第3章 三人の容疑者

 しかも、


田中たなかさん、事件のことでお話、聞かせていただいてよろしいですか?」


 ここで丸柴まるしば刑事が、懐から出した警察手帳を開示すると、


「ああ、刑事さんでしたか」


 と先ほどとは全然イントネーションの違う、完全な生まれながら喋るネイティヴ日本語ジャパニーズで受け答えをした。


理真りま由宇ゆうちゃん、こちら、店長の田中太郎たろうさん」


 田中です、とダルシムは一礼する。日本人以外何者でもない名前!


「ダルシムじゃねーのかよ!」


 限界に来て思わず突っ込んだ。


「ダルシムはこの店で働くときだけのニックネームデース」


 何で私に対してだけ、また怪しいイントネーションの喋り方に戻す。


「ワタシ、彫りが深くて色黒だから、この衣装を着ていればインド人に見えるデショ?」


 ああ、インド人以外の何者にも見えねーよ。


「それで、事件のことについて――」

「すみませーん」


 丸柴刑事が口を開きかけたとき、店の出入り口近くからの声がかぶった。ダルシム、いや、田中は、「ちょっとお待ちください」と(流暢な日本語で)言うと、足早に出入り口に向かった。声を掛けたのは新たに入店してきたお客だった。と言っても、私たちのようにテーブルに案内されはしない。どうやらこの〈カリカリー〉はテイクアウトもやっていて、それが目的のお客のようだ。


「ビーフ大盛、フレイムでー」

「アリガトー」


 田中と厨房のやりとりが成された。フレイムということは、レベル4の辛さ百倍か。「出来上がるまでお待ちくだサーイ」と田中は、出入り口付近のカウンター席に座らせた学生風のお客に水を出すと、私たちのテーブルに戻ってきた。


「テイクアウトもやってるんですね」


 丸柴刑事が訊くと。


「はい。店内でのお召し上がり、テイクアウト、出前と、フレキシブルに対応させていただいております」

「注文はヨガフレイムでしたね。辛いものも結構需要があるんですね」

「エエ。当店の辛さは、他とはひと味違いますからネー」


 だから、何で私に対してだけ日本語カタコトになるんだよ。


「お話、いいですか」と丸柴刑事は断って、「事件について」

「はい。どこからお話すれば?」


 田中のイントネーションはネイティブジャパニーズに戻っている。もういいや。

 丸柴刑事はここで、理真と私のことを紹介した。私たちが刑事でなく、素人探偵とワトソンと聞くと、田中は目を丸くして、


「オー、探偵さんですかー。私、ヨギ・ガンジーのファンデース」


 と両手を合わせて再び「ナマステー」とやりだした。今回も同じように返したのは理真だけだ。ちなみに「ヨギ・ガンジー」とは、レジェンド探偵のひとりで、正体不明の謎の外国人。殺人事件など不可能犯罪の捜査というよりは、インチキ霊能力などのからくりを暴くのを得意としており、その活躍は作家でマジシャンでもある泡坂妻夫あわさかつまおの筆によって書き留められている。

 ここからは理真が質問役にバトンタッチして、


畑山はたやまさんの部屋に出前を運んだのは、田中さんですか?」

「いえ、それはハッサンです。あいにくと本日はお休みをいただいておりまして」


 ハッサン? どうせニックネームなんだろう。


「でも、私がハッサンから詳しい話を聞いていますので、代わりにお答えできますよ」


 田中が言うと、では、と理真が出前を受けて届けるまでのことを話してくれるよう頼んだ。


 ここ〈カリカリー〉に電話が掛かってきたのは、事件の日の午後一時四十分前後だった。電話を受けたのは田中。告げられた名前と住所は、死んだ畑山ようのもので間違いなかった。注文は、チキンマサラカレーをヨガインフェルノで。バイトのハッサンが出前に出て、畑山のアパートに到着したのは、注文を受けてから約十五分後の午後一時五十五分ごろのことだったという。


「随分と早いですね」

「ええ、ちょうどお昼の混雑時に、余分に作っていたカレーが残っていましたし、届け先のアパートも近いですから」


 確かに、覆面パトでアパートからここまで、十分も掛からなかった。出前で使うスクーターであれば、狭い道を使ってさらに早く行き来出来るだろう。

 チャイムを鳴らすと、すぐにドアが開き、玄関先にはすでに、カレーライスを盛る皿が用意されていたという。


「それでですね、お皿にハッサンがカレーを盛りつけて、代金をいただのですけれど、その様子が、どうも妙だったそうです」

「妙、とは?」

「ええ、お客様は上下グレーのジャージ姿だったのですが、左手を常にポケットに突っ込んだままで、右手だけで代金のやりとりをしたと」

「右手だけ?」

「そうなんです。ハッサンの話では、あらかじめ札も玄関脇の下駄箱の上に用意していたらしく、それを渡してお釣りをもらうと、そのお釣りも下駄箱の上に無造作に置いたそうです。終始、右手だけで」


 それを聞いた理真は、難しい顔をして黙り込んだ。死んだ畑山が、ぶっきらぼうな人間だったと言われればそれまでだが、確かに気にはなる。理真は次に、


「この店で出すカレーには、全てにカシューナッツペーストが入っているんですか?」

「いえ。そんなことはありません。当店でカシューナッツペーストを使っているカレーは、チキンマサラカレーだけです」


 畑山が頼んだカレーだ。


「出前の電話で、畑山さんは、材料にカシューナッツが入っているかどうかは訊いてこなかったんですね」

「はい。電話を受けたものの話では、そういった質問はされなかったと。大変残念に思っています。事故とはいえ、当店のカレーで亡くなった人が出てしまうなど」

「そうですか……。ありがとうございました」


 理真が礼を述べると、田中はカウンターの向こうに引っ込んだ。先のテイクアウトのお客は、厨房担当から直接カレーを受け取ってすでに店を出ていた。


「おまちどおさまデシター」


 それからすぐに、ワゴンを押しながら田中、いや、店長モードに切り替えたダルシムが帰ってきた。カレーの香ばしい、いい香りがする。理真も事件の話を中断して、「わー、おいしそう」と目を輝かせる。私たちそれぞれの前には、注文した辛さレベル1〈ヨガスマッシュ〉のカレーライスが置かれ、テーブル中央には、


「具なしカレーライス、辛さレベル5、ヨガインフェルノでございマース」


 最強の敵が降臨した。具材が何も入っていないため、カレールゥの表面は真っ平らで、ご飯とともに皿に盛りつけられたその姿は、まるで大地と海原、いや、雄大なる大河の一部を切り取った情景模型ジオラマのようだ。これをもって、遙かなるガンジスを想え、ということなのか? まあ、どうでもいいや。


「いただきまーす」


 私たちは、目の前にカレーライスにスプーンを入れて口に運んだ。うん、これはおいしい。コクのあるカレーに程よい辛さ。カレーに煮込まれていても、具材の味も損なっていない。ルゥだけでは少々辛いが、ご飯と一緒に口に入れることで、お米の甘みがカレーの辛さを抑え、いや、辛さにアクセントを加えて、より一層まろやかな味になる。私もカレーには一家言あるつもりだが、このルゥは家庭では作られないだろう。ルゥとご飯の比率も絶妙だ。このバランスで食べ続ければ、ルゥとご飯、どちらが余ることもなく食べ終えることが出来る。徹底的に考え抜かれて作られたカレーだと分かる。

 三人ともが、自分のカレーを半分程度食した辺りで、


「そろそろ、行ってみる?」


 理真がついに言った。私と丸柴刑事もスプーンを止める。三人は互いに目配せして意思を確認したあと、視線をテーブル中央に佇み続けている遙かなる大河に向ける。誰が合図するでもなく、私たちは同時に右手を突きだした。三本のスプーンが小さなガンジスのほとりに突き立つ。悠久の大河の一部が切り取られ、私たちのスプーンの上にさらに小さなジオラマを作った。極小のガンジスがそれぞれの口の中に運ばれていく。私は、その口中に雄大なる大河を招き入れて……。


 いや、人間って、あんなに水を飲めるものなんだね。

〈カリカリー〉を出た私たちは、照りつける太陽に汗で濡れた頬を晒していた。〈ヨガインフェルノ具なしカレー〉はもちろん完食した。内訳は、私が二割、丸柴刑事が三割。残る五割が理真の胃袋へと消えた。駐車場に着くと、丸柴刑事は運転席に飛び込んで、光の速さでエンジンをスタートさせる。次いで私が後部座席、理真が助手席へとダイブ。エアコン送風口から唸りを上げて吹き出す冷風を浴びた。


「まさか、あれほどとはね。正直、甘く見てたわ」


 理真にしてここまで言わせるのだから、カリカリーのヨガインフェルノ恐るべしだ。


「由宇ちゃん、めちゃ水飲んでたね。最終的には田中さんからピッチャーを奪って直接飲み始めるんじゃないかと、ハラハラしたわ」


 丸柴刑事に言われた通り、醜態を晒してしまった。が、正直、そこまでいく寸前だったことは確かだ。


「はー」と理真は、人心地ついたのか、シートに背中を預けて、「でも、これではっきりしたね」

「何が?」


 私が訊くと、


「水なしで、あの激辛カレー、ヨガインフェルノを食べるのは不可能だよ。たとえ数口だけだとしても」



 私たちは、三人の容疑者に話を訊くため、覆面パトを走らせていた。


「というかさ、丸姉まるねえ、あの店長が日本人だって知ってたんでしょ」


 助手席の理真が言った。


「ごめん、ごめん。いや、私も会うのは初めてだったのよ。私、あの店の聞き込み担当じゃなかったから。でさ、聞き込み組から、『あのカレー屋の店長、田中っていうんだけど、外国人みたいで驚くぞ』って言われてたからさ。いや、実際に見て私もびっくりした」


 やはりか。丸柴刑事は続けて、


「でもね、あの店長が修行したカレー屋は、本物のインド人シェフが経営してるところだったんだって。だから、本場仕込みっていうのは嘘じゃないわよ。……もうすぐ着くわよ」


 最初に話を訊くのは、バイト仲間だった浪江荒太なみえあらただ。夜間のバイトをやっているため、この時間は空いているということで、自宅アパート近くの公園で待ち合わせることになった。

 公園隅のベンチに、浪江、理真、私が腰掛け、丸柴刑事は立ったまま話を訊く。


「知っていることは、この前に全て話しましたよ」


 浪江から、お決まりの台詞をまず言われた。「お手数をかけて、すみません」と、これまたお決まりの返しを丸柴刑事が入れる。


「確かに俺はアリバイがないかもしれないけれど、盗みを働いたりなんてしていませんからね。ましてや、畑山はたやまを殺すなんて」

「ええ。参考までにお話訊かせてもらっているだけです。それにまだ、畑山さんも他殺と決まったわけではありませんので」と理真が返答をして、「でも、随分と物騒なことを口にされていたとか」

「あれは、売り言葉に買い言葉ですよ。俺もつい頭に血が上ってしまって。つい言葉の弾みで出てしまっただけです。俺がこんながたいだから、他のみんなが必要以上に大げさに受け取っただけでしょう。俺が本気で畑山を殴ったりしたら、確かに下手をしたら殺してしまうでしょうけれどね」


 浪江は自分の上半身を見回して言った。聞いていた通りの筋肉質のボディだ。畑山ようは、身長百七十センチ、体重五十九キロ。写真で見ても、中肉中背を絵に描いたような外見をしていた。この浪江になら簡単にひねり潰されてしまうだろう。

 その後の話でも、先に丸柴刑事から知らされていた以上の事柄は聞けなかった。畑山がカシューナッツのアレルギー持ちだったことも、横領した大金を隠し持っていたかもしれないということも、一切知らなかったと通した。


「とにかく、あいつが死んだ時間、俺は町をぶらついてたことは確かなんだ。防犯カメラなんかを調べて、早く俺のアリバイを見つけて下さい」


 徹頭徹尾、憤懣やるかたない、といったふうな態度のまま、浪江の聴取は終わった。


 次は、畑山の元彼女、外村そとむらみさき。彼女とは、派遣の仕事がちょうど終わる時間だということで、勤め先近くの喫茶店で会うことになった。


「犯人、まだ見つからないんですか」


 アイスコーヒーをひと口飲んだ外村は、先に私たちにそう訊いてきた。ここでも理真が、「ご協力お願いします」と頭を下げると、外村は、


「別に、あいつの部屋に強盗が入ろうが殺されようが、興味ありませんけど」


 口にしてから、失礼しました、と笑みを浮かべた。

 彼女からも、事前の情報の繰り返しのような話しか聞けなかった。それでも、ゆっくりとアイスコーヒーを飲み終えるまで聴取が続いたのは、外村が、畑山がいかに駄目な男であったかを延々と私たちに聞かせてきたためだった。


「本当、信じられませんよ。横領した金で買ったプレゼントを貰って、喜ぶ女がいるとでも思ってたんですかね」


 浪江とは別の意味で、憤懣やるかたないといった感じだ。元彼が故人でも容赦がない。さらに、別れてからのつきまといなど、彼女の畑山に対しての文句は続いた。


「畑山さんのアレルギーについても、ご存じだったのですよね」


 理真が訊くと、「そうそう」と外村のエンジンにさらに火が点いたようで、


「もう、面倒くさいの。私、最初それを知らなくて、鶏肉とカシューナッツの炒め物を作ったの。そうしたら、『ああ、俺、カシューナッツのアレルギーだから』とか涼しい顔で言ってきて。そういうことは先に言えっていうのよ!」


 空になったグラスの氷が溶けてなくなる頃に、外村の聴取、いや、文句は終わった。彼女から、自分のアリバイについて確認が取れていないことに文句を言われたのは、浪江のときと同じだった。



 最後は、高校時代の同級生、鶴見伸之つるみのぶゆき。ちょうど営業回りから帰る時刻なので、会社の応接室を指定された。


「この前お話した以上のことは、何も言えませんよ。あれから新しく思い出したようなこともありませんし」


 鶴見は先に釘を刺してきた。百五十センチくらいの背丈をソファに沈めている。少々太めだという事前情報の通りの男性だ。


「畑山の横領? ええ、そんなことじゃないかなって思ってました。この前も警察にお話しした競馬でのこと。明らかに異常でしたもの。その金、どうしたんだ? って訊いても、要領を得ない答えしか返ってこなくて。僕もあいつとは付き合い長かったですから、ああ、これはまともな金じゃないな、って薄々感じてました。競馬も、そもそもあいつに誘われたんですよ。僕、競馬は普段ほとんどやらないんですけれど。ある日、電話が掛かってきてですね。『競馬行かないか?』って。まとまった金が入ったから、とか言ってましたね。アレルギーのことも知っていました。高校時代に聞いたんです。ところで、もしかして僕、疑われてるんですか? 違う? いやいや、そんなことないでしょ。参ったな。その日はちょうど、時間を掛けない小口の顧客をたくさん回っていたので、決定的なアリバイがないんですよね。おまけに、畑山のアパートも回った範囲に入っちゃってたし。ついてないですね」


 さすが営業職、といっていいのか。鶴見への聴取は、ほとんど彼のほうから一方的に捲し立てられて終わった。

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