第三次遭遇戦「映画館」

 この坂木みどり、たまに、ごく稀にだが、映画館に映画を見に行く。ぶっちゃけ出不精の気がある自分だが、それでも映画館で見たい映画というものがあったりするのだ。

 しかも今回は、小さい映画館である。ゥオッシャレェーーーーィ! ねえねえ、すっげお洒落じゃねえかコレェ? オシャレマダムっぽくね? ヒャッハァーーー!!!


 まあそんな戯言は横に置く。とても好きな映画であるのだが、残念ながらスクリーンで観ることはできなかった。それが今からできるのなら、それはもう是が非でも見に行きたいのだ。この機会を逃してなるものか。這いずってでも観に行ってやる、と気合十分でオバチャン遠出しちゃった訳です。


 小さな映画館の館内に、結構な人数。なにこれすごい。ほらぁ、みんな好きなんじゃねぇかよぉー私もだよぉー。んふふ、わざわざ映画館に観に来たってことはだ、この作品が好きな人達なのだろう。そうじゃなかったら、今日この時からハマるがいい。そんで円盤を買うが良い。そうさ持ってるさ円盤、そりゃ持ってますよ? ちょいちょい見てますよ自宅で。この映画に出てた女優さんが二人でやってるラジオだって聞いてますよ。すっごいテンションなんだよねあの番組。すき。

 で、だ。今回の上演、前後編一挙にやる。いいぞ、正気の沙汰じゃないぞ映画館。スバラシ。そんなのぶっ通しで見ますよ狂信的ファンだからね! 良い子のみんなは真似しちゃ駄目だぞ!


 まあ、連続上映ということは体力を消耗するわけで。で、後編の後半ともなればもう、メンタルんところも相当に持って行かれる。


『だけど普通の女の子の君がなぜ、この地獄を歩いてきたかを思い出せ! 汝は汝の使命を知っている!』


 絶望の淵に沈み壊れかけている少女に、男が叫ぶ。自らがかつて絶望に飲まれたが故に、彼女を救うことを選んだ男。

 うん、もうこの時点で涙腺決壊してる。見るたび泣いてる。分かってるからもう事前に泣き始めてしまう。パブロフの犬かよ私は。


『だがお前の友達は最後まで君を売らなかった! 君の友達は誰よりも立派だった! その人が信じ、守り抜いた君の力を……信じろ! 立て!』


 手を伸ばす。掴む。弱々しいながらも、立ち上がる。

 ああーもうダメうああ、涼子ちゃんうわあ、うわあー……! 立てなくて当たり前だし壊れてしまった方が良いのかもしれない、でも立つんだよなあ、ううう、ヤバイ私めっちゃ泣いてる。この後のラスボスの台詞がさあ、わかりみ深いんだよなあ。


『美しい……美しいよ……こんな光景を見たのは始めてだ。あまりに美しすぎて、君達を殺せと合図する事ができなかったよ』


 ねー、だよねー、だから殺すなよぅ! この後のシーンがまた何というか、原作読んでるから知ってたんだけど、あーやっちゃうのねって。まあこのキャラはそういう人だしね。いっぱい出すよね。出すよね。


 とまあ脳内で絶叫実況しながら見てるもんだから、見終えた頃にはヘトヘトです。自宅で見てる時に比べて体力消耗が少ないな、と思ったんだけど、そりゃそうだリアル音声出してないもん。自宅だと叫ぶからな。そんで息子達に「うるせえ!」って言われるか、もしくは息子達も一緒に見て叫んでるかだからな。


 上映終了後の照明がついた館内は、私に限らず全体的に映画を見終えた後の倦怠感に包まれている。この、物語に没頭しきったあとの少し気怠い感覚が結構好きだ。根こそぎ持っていかれる感じ。

 自分以外にもやっぱり泣いてた人はいるみたいで、グスグスしてる気配があちこちに。これさ、一斉に涙目の人間が一つの建物から出てきて、外にいる人がぎょっとする流れだよね。学生の頃にそんなことあったわなあ。紀伊國屋ホールに友達と舞台観に行ってさ、ボロッボロ泣いて、あー自分だけ号泣して恥ずかしいとか思ったら隣の友達泣いてるし、いざ照明着いたら周りの人みんな泣いてるし、紀伊國屋書店から新宿駅へ泣きはらした集団がゾロゾロ行進する事態になって、すれ違う人が皆「え?」みたいな顔で。あれはあれで面白かった。


 で、だ。そんなことを思い出したおかげで、一つの懸念に至る。今ここを出ると、駐車場のあたりすっげえ混むぞ。紀伊國屋ホールのときでさえ大混雑状態だったんだ、狭い道の狭い駐車場なんて厳しいに決まってる。よし、ちょっと間を置いてから帰ろっか。

 これもまた似たようなことを考えた人間がぽつりぽつりといる。横の方には席に座ったまま、ちょっと余韻に浸って白いスクリーンを見つめる人。前方には余程泣いたのだろう、背中を丸めている彼女にハンカチを差し出して肩を抱く彼氏。


 ……彼女と、彼氏?


 見覚えがあった。きれいな金髪の女の子と、黒髪のおにいさん。ええと、前に見たろ、そうだスーパーだ。どちらかというと、二人の間に漂う空気感で思い出した。

 咄嗟に眼鏡を外し、髪を解いて、いつも上げてしまっている前髪のバレッタも取り去る。こいつはほぼ条件反射だった。今日はなんとなくまとまればいいやと、簡素な髪留めゴムではなく手製のシュシュを使ったから縛り痕は残っていないだろう。ありがとうシュシュありがとう、商用利用できない布を使ってしまったから自分用にするしかなかったインベーダー柄のシュシュ。眼鏡はまあ、乱視がちょっとアレだがそんなに問題はない。裸眼で車の運転できるくらいの視力だ。前髪下ろすのは久々だ、ぼちぼち切らないとだな。んなこたぁいいんだよ。

 この場で出来得る限りの誤魔化しを掛けたのは、そりゃあ勿論相手にバレない方が良いと判断したからだ。なんでそう判断したのかは、もうよく分からん。とにかくその方が安牌だと直感が告げていた。


 あれ、鉄男くん……だよなあ?


 流石に奴の背格好を見慣れてきただけに、その確信が強くなっていた。背格好からすれば鉄男なのだ。だがやはり、気配が違う。あんなに穏やかだったろうか? いやいやいやいや、彼女の前だからそうなってんじゃない? 普段より大人びて見えるのもそのせいじゃない?


 保くんと、鉄男くんに関する話題が出た時、こんなことを言っていた。


『なんか彼、気ィ張ってるよね』


 分かる。僅かだがボロが出る瞬間がある、ごくごく僅かだが。それこそ注視していなければ分からない程度に。自分の気のせいかと思っていたが、保くんと話して確信を得た。それに気付いたからとて、どうのこうの言う気はない。そんなものは意味なんぞ無い。生活していく上で支障がなければなんでもいいのだ。

 ただ少し心配なのは、その張り詰めた糸が切れてしまうのではないかという懸念だ。たまには緩めなけりゃ切れてしまう。糸というより、ゴムみたいなもんだ。伸びるだけ伸びる。テンションを掛けても保つ。だが、最も負荷がかかっている箇所から僅かづつ亀裂が入る。そのままテンションを掛け続けたらどうなる? 亀裂は大きくなり、じきに切れる。

 そんな怖さが、彼にはある。俗っぽい言い方をしてしまえば、無理をしているってやつだ。確証ではないけれど。


 で、今、眼の前にいる人物が仮に鉄男くんだとして。だとしたら、少し安心できるかな。だってあれ、緩んでるだろ。ゆるゆるだッ! ってやつだろ。ゆるゆるどころじゃねぇわありゃデレデレだわ。砂糖菓子か。シュークリームの中身が全部黒糖ってくらい甘いわ。

 ほら見ろオイオイ、彼女の涙を拭ったりしちゃってまあ、そうだよね、そこでほっぺ触るよね撫でるよね分かる。私が男だったらそうするわ。わかりみがあるわ。


 かすかに見える口の動き。ううー、なんだってえ? ゴハン、食べに行くか? ああそうだよな、もう昼飯時だもんな。腹減るわな。あれじゃろ、そこまで込みのデートコースってやつじゃろ。知ってる、オバチャン詳しいんだ。

 そう思うのと立ち上がるのはほぼ同時だった。つい、好奇心が頭をもたげた。




 尾行は我に返った者の負けだ。特に、仲睦まじいカップルの尾行なんてやつは。口を開けば「甘い」と叫んでしまいそうになる。

 映画館から出た彼等は、駐車場には行かずそのまま歩き始めた。華奢な腕を彼氏の腕に回して、楽しそうに。暫定鉄男くんの方が足が長いから、やっぱ彼女ちゃんに歩幅合わせてる。出たよデキる男。でましたよ。足なげぇ人が他の人に合わせてゆっくり歩くのって、結構体力消耗するんだよね。それでもちゃんとやる。

 で、歩いているうちになんとなく、なんとなーく、彼等の行き先が分かったような気が、する。ここの近くに、いつもハンドクラフト系イベントでお世話になってる友達の店があるんだ。隠れ家的な可愛いこぢんまりしたカフェ。先回りすることに決める。これで予測が外れていたら、尾行はそこまで。すっぱり諦める。当たっていたなら、目立ちにくい席を先に確保する。確か今日は営業日だったはずだ。ぶっちゃけ、私もそこでメシ食うつもりだったんだよね。ブログで営業してるか確認したもん。


 馬鹿でかいクマのぬいぐるみ、通称「店長」が出迎える小さな入口。昨今よくある完全にこんなの自宅じゃねぇかバッカヤロ、という外観ではない。見りゃ分かる、かわいいお店だ。中に入ってまず本物の店長に挨拶し、カウンター席の一番端っこを確保した。


「店長ー、今日は何よ」

「キッシュ祭り!」

「あ、来週の予行?」

「そうそう。みどりさんは出るんだっけ?」

「来週は出れねんだ、再来月までおあずけ」

「えー、じゃあ、今のうちにアレ予約しとく」

「持ち手付きポーチでよろしいか」

「うん」

「まいどありィ」


 ハンドクラフト作家イベントで出店先がほとんど被りまくる我々である。そういう面子ってのはだいたい固定になってしまって、顔を合わせりゃイベントの話だ。

 まあ、言えないよね。パート先のお仕事が忙しくて、今月来月は無理っぽい、なんてさ。


「キッシュのセットおくれ」

「選ぶが良い、勇者よ」

「そこは、五つの中から好きなキッシュを選ぶんじゃ、だよぉ」

「それは三種類の時にやりたい」


 この小さな可愛らしいカフェの売りのひとつは、ボリューム感のあるキッシュである。イベントでこれを売ろうものならあっという間に完売する。一度でいいからホールで買いたい。イベントの日はいつもこれを買い込んでお夕飯にするのだ。実店舗でのセットだと、サラダとドリンクとデザートがついてきてスンバラシイ。デザートもすごい。おいしいんだ。今月はレモンタルトかアールグレイのシフォンケーキだったはず。こちらはアタマから煙が噴くんじゃないかと言うほど悩んで、結局はレモンタルトに落ち着いた。


 で、ウキウキしながらサラダをつついていると、来た。来ちゃった。ジャックポット決めてしまった。なんてこった。カランコロンとドアベルが鳴って、入ってきたのは例の二人だ。初めてのお客さんに店長も丁寧に接客する。こちらから一番離れた位置のテーブル席についた。ごめんね店長、それを予測してここに座ったんだわ。


「ここね、キッシュが美味しいって聞いたんだ」

「お、じゃあそれ頼もう」


 そうだろうそうだろう。彼等の会話に全集中力を費やして、密かに頷く。ここに来てキッシュ食わねぇやつは、んー、まあ、次回お食べよ。キッシュんまいよ。他のもうまい。でもとにかくキッシュは食うべき。

 ここから見えるのは金髪の女の子の笑顔と、鉄男くん(仮)の背中。休日ではあるが全力で仕事スイッチを入れた。いや、まあ、仕事中も大半が抜けてるけどさー私はさー。気配を限界まで消す。消すというか、下げる。昔の職場で、仮設病院に敵兵が乗り込んできた時みたいに。完全に消しても、鋭いやつは寧ろそれで気付く。であるので、そこらへんのモブ二号くらいまで下げる。私ゃ元からモブ三号みたいな人間だ、そんな存在感あるわけじゃないしね。


 それに対し、向こうは目立つ。美形と美形だ、嫌でも目を引く。金髪の子はどう見ても欧州系の子だけれど、日本語が随分上手い。そんで、笑顔が眩しい。ホントに彼氏のこと、好きなんだね。

 で、かれピッピの方。鉄男くんと思わしき物体X。


「カイトはデザートどっちにする?」

「俺はこっち。シフォンケーキで」

「じゃ、ボクはレモンタルトにするね。半分こしよっ」


 ぐぅわ! かわゆ……! ヒィ! なにその破壊力ゥ! うちの息子共にもあんな彼女できりゃいいんだけどねー……無理だなー……モテないもんなぁあいつら……タッパはあるのに……。

 んなこたぁいい、それより名前。カイト、と呼んでいた。鉄男くんじゃないのかしらん、やっぱり。だが名前だけで安易に判断できないのがこの界隈だ。声は鉄男くんに似ている。だが距離が距離だ、はっきりとは聞き取れない。会話内容も断片的に聞き取れる範囲を予測で補っている状態だし、これで確証を得るのは難しい。


「カイトならレモンタルト選ぶかな、って思ったんだけど」

「あー、単純に『アールグレイ』ってのが引っかかっただけだ」

「好きなの? アールグレイ」

「いや……その名を冠した男とさ、昔、関わりがあって」


 声のトーンが、ひどく昔のことを懐かしむような低さになる。


「アールグレイっつうと、あいつも思い出すなあ。覚えてるか? アインのこと」

「うん。彼、今頃、どうしてるかな」

「どうだろうな……きっと、どこかで自由に暮らしてるさ」

「そうだね。元気だよね、きっと」


 なんとなくだけど、ここで彼等に対し向けていた集中力を切った。ここまででいい。結局は彼が鉄男くんなのかどうか分からなかったが、これ以上耳をそばだてては失礼だと思ったから。


 それに、来たしね! キッシュ! 厚切りベーコンかぼちゃキッシュと、チキンバジルキッシュ! 二つ頼んじゃった! こんなに分厚いのに! 大丈夫か私! ハハハハハ! しかも物凄く腹に溜まりそうなやつを! この後にデザートも来るんだぞ本当に大丈夫か!


「あー店長、あのさ、今日はキッシュのテイクアウトできる?」

「無理。完売」

「ガッデム」

「その代わりと言っちゃなんだけど、おやつ系なら山程焼いた」

「え、マジか。じゃあ気ぃ使って買い控えなくてもいいんか」

「控えてたの!」

「うん、一応アレでも。うちのガキども滅茶苦茶食うって知ってるでしょ」

「アハハ、そうだった。弟くん凄いよね、食べっぷりも凄いよね」


 こちらが声を出すことによって、相手にバレる可能性が上がる。でも、それももう気にしないことにした。あれが鉄男くんであってもなくても、もう気には留めるまい。向こうからちらりと視線が飛んできたような気がするが、気のせいってことにした。


 それに。鉄男くんであったのだとしたら、尾行の時点で気付かれているはずだ。うちの会社は人外みたいな奴等ばかり集まっていて、鉄男くんも例外ではない。吹雪くんと伯ちゃん以外は全員、何と言うか、片手間で働いてる感すらある。そんな相手なのだから、私程度の気配なんぞ簡単に分かるだろう。

 ま、彼が鉄男くんである、という仮定のもとでしか考えてないけどね。そこからして、もう破綻してんだ。



 帰りがけに、抹茶クッキーと全粒粉クッキーとレモンクッキーと、さらにかぼちゃプリンケーキを子供達の分まで買って、意気揚々と撤退する。それとは別件で、いつもお世話になっている浅草支社の仕事先用に包んでもらった。詰め合わせボックスってやつ、販売始めるって。それの実験台。明日会社に持ってって、英治くんに渡そう。

 今日はやけにくたびれた。お家帰って、寝よ。惰眠を貪ってやる。惰眠を……あー駄目か、夕飯の手抜きできない、キッシュないもん……いいか、冷や飯で炒飯作ろ。




 翌日、英治が受け取った契約先への菓子折りセットを、何とも言えない視線で一瞬見つめる鉄男がいたのはまあ、笑い話になるのだろうか。

 全容が判明するのは、これより後の話である。

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