第二次遭遇戦「喫茶店」

 わたくし坂木みどりの趣味は裁縫である。まあちりめん細工とかもたまにやるし、レジンにも手ェ出そうかなーとか考える時はあるけど、メインはやっぱ裁縫。ポーチとかバッグとか長財布とかがま口とか作るのだ。

 で、あるので。材料とか買いに巷へ繰り出したりするわけですよォーッ! そこいら辺にあるチェーン展開してる大型手芸店じゃなくて、輸入品の布を売っているところに行くのだ。基本は通販で賄っているが、それでは限界がある。柄の大きさだとか布の質感だとか、そんなのはやっぱ直に見ないとね。なんとなく気になってた布を直に見て、あーやっぱパスだとか、うおお思った以上にいいじゃないかとか、そんな風に揺り動かされるのも醍醐味なんであってだな。あとははぎれセットとか探す。掘り出し物ってやつだな。


「……にしても、買いすぎたかな」


 布っちゅうのは、嵩張る。予想以上に。うん、だから、我が家に布の在庫が山ほどあっても、実際はそんなに無いわけであってだな……いやあ、布は一期一会だよ? その瞬間を逃したらおしまいだよ? アレキサンダーヘンリーのマッチョ布シリーズだって全部買い逃してるんだし。仕方ないんだ。良いと思ったら即買わなきゃダメなんだ。

 あと、布以外の副資材も山程。糸にがま口の口金にファスナー、持ち手にリボンに、接着芯。これが一番嵩張る。ふっかふかのキルト用接着芯を5mも買えばこうなるか。


 そんな大荷物を抱えているくせに、すぐに駐車場へ向かわないのは何故か。それはだな、ハンクラ仲間から有益な情報を仕入れたからだ。


「この辺の、はず、なんだけどー……あった!」


 ちょっと隠れ家っぽい、喫茶店。『楽園』という名であるので分かりやすいはずだと聞いてはいたが、如何せん大通りから少し奥まった箇所にあるので探すのに手間取った。この店が、今回お目当ての手芸店からそこそこ近い位置にある。オススメの店だと聞いたらそりゃあ行くしかなかろう。


 ドアを開けて恐る恐る覗き込むと、カウンターの中から「いらっしゃいませ」と声を掛けられた。おっしゃ一安心。たまにこういう小さいお店は「一見さんお断り」の空気をバッシバッシぶつけてくることがある。それで何回顔を引っ込めたことか……! ここは大丈夫だろう。オババの直感は当たるのだ。


「お好きな席へどうぞ」


 今度はなんかやたら美人な女の人だ。背が高い。うらやましい。私もあと二センチ欲しい。

 んなこたぁいいんだよ、とにかく席。一番奥のテーブル席を確保すると、私の大事な荷物を相席させる。テーブル端にあったメニューを一応は手に取るが、実は注文はもう決めてある。だってそいつが目当てなんだから。場合によっては追加で別のものも頼んじゃうかも、しれないけど。


「すみません、注文いいですか」


 モデルさんみたいなさっきの女性がやってきて、あまりの美形ぶりに一瞬気圧されるが、そこはなんとかこらえた。美形だったら一応耐性はある。会社で拝んでるからねえ、毎日のように。


「ブレンドコーヒーと、アップルパイを下さい」


 ナポパーーーーーイ! そう、最大の目的はここのアップルパイ。一度は食っとけとハンクラ仲間がプッシュしまくってきたのである。半端なアップルパイしか食ったことがないのなら、とにかくここのを食えと。


「あの、ここでちょっと布を広げても大丈夫ですか……?」


 ついでに奇妙な質問もした。待ってる間に、ハギレセットの中身を確認したかった。さすがに奇行であるので、ちゃんと聞く。


「はい、大丈夫ですよ」


 うおっ笑顔眩しッ、美人の笑顔眩しいッ! 邪悪な民である拙者その光に灼かれるッ! 灰になってしまうぅううッ!

 とか馬鹿なことを考えている場合じゃない。店長さんがコーヒー豆を挽いてる間に、いざ確認の儀を行う。メーカー別に分かれたセットであるので、方向性の予測はつく。問題はどの色が入っているか、だ。いざ勝負!

 最初のセット。なるほどシリーズで揃えてきたか。各メーカーは大体、そのシーズンのテーマを決めてシリーズ展開する。私がメインで買う北米方面のメーカーなんか顕著だな。セットは昨年夏のシリーズが全種類入っていた。一枚一枚は小さめ。パッチワーク向けなのだろう。あんまりパッチワークはやらないんだが、このサイズなら小さいがま口とかポーチに使える。

 二つ目。こちらははぎれにしては大きめ。そうだよ、このサイズ感が欲しかったんだよ。一インチ四方は欲しい。ありがてえありがてえ。

 さて三つ目、こいつが本命だ。はぎれセットは基本、一反を売っていって、最後に微妙に残ったやつをまとめ売りするってやつだ。売れ残ったやつなら、比較的大きくサイズを取ってくるはずだ。頼む、目当てのやつ、来い……! あった! あったよ! マッチョメンシリーズ! 無闇矢鱈とマッチョが群れて何故か上半身を晒している、一体どんな需要でこの柄を作ったのかよく分からんやつ! カウボーイとか消防士とか挙句の果てにはルチャリブレ! ねえ、アメリカの手作り勢はこの布を何に使うの?


 まあそんな感じで、布を出したりしまったり(全部出すとかしない、さすがに)してるうちに、注文の品がやってくる。いい匂いのするコーヒーと、中々のボリュームがあるアップルパイ。横には緩めのクリームが添えられている。


「いただきまぁす」


 いついかなる時でもご飯の挨拶は欠かさない、それが坂木家の掟である。軽く手を合わせてから、ありがたく頂くことにした。

 アップルパイにフォークを入れた時の第一印象は「思ったより硬め」だった。さくり、と音がした。まずはクリームをつけずに一口。


「……おいし……!」


 思わず声が出た。サクサクのパイ生地、上に乗っているローストしたスライスアーモンド、そして中に入っているアップルフィリングは「あまり煮込まれていない」ものだった。大概のアップルパイはよく煮込んだりんごが使われている。勿論甘い。だがこれは、酸味が残っていた。絶妙な、ギリギリのバランスで。そうだ、だからクリームが添えられているのだ。じゃあ次はクリームを乗せて食べるしかあるまい。

 今度は流石に、声を出すのは押さえ込んだ。なにこれすごい。確かに、半端なアップルパイしか食べたことのない人間なら、今までの意識が覆されてしまう。いやあーごめんなさい、最初見たときにこいつぁ量が多いんじゃねぇかダイジョブか、とか考えちゃってごめんなさい。余裕で食うわ。下手すりゃホールで食えるわ。


 このまま他のも手を出そうか……と考えたが、それは次回のお楽しみにしておこう。また来よう。もう次はここ目当てで来るわ。そうすんべ。と、あっという間に平らげたアップルパイの皿を見つめて決意する。コーヒーも美味しい。最高じゃね?

 さて、お手洗い借りようかな。うわーなんかお手洗いすらお洒落だ。なんぞこれ。圧倒されるわー。




 ドアベルが鳴って、来客を告げる。店長の白井はドアに目をやり、常連客が来たことに気付いた。


「お、らっしゃーい」

「邪魔するぜ」

「こんにちは」


 戒斗とエマの二人だ。この二人が揃ってやってくるのは少し珍しかった。


「なんだなんだ、お二人さんはデートかぁ?」

「おうよ。二人でいれば、いつでもどこでもデートだけどな」

「うっわー直球弾! アキラおにいさん、当てられてのぼせそう」

「アーキーラー、無駄口叩いてないでちゃんと働きなさいよ」

「あーい……ステラちゃんキビシィなー。もうちょっと俺っちに優しくしてよぉ」

「十二分に! 優しく! してると! 思うんだけどォ?」

「ッアァアァやめて耳を引っ張り上げるのはヤメテェ! 千切れちゃうゥゥ!」


 いつも通りの白井とステラのやり取りに、戒斗もエマも笑う。ここは数少ない「戒斗にとって落ち着ける場所」である。良い意味で気が緩むのを、彼はいつも実感するのだ。


「今日はさ、なんかオススメとかあんの?」

「特に目新しいものはないけど、アップルパイとかどう? 新規のお客様が美味しそうに食べてくれたわよ」

「じゃあそいつを二つ」


 それとコーヒーに紅茶を頼んで、カウンターに腰掛けて注文を待つ時間のなんと穏やかなことか。ほんの少しだけ、色んなことを忘れて、ただこの空間にエマと二人で居ることだけを堪能する。隣りにいる、この華奢な彼女の体温が、触れずとも分かる。気のせいかもしれないけれど。


 客の姿は自分たち以外に見えないが、奥のボックス席に荷物が置いてあった。空になった皿をステラが下げている。新規の客というのはそこの席にいた人物なのだろう。この店が適度に賑わうのは良いこと……

 と、ここまで呑気に考えて、手洗いの方から姿を現した「新規客」を目の端に捉えた瞬間、戒斗は変な声を発しそうになった。勿論、無理矢理に堪えたのだが。素早くかつ自然に目線を切る。気付かれてはならない。こいつはまずい。


「……どうかしたの、カイト」


 エマが敏感に戒斗の様子に気付き、控えめに声を掛けてくる。彼女には言わない方がいいだろうか? いや、隠し事をしたくはない。ここは告げるべきだろう。


「……会社の人が、奥に居る」

「え?」

「まあ、いつも通りにしてりゃバレないとは思うが……」


 実際、奥の席に腰掛けた客、即ち坂木みどりはこちらに全く気が付いていないようだ。荷物をまとめ伝票を手にしたところを見ると、どうやら会計を済ませるつもりらしい。ならばこのまま乗り切ればいける。大丈夫だ、バレないはずだ、「黒沢鉄男」とは雰囲気が異なるはず。多分。きっと。そうだといいなあ!

 みどりがすぐ近くのレジ前に立つ。結構距離が近い。


「すみません、アップルパイのテイクアウトってできますか?」

「はい、ピースとホール、どちらでも大丈夫ですよ」

「じゃあ、ホールで一つお願いします」

「ありがとうございます。お持ち帰りのお時間はどれくらいかかりますか」

「んー……一時間はかからないと思うんだけど」

「かしこまりました。保冷剤を入れておきますので、ご利用下さい」


 ホール、なるほど、みどりの子供二人に食べさせるつもりなのだろう。高校生と中学生、双方とも男子であるというから、相当に食うことが予測される。特に下の子が滅茶苦茶食うとか何とか言っていた記憶。

 息を潜める、などということをしてしまっては寧ろバレる。みどりは保ばりに鋭い瞬間があるので、油断できないのだ。自然体を貫く、これがもっとも効果的な隠匿方法。

 会計を済ませ、荷物とアップルパイの箱を抱えて、みどりは出ていった。気配が遠くへ消えるまで待って、思わず大きな溜息を付いてしまう。


「セーフ……だと思うんだがなぁ」


 楽観的観測だ。更に言うのなら、仮にみどりが気付いていたとしても、こちらの意図を組んでくれるのではないかという……汲んで、欲しい、と、思う……。

 戒斗の不安を感じ取ったエマが、ぎゅっと手を握ってくる。細い細いその手を握り返して、「大丈夫さ」と言ってやれば、ようやく花が咲くような笑顔を見せた。


「カイト、アップルパイ食べよっ」


 カウンター越しに差し出された皿に、エマが微笑み、戒斗にも微笑む。


「……そうだな。ありがたく頂くか」


 今はただ、エマに心配をかけたくない。その一心が状況に勝った。戒斗が向ける微笑みは決して、エマを安心させるために作ったものではない。勝手にこうなるのだ。

 二人の穏やかな空気を眺めてニヤニヤする白井と、それに気付いて白井の頭をひっぱたくステラ。いつもの空間が構成されて、戒斗は不安を忘れることができた。




「どっかで……まあいっかあ」


 みどりは首を傾げる。見たことのあるカップルがいたような気がする。しかし、今はそれどころではない。とっとと自宅に帰って裁縫に勤しむのだ。そんで夕飯の後にアップルパイを喰らうのだ。豪快に四等分して、余った一切れは奪い合いじゃあ。食卓は戦争じゃ、合戦場なんじゃああ。

 小走りで車を停めた駐車場へと向かう。このウキウキした気分を持続したまま帰宅したかったからだ。であるから、いつだったか何処かで見たような気がする、鉄男に似たような気がしないでもない人物のことなど即刻頭の中から吹っ飛んでいた。みどりにとっての重要項目から外されてしまったからだ。



 翌日、会社にてみどりの様子を密かに伺う鉄男の姿。何も考えてないみどりの馬鹿騒ぎに巻き込まれ、鉄男の懸念が消し飛んだのは笑い話だ。

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