5.カレンちゃんがやって来た

 山井は今日もバイトかと思ったら、さすがに連勤しすぎたらしく、今日はフリーだ。だから今日は昨日のことを問いただそうと思ってホームルームが終わるのをじりじりしながら待っていた。

 花村先生が艶やかに微笑んで「以上です。皆さん気をつけて帰ってね。部活組もね」と小首を傾げた。うっつくしいな! わたしもこうありたいな! そう考えつつも、最近のわたしは自分にちょっとした自信を持ちつつあるので、このままでもいいかな、という気がする。例えば髪はきれいだと言われたし、その他だって「かわいい」と言われたことがあるし……と思ったところで、これらは全て山井の言葉だと気づいた。結局わたしの自信は山井が生じさせているにすぎないのだった。責任を持ってこれからも褒め続けてもらいたい。

 号令を済ませると、わたしはぱっと立ち上がって山井の元に行く。山井は親友の金子君と身のない話をぺちゃくちゃぺちゃくちゃしゃべっていた。どこのヘアワックスが最高だとか、花子の髪は弾力があったとか。

「わたしの髪の話を公共の場でしないでくださーい」

 わたしが割り込むと、山井はぎょっと身を引き、金子君は「ワーオ、十八禁!」と言い放った。十八禁じゃねー! 黙れアホ金子! と思いつつもぎろりとにらみつけて黙らせて、わたしは肝心の山井にずいと身を寄せて訊いた。

「何でわたしは昨日追い出されたんですかー?」

「……えと」

「答えてくださーい」

「ちょ、ちょっとこっちに……」

 山井は読み取れない表情でわたしを教室の外に引っ張り出した。そのままずんずんと進んで階段の下の用具入れの前にわたしを立たせた。

「何なの? こんな埃っぽい場所で……」

「おれはな、花子」

「呼ぶなら『花』とか『花ちゃん』にして」

「おれはな、花子」

「……変える気がなさそうだな」

「昨日いっちばん楽しみだったお前の髪のアレンジをしようとして、気づいたんだ」

「何よ」

「ずばり、『おれは花子に対するエロい感情を克服しなければ髪のアレンジはできない』ってことだな」

「はっ?」

 山井は真剣な顔でわたしを見ていた。おふざけなど一切ないぞ、おれは真面目だ、とアピールしているらしかった。エロい感情? エロい感情って……エロい感情だよなあ、と考えて、わたしは顔がかあっと赤くなった。

「おれも男子高校生だ。思春期だ。青春だ」

 最後は意味がわからないが、とりあえずうなずいた。

「おれだって好きな女の子とチョメチョメなことがしたい」

「はあ……」

 自分の話をされているらしいので、とても恥ずかしくなってきた。むしろこんな人気のない用具置き場の前じゃなくて、公共性の高い場所で話してくれないと、今にも山井に何かされそうな気もした。そこは一応信頼しておくけど。

「密室でアレンジしようとするとそういうチョメチョメ的なことが頭をよぎってしまう。だから密室じゃないところでアレンジすればいいのでは……? そう思ったおれは教室の皆がいる前でアレンジすることを想像してみた。駄目だった」

「駄目だった?」

「髪の持ち主の花子に惹きつけられて、意識がそっちに向かってしまい、アレンジが頭から消えてしまうようだった」

 山井はわたしのことが本当に好きなんですねー。でもいい加減恥ずかしいぞ。

「というわけで、おれはまだ結論が出ずじまいだ。一体どうすればおれは花子の髪のアレンジができるのか……」

 大体わかった。山井は混迷のさなかにいるらしい。わたしの髪をアレンジしたい。でも自らの煩悩が邪魔をしてしまう。そのことで悩んでいるようだった。ところで。

「山井、わたし、あれがファーストキスだったんですけど」

「え」

 山井は動揺してマイケル・ジャクソンの「スリラー」みたいなポーズになった。

「ひとの許可なくキスなんかしていいと思ってるんですか!」

「ごめんごめん! おれ、本当に好きでつい……」

 山井は平謝りに謝った。言い訳までそう来るか。わたしはため息をつき、頭を下げたままの山井の顔を覗き込んだ。

「うそ。嬉しかったよ」

 山井は真顔でわたしの垂れたポニーテールを弾いた。聞いてねえなコイツ! わたしの渾身のかわいいセリフを聞いてねえな!

 どうやら山井はわたしの髪を見ると本能らしきもので触りたくなるらしい。なら、もう諦めるしかない。

「山井ー。バイト休みなんでしょ? ならさー、放課後だしさー」

「キス……したんですね」

 視界の外からかわいい甘ったるい声がした。顔を上げると、そこには西洋人形のような白いかんばせ。赤茶色の輝く髪。カレンちゃんだった。かっわいいな! 近くで見るとなおのことかっわいいな! ぱっちりおめめに色素の薄い緑がかった茶色の目、睫毛はメイクしていなくてもかわいいこげ茶色。その辺の磨きに磨いて塗りに塗ったギャルよりもかわいい。そんな目は涙で潤んでいて、カレンちゃんは口元を手で隠して泣いていた。

「山井先輩……。その人とつき合ってるんですか?」

 振り向いた山井は、驚いた顔をしたのち「そうだよ」と答えた。あっけなさすぎる。自分に恋する美少女に対する答えじゃないぞそれは。カレンちゃんは顔を歪め、「そんな……」とつぶやく。

「わたしのほうがきれいなのに……。この元気が取り柄らしいだけのちんちくりんが選ばれるなんて……」

 んん? カレンちゃん、何か言いました? 美少女であるが故の傲慢が溢れ出ました?

「花子は髪がすごくきれいなんだ。元気だけじゃないぞ」

 山井はにっこり笑った。お前は引っ込んでろ、と言いたくなる噛み合わない返事だな!

「山井先輩、わたし、山井先輩のこと好きです!」

 カレンちゃんは顔を真っ赤にして言った。山井は衝撃を受けたらしい顔で彼女を見下ろす。わたしは置いてきぼりになってぽかんとしている。

「彼女がいるなんて知りませんでした。でも、わたしその人よりも髪がきれいです!」

 おいおいカレンちゃんまで何を言う? 確かにきれいだけれども。

「その人の真っ直ぐなつやつやの髪もきれいだと思います。でも、わたしの髪だって一生懸命手入れしてるしきれいだと思うんです!」

 山井はうなった。うなるところじゃないと思うけれどうなった。それから「確かに一理ある」と言い出した。一理じゃないよ。わたしの立場はどうなる。

「カレンちゃんの髪はすごくきれいだよ。この黒髪天国の高校では、唯一無二の輝きを放っているし、質もすごくいい。美容師になったらいじってみたい髪のひとつだ」

「なら……!」

「でも、おれは花子の髪が好きなんだ。学校で一番質のいい髪だっていうのもあるけど、おれは、何というか、花子自身が好きで……」

 山井は頭を掻きながら赤くなった。いいぞー。もっと言え!

「だからカレンちゃんの髪が一番きれいだと思ったとしても、おれは花子を選ぶと思うんだ。だから、……ごめん」

 山井は頭を下げた。カレンちゃんは滂沱の涙を流していた。わたしまで何だか気の毒になるくらいすごい量の涙だった。

「そうなんですね……」

「うん」

「じゃあ、わたし、わたし自身を好きになってもらう努力をします!」

 うおー、諦めないなカレンちゃん! 山井がびっくりしてるぞ。

「わたし、その人よりも魅力的な女になって、山井先輩にもう一階告白します! だから、よろしくお願いします!」

 カレンちゃんはさっと手を差し出した。山井はそれを握って「よ、よろしく……」と言う。よろしくじゃないだろ……。そこはわたしの立場を加味して更に断るところだろ……。

 カレンちゃんは涙を拭きながら走り出した。走っていったあとの空気ですら、薔薇のような甘い香りがしていた。本気出されたら本当にヤバい気がしてきた。

「告白されちった……」

 山井のちょっと自慢気な顔を見て、わたしはすねを思い切り蹴ってやった。自慢する相手が違うだろ!

 大袈裟に痛がってすねを撫でつつ、山井は続ける。

「で、おれさっき花子と話してるとき思いついて、あまりにも思い切った案に驚いてしまったんだけどさ」

「何よ」

「おれと花子がチョメチョメな関係になりさえすれば、おれは花子に慣れて髪のアレンジができるのではないかと」

 もう一度蹴った。学校で言うことじゃないだろ! そもそもわたしに直接言うことじゃないだろ、恥ずかしい。

 折れたらどうするんだよー、とうめく山井をよそに、わたしはカレンちゃんが去っていった廊下の向こうを見つめていた。

 わたしだって山井が好きだ。渡してなるものか。

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山井は今日もバイト 酒田青 @camel826

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