもなく自分を戒め、左手の氷菓子を見る。中に泳ぐ金魚。みかんでできたはずの金魚。ただのみかんであるはずの金魚。けれど、みかんではあり得ない動きが、そこにあった。

 金魚が、泳いでいる。まるで泳いでいるような、ではなく、アイスの中で金魚が動いている。

 早く食べなくては、と思った。もしかして今まで食べたみかんも、本当は金魚だったんだろうか。溶けたら金魚になったんだろうか。今ならまだ間に合うだろうか。今、アイスにかぶりついてしまえば。ガリガリと音をたてて噛み砕いたら、凍ったみかんを噛み砕いたことにならないだろうか。

 改めてアイスを見おろし、無理だと観念する。もう、みかんと言い張るには、それはあまりにも金魚だった。ふたつ見えていた缶みかんは、今はどう見ても2匹の金魚で、うち1匹に至っては溶けたアイスの中を楽しそうに泳ぎ回っている。小さな水槽と化したアイスキャンディーは、まだ下のほうが凍っており、もう1匹の金魚の後ろ半分が氷漬けになっていた。丸い口をパクパクさせて、金魚はそこから動けない。

 大人にきく。金魚を助けて。返事は、私のほしいものではない。アイスが溶けてしまう。金魚の水がこぼれてしまう。いちど冷凍庫に入れなくちゃ。時間稼ぎをして、金魚を助ける方法を探す。わからない。わからない。

 冷凍庫を開けると、思ったより凍っていた。片方の金魚は、やっと口を動かしている。もう片方が元気づけるように近寄る。

 顔を上げた。


 顔を上げると、彼がいた。

「さっちゃん」

 髪を漉いてくれていた。アイスの金魚は夢だったのかと、徐々にまわりを知覚してゆく。髪からただようシトラスの香りと、それからたぶん

「お昼ごはんは冷凍祭りだよー」

 冷凍庫の開け閉めが見せた、夢。

 半分凍った金魚のように、口をパクパクさせる私に、彼が何かを差し出した。

「あーん」

 それは常温のシュウマイだった。

 冷蔵庫のコンセントは、彼が抜いてくれていた。当然、冷凍食品はみんな自然解凍されているのだった。お昼ごはんの冷凍祭りとは、これら冷凍されない冷凍食品をお腹におさめるということだろう。

「はい、もぐもぐ」

 言われた通りにもぐもぐする。もぐもぐ。やわらかい。もぐもぐ。

「父上と母上が初めて会ったときにねー、僕もそこにいたんだよー」

 語りだしは唐突で、天気の話でもするように、ぼんやりと耳をかたむけた。とけたシュウマイを咀嚼しながら、これって生誕秘話なんじゃないかと気付いたけれど、彼のとんでもエピソードはシュウマイと一緒に柔らかく語られ、私の中におさまった。

「何それスキャンダラス」

「でしょー」

「あー、だから同学年かー……てっきりスピード結納からの、スピード子作りかと……」

「ふっふっふー、じつは最初から子作りは終わってたんだなー」

「まじかー」

 と、いうことは、なんだ。

 私が花西だ財下だ気にしてたのは、なんというか、むちゃくちゃどうでも良かった、のかな。いや最初からどうでもいいんだけど、思った以上にどうでも良かったというか。

 解凍されてビショビショになってるホウレン草のおひたし。口に運ぶと微かに甘いけれど、ホウレン草の風味より水気が勝る。

「汁とんでる」

 彼の指が、私の涙を拭いてくれた。

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静電気彼女 笠井ヨキ @kasaiyoki

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