最終章 カリーの災難
三人への聞き込みが終わり、覆面パトをコンビニの駐車場に停めて、私たちはアイスを食べていた。
「どうよ、
「うーん……」
運転席でアイスを舐めている
「まず――おっと」
溶けたもも太郎の滴が落下しそうになったのを、理真は舌で受け止めた。白いTシャツに桃色の染みがつくことを見事防いだ。そのまま、もも太郎、ガリガリくんと交互に囓りながら理真は、
「ひとり目の
「怪しい、と」
丸柴刑事も、溶けかけたソフトクリームを急いで処理にかかる。
「うん。でもね、盗みはともかく、畑山さんが他殺だとしたら、殺し方が浪江さんぽくないと思わない?」
「確かに。あの体なら、パンチ一発で畑山さんをあの世に送れそう。パンチは冗談としても、絞殺とか、もっと直接的な手段に訴えそうよね。わざわざアレルギー食品入りのカレーを食べさせるってのは、違う気がする。畑山さんも素直に食べないでしょ、そんなの」
「次に、元カノの
「うん。彼女の畑山さん評、ボロボロだったもんね」
「しかも、アレルギーは知っていたし、横領も感づいていた。殺し方も一番それっぽいけどね」
「そうね。力では敵わない女性ならではの殺し方って感じがするね。別れたあとも、外村さんはあんなだったけれど、畑山さんのほうは未練たらたらだったみたいだから、元カノに言われたら、カレーくらい簡単に食べるでしょうね。最後に会った
「アレルギーを知っていて、横領に感づいていたというのは、外村さんと一緒ね。でも、
「分かる」
私は思わずスプーンで前方座席をさした。丸柴刑事も、
「そうね。後ろめたいとか、何か隠し立てしようとか、そういった雰囲気が皆無だったね」
「しかも、全員アリバイは不明……。何だろう。出発点が間違っているのか……。そもそも、畑山さんが自ら出前を取ったことは明らかなわけだし……。やっぱり不幸な事故? でも部屋が荒らされてるのは事実……。よし」
理真は、二刀流のアイスを完食して、深く背中を預けていたシートから上体を起こした。それを見た丸柴刑事は、
「何? 何か名案でもあるの?」
「もう一個アイス買ってくる」
「おなか壊すわよ」
「由宇と丸姉もいる?」
「いらねーよ」
「もうすぐ夕ご飯でしょ」
私と丸柴刑事は呆れた声を上げた。理真の胃袋が二十四時間無休で稼働しているのは、いつものことだけれど。ドアレバーに手を掛けて車外に出ようとした理真は、
「あれっ?」
と言って動きを止めた。「どうした」私が訊くと、フロントガラスの向こうを指さして、
「あそこにいる人、〈カリカリー〉の厨房にいた人じゃない?」
ん? どれどれ、と運転席と助手席の間に身を乗り出して見ると、
「ああ、そうかも。もうお仕事終わりなのかな?」
確かに、色黒で彫りが深く、口髭を生やした男性がこちらに向かって歩いていた。このコンビニに買い物に来たのだろうか。丸柴刑事も、「そうね」と同意した。
「でも」と私は近づいてくる男性を見たまま、「本当、日本人に見えないね。あの人を見たら、十人中十人がインド人だって言うよ」
「確かに」と、ここでも丸柴刑事は同意する。
「ちょっと、挨拶してくるか」
そう言って理真は車を降りる。私と丸柴刑事は顔を見合わせて、それじゃあ、と理真についていくことにした。
「こんにちは」
理真が男性を呼び止めた。すると男性は立ち止まり、彫りの深い顔に、きょとんとした表情を浮かべて小首を傾げる。理真はさらに近づいて、
「先ほど、カリカリーにお邪魔しました。
「オー、カリカリーのお客さんデスカー」
笑みを浮かべ、思いっきりカタコトの日本語で答えられた。ん? あの店は店外でもキャラクターを貫くことにしているのか? 私と丸柴刑事は再び顔を見合わせる。理真も、あれ? という顔をしていた。
「あの」と理真は、「失礼ですけれど、お名前は?」
「ワタシ、ハッサン言いマース」
「ハッサン? え? 本名ですか?」
「モチロン、そうですヨー。今日はお休みいただいてマース」
「あっ! 失礼しました。私、てっきり今日厨房にいらした方かとばっかり……」
「オー、それは、アミットですネー。彼の作るカリー、ベリーデリシャスですヨー」
「今日、厨房にいらしたのは、アミットさんという方でしたか……あの、これまた失礼ですけれど、ハッサンさんとアミットさんは、インドのご出身で?」
「そうデース。カリカリーで日本人は、店長のタナカ、いや、ダルシムだけですヨー」
「そうだったんですか!」
何と。勘違いをしていた。インド人にしか見えない店長が、実は日本人だと聞いたため、私は(もちろん、理真、丸柴刑事も)てっきり店員全員が日本人だと思っていたのだ。移動中の車中で、「よくあんなに色黒で彫りの深い日本人ばかり集められたね」と三人で話題にしていたのだ。しかも、理真は厨房にいたアミットなる人と、目の前のハッサンを間違えるという失態まで犯してしまった。記憶力の良い理真には珍しいことだ。理真がそのことを改めて詫びると、
「ハハ。気にしないでくだサーイ。私も、逆に日本人の顔はなかなか区別をつけづらいデスからネー」
と、ハッサンは笑った。ばつが悪そうに頭を掻いていた理真だったが、ハッサンのその言葉を聞くと、真面目な顔になって、
「……ハッサンさんって、あの事件のあったアパートに出前に行った方ですよね?」
そうだ。どこかで聞いた名前だと思っていたら。カリカリーでダルシム店長が言っていた。事件の日に畑山の部屋に出前に行ったのが、ハッサンなる店員だったと。
「丸姉、ファイル貸して」
理真の要請で、丸柴刑事は車から事件のファイルを持って来て手渡した。理真はページをめくりながら、
「すみません。実は私たち、警察とその協力者なんです。事件について少し、お話伺っても?」
「ええ、構いませんヨー」
協力を取り付けた理真は、
「ハッサンさんが出前に行ったとき、部屋にいた人は、確かにこの人でしたか?」
畑山の写真が載ったページを見せて訊いた。少しの沈黙のあと、ハッサンは、
「はい。そうだと思います」
幾分か自信なさげに答えた。
「もしかして、ハッサンさん」と理真は、「断定するほどには自信がないのではありませんか? 日本人の顔の区別がつけづらくて」
「オー、探偵さん、鋭いですネー。実はそうなんデス」
ハッサンは正直に告白した。私と丸柴刑事は三度顔を見合わせる。
「警察の人には、『たぶん間違いないと思います』と言ったんですけれどネー。それで納得してもらえたみたいでしたカラ」
恐らく警察は、ハッサンがインド人だということを忖度してくれたに違いない。理真は、何か考え事をするように地面に向けていた視線を上げて、
「それはいいです。ハッサンさん。出前に出た人のことを、もう一度私たちに聞かせてくれませんか?」
ハッサンの証言によると、アパートの303号室に出た人物は若い男性で、グレーのジャージを着ていた。このジャージは死亡時に畑山が着ていたもので間違いはないという。そのジャージがハッサンの好きなブランドの製品だったため、それはよく憶えていたそうだ。左手を常にポケットに入れていたというのも、店長を介して聞いたのと同じ。身長は百七十センチくらいで、体格は中肉中背。顔の見分けは付けづらいが、身体的特徴については自信があるとハッサンは証言した。身長体格は、畑山のそれと間違いなく一致するが。
「そうですか……ご協力、ありがとうございました」
理真が礼を言って、私と丸柴刑事も頭を下げると、ハッサンもお辞儀をしてコンビニ店内へと消えた。理真は、ファイルを左手に持ったまま、右手人差し指で唇を触っている。これは理真が考え事をするときの癖だ。
「丸姉!」理真は顔を上げて、「話を訊きに行きたい」
「いいわよ。どこへ?」
「それはね……」
私たち三人は覆面パトに乗り込んだ。
呼び鈴を押す。しばしの沈黙が続いてから、どたどたと物音がして、ゆっくりとドアが開かれた。
「すみません、警察ですけれど」
先頭に立った丸柴刑事が、細めに開かれたドアの隙間に向けて警察手帳を開示する。
「知っていることは全部話しましたけれど……」
今日会うのは二度目だ。昼間とは違い、その声には若干の怯えが含まれているようだ。対して丸柴刑事は、毅然とした声で、
「実はですね。指紋をご提供いただけないかと思いまして」
「……どうしてですか」
「現場から、持ち主不明の指紋が検出されまして」
「……僕は……殺してません」
「誰もそんなことは言ってませんよ。畑山さんのことは、事故の可能性が高いとしか報道されていないはずですが」
「……」
「それとも、殺してはいないけれど、盗みは働いた、という意味のことですか?」
「なっ……」
「あなた、事件のあった日、カレーは食べましたか? この近くにある、カリカリーというお店のカレーを」
「な、何ですか突然……いえ、食べてませんよ」
「そうですか。ちなみにですね、カリカリ―では、毎日スパイスを調合してカレーを煮込むので、その日によって成分が若干違ってくるそうです。亡くなった畑山さんが食べていたカレーと、あなたの靴下にしみ込んだカレーの成分が一致するか、それも調べさせてもらいたいんです。今日は瓶と缶を捨てる日のため、まだ処分はしていないと思うのですが――」
丸柴刑事がそこまで言ったとき、突然ドアが閉められて、部屋の奥に向かって走る足音が聞こえた。続いて窓を開ける音、さらにガタガタと音が聞こえるのは、ベランダの手すりに乗り上がって下の階に逃れようとしているのか。直後、
「警察だ! 逃げられんぞ!」
ベランダの向こうに待機していた刑事の声が、部屋を通してここまで聞こえてきた。
304号室の住人、
「倉岡さんは、隣人の畑山さんが大金を隠し持っていることを知っていたのね。恐らく、畑山さんがベランダで煙草を吸いながら友人の鶴見さんと電話をしているとき、倉岡さんもベランダにいて、そのときの声が聞こえてきたんでしょうね」
「それで、そのお金を狙っていた」
県警の応接室で、理真、私、丸柴刑事は、事件の総括をしていた。理真の推理と、倉岡自身の供述によると。
事件のあった日。畑山は、カリカリーでガラムマサラチキンカレーをテイクアウトで購入した。お昼の混雑時に大量に訪れた客のひとりであったため、畑山がここでカレーを購入したということは誰にも知られていなかった。ただでさえ、インド人の店員には日本人客の顔の区別は付けにくい。
アパートに帰った畑山は、冷蔵庫からペットボトルの水を出し、さっそくキッチンでカレーを食べ始める。そこで不幸な事故は起きた。畑山は、カレーに入っていたカシューナッツによるアナフィラキシーショックを発症してしまったのだ。そのときの呻き声や、テーブルに突っ伏した音を、隣の304号室で倉岡は聞いた。
何事が起きたのかと隣の303号室を訪れる倉岡。玄関ドアに施錠がされていなかったのは、結果的に倉岡にとって不運となった。鍵が掛かっていて中に入ることが出来なければ、この一件は不幸な事故として終わっていたに違いない。呼び鈴を押しても応答が返ってこない。訝しんで室内に踏み込んだ倉岡は、キッチンのテーブルに突っ伏している畑山を見つけた。畑山のアレルギーのことなど当然知らず、何が起きたかは分からなかったが、倉岡は畑山の生死の確認はしなかったという。もう死んでいるものと思っていたと。ここが最後の分岐点だった。倉岡が救急に通報して早急に手当てを施していたなら、畑山に助かる可能性が残っていたのはもちろん、彼自身も犯罪を犯すことはなかった。が、倉岡はこれを好機と捉えてしまった。隣人が隠し持っている金を奪う好機だと。倉岡はギャンブルで多額の借金を抱えていたのだった。
キッチンを抜けて部屋を漁り、倉岡は現金を発見。部屋を物色した形跡を消し(もっとも、捜査第三課の刑事の目は欺けなかったわけだが)、あとは現金を持って何食わぬ顔で自室に戻るだけ。だが、ここで思いも寄らないアクシデントが倉岡を襲った。キッチンのテーブル、畑山が突っ伏しているテーブルの横を通り抜ける刹那、倉岡は床にこぼれたカレーを踏みつけて足を滑らせてしまう。アナフィラキシーショックの苦しみで、畑山がスプーンをカレーをすくったまま取り落としてしまったものだった。バランスを崩した倉岡だったが、咄嗟にテーブル上に手を突いて転倒するのは免れた。だが、その手を突いた場所が最悪だった。そこは、カレー容器のど真ん中。倉岡は、畑山の食べかけのカレーに手を突っ込む形になってしまった。
手を引き抜いた倉岡だったが、当然、自身の手はカレーでべっとり。しかも、テイクアウト容器の底には、カレーが朱肉となる形で、自分の指紋がはっきりと残ってしまう結果となった。「こんなものをそのままにしておくわけにはいかない」倉岡はカレーの処分にかかった。まず、手に付着したカレーを洗い流さなければ。倉岡は流しに立って水道の蛇口をひねった。が。
「断水か」
丸柴刑事が言った。理真は、「そう」と頷いてから、
「その時間、アパート全体が断水状態にあった。それに気が付いた倉岡さんは、手を洗うために水道以外のものを使わざるを得なかった」
「それが、畑山さんがカレーを食べるために一緒に用意した水」
「そう。でも、それだけでは全然足りなくて、冷蔵庫にあった他のペットボトルの水も使う羽目になったのね。で、何とか手を洗い終えた倉岡さんだけど、もうひとつ、処理しなければいけないものがあった」
「自分が手を突っ込んでしまったカレーか」
私が言うと、理真は、
「その通り。何せ、容器の底には、指紋がカレー印となってはっきりと残っているんだからね。トイレに流そうにも、ここでも断水が立ちはだかった。トイレにカレーが捨てられていたら、絶対に怪しまれるものね。やむなく倉岡さんは、カレーは容器ごと自分の部屋に持ち帰ることにした」
「その容器もゴミ箱から見つかったわ。一応洗ってあったけど、畑山さんの指紋が検出された、水で洗ったくらいじゃ、指紋は消えないからね」
丸柴刑事が言った。廊下で挨拶を交わす程度の付き合いしかなかったはずの畑山の指紋が付いたカレー容器を、どうして倉岡が持っているのか。これは大きな証拠となるだろう。理真は続けて、
「でも、カレーを容器ごと持ち帰って、これで終わり、とはいかなかった。この不自然な状況を何とかしなければならない。カレーがなくなったままにはしておけない。このまま畑山さんの死体が何らかのきっかけで見つかったとしても、カレーがないのは不自然すぎる。畑山さんが実際に食べた量から考えれば、カレーが残っていないのはどう見てもおかしい。
倉岡さんは、畑山さんがカレーを購入したレシートを見つけて、畑山さんがカレーをテイクアウトした店から、また同じカレーを調達することにした。現場をこのままにして買いに出るのはリスクが高すぎる。どこで誰に目撃されてしまうか分からない。でも、幸いなことに畑山さんが利用した店は出前も受け付けていた。倉岡さんは畑山さんに成りすまして、同じメニューを出前で注文して、畑山さんから脱がせたジャージを着て出前に応対した。死後硬直も起きていないから、ジャージを脱がせたり、また着せたりすることも可能だったのね。ここが倉岡さんの犯行最大のギャンブルだった。自分が畑山さんと同年代で背格好も似ていることから、
「出前担当が、インド人のハッサンさんで、日本人の顔の見分けがつきにくい人だったのも、倉岡さんには幸いしたんだね」
私が口にすると、理真も、「そうね」と言ってから、
「出前への対応が右手だけで行うという不自然なものになったのも、顔よりもそっちに意識を向かわせることになって、倉岡さんにとって幸いしたのかもね。倉岡さんがカレーに突っ込んでしまったのは左手だった。冷蔵庫にあったペットボトルの水を総動員しても、カレーを完全に洗い流すことは無理だったのね。だから、倉岡さんは終始、左手をポケットに入れたまま出前に対応した。カレーが付着した手を見られたら、『何だこれは』って怪しまれてしまうもんね」
ハッサンが目撃した、常に左手をポケットに入れたままの客、その理由がこれだったのだ。
「キッチンにあった皿にカレーを盛ってもらった倉岡さんは、最後の仕事にかかる。新たに出前で取ったカレーを、畑山さんが食べた程度の分量だけ、実際になくしてしまわなければいけない。畑山さんが使っていたものや、キッチンにあるスプーンを使うわけにはいかない。断水してるから使ったあとに洗えない。絶対に唾液が残ってしまうからね。おそらく倉岡さんは、手づかみでカレーを食べたんでしょうね。ちょうどいい分量を食べ終えたら、手で食べたことが分からないように、畑山さんが使っていたスプーンでカレーを適当にすくう。ここで倉岡さんはミスを犯してしまった。畑山さんがカレーを食べていた、という状況を再現しようとするあまり、落ちていたスプーンをテーブルの上に置いてしまった。アナフィラキシーショックの苦痛に苦しむ畑山さんが、わざわざ落ちたスプーンをテーブルに戻すなんてこと、するわけがないのに。そこには気がつかずに倉岡さんは、最後に床にこぼれたカレーを、踏みつけた靴下でついでに拭い取って。これで偽装工作の完成。床のカレーは完全に拭いきれなくて、フローリングの隙間に残っちゃったけれどね。」
理真は話を終えると、出してもらったアイスコーヒーに口をつけた。
「でも、理真、どうして窃盗犯が隣人の倉岡さんだって分かったの? それと、畑山さんの死がやっぱり事故だったってことも」
私が訊くと、
「ハッサンさんから、日本人の顔の区別がつけづらいって聞いて、もしかしてと思ったの。ハッサンさんは、ジャージと体格で出前に応対したのが畑山さんだったと認識しているだけなんじゃないかって。で、そう考えると、三人の容疑者は全員、畑山さんに成りすますのは無理でしょ。いくら同じジャージを着たとしても」
「ああ、確かに」
バイト仲間の浪江は、体の大きい筋肉質。元彼女の外村は女性。高校時代の同級生である鶴見は、背が低くて太め。いずれも身長百七十センチで中肉中背の畑山とはシルエットが全く異なる。
「出前に対応した畑山さんが偽者だったかもしれないとなると、アレルギー食品の入ったカレーを食べさせるっていう殺し方に相当無理が出てくるじゃない。そんなことが出来そうな元カノの外村さんは女性だから、畑山さんの成りすますことは絶対に無理。だったら、畑山さんの死はアクシデントだった可能性が高い。盗みは、それを利用して行われただけなんじゃないかって。そうであれば、畑山さんとの関係性は度外視して、近くにいる人間が怪しい」
「なるほど」
最後の決め手として、私たちは倉岡の部屋を訪ねる前に、彼のアリバイ証言をしたというコンビニ店員に話を聞いていた。
「ああ、あの男の人なら、この前も警察に話した通り、確かに午後二時過ぎくらいに店に来ました。どうして憶えていたかって? 話をしたからです。その人、レジ打ちの最中に、『今日は特別暑いね』とかしきりに話し掛けてきたから、記憶に残っていたんですよ。そのときの様子? ……ええ、確かに言われてみれば、汗をかいていたみたいでしたね。急いで走ってきたような。まあ、昨日も暑かったから、別段気にも留めませんでしたから、昨日の刑事さんたちには、確かに写真の男が午後二時に来ていた。としか言いませんでしたけれどね。……ああ、言われてみれば、確かに左手はずっとポケットに入れていたかもしれません。……そうです。ペットボトルの水をお買い上げいただきました。二リットルの大きいやつを」
店員のその証言を聞いた理真は、倉岡が畑山の隠し持っていた現金を盗んだうえでアリバイ工作をしたのだと確信して、念のためにアパート裏側にも警察官を配置したうえで、倉岡の部屋に向かったのだった。
「倉岡さんは、カレーの出前を取って配達員が帰ったあと、畑山さんに成りすますために着ていたジャージから自分の服に着替えて、即座に部屋を出てコンビニに入ったのよ」
「だから、汗だくだった? でも、どうしてそんなに急いでたの?」
私が問うと、理真は、
「それはもう、畑山さんの死亡推定時刻に確実にアリバイを作るためだよ。倉岡さんが畑山さんに成りすまして、午後二時にカレーを出前した以上、畑山さんが死んだのはその数分後だということになる。出前の配達員が証言するはずだからね。だから、急いで部屋を出て、コンビニで店員に印象づけるよう、わざわざ会話をして、アリバイ証言を確実にしたんだよ。ちなみに、倉岡さんは部屋を出るとき、玄関とキッチンを隔てている室内ドアを開けていったわ。これは、少しでも早く死体が発見されることを期待してのことよ。アリバイを確実なものにするためには、死亡推定時刻の狂いが出来るだけ少ないほうがいいものね。宅配便なんかが来て、施錠されていないドアを開けたとしても、室内ドアが閉まっていたらキッチンの様子が見えなくて、留守だなと思われてそのままスルーされるかもしれない。玄関を開けた相手に、確実に死体を見つけてほしかったのよ。で、二リットルの大容量の水を買ったのは……」
「あ、ヨガインフェルノカレーを食べたから! 畑山さんの部屋にあった水は、左手についたカレーを洗い流すのために使っちゃったから」
「そういうこと。たとえ数口でも、あれを食べて水を飲まないわけにはいかないもの。コンビニまで走ったのは、畑山さんの偽装死亡時刻からなるべく離れずにアリバイを作るというほかに、一刻も早く水を飲みたかったから。自分の部屋に飲み物があったかもしれないけれど、どうせアリバイ工作のためにコンビニに行くんだから、そこで水を調達しようと思ったんでしょうね」
コンビニを出た倉岡は、即座にペットボトルを開けて水をがぶ飲みしたことだろう。
さて、倉岡の逮捕、取り調べなどですっかり遅くなってしまった。暑くて食欲もないし、夕食は無理に食べなくてもいいかな、と私は思っていたが、
「由宇、遅くなったけど夕ご飯食べに行こう」
理真が許してくれるはずがなかった。仕方がない。
「何食べる? 私、これからアパートに帰って食事作る気力ないよ」
「外食にしようよ。そうだ、カリカリーにしよう」
またかよ! 一日二食カレーとは! しかも同じ店で。
「どう、丸姉も行かない?」
丸柴刑事は、調書を書かないといけないから、と理真の誘いを断ったため、私と理真の二人でカリカリーに出向くことになった。
「暑い夏こそカレーだよ。辛いカレーを食べて、キンッキンに冷えたビールで一杯やってさ。最高」
暑い夏に、辛いカレーと冷えたビールか。いい取り合わせかもしれない。でも、私は辛いものが苦手なので、ヨガストライク辺りに抑えておくことにしよう。理真は、「私、行ける気がする」と、ヨガインフェルノをひとりで完食すると息巻いていた。
インド激辛伽哩の謎 庵字 @jjmac
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