黄色い日差しの中で

@hiyokoke2

第1話 恩師の言葉

これまでの人生において、私は多くの人に助けられて生きてきたと思う。そんな風に壮大に言ってみても、それは25年にも満たない短い人生だ。だが、私のすべてである。振り返って考えれば実に下らない多々の出来事に驚き、狼狽し、慟哭し、赤面したものである。しかし、どれもこれも当時の私には乗り越えようのない巨大な人生の壁であったのだ。友達とのすれ違い、理解できない算数、うまく飛べない縄跳び、親とのけんか、部活でのイザコザ、将来の進路、卒業論文……。圧倒的な城壁のようなそれらは私一人ではとても攻略することはできなかった。だが、それでも私がこうして曲がりなりにも大学を卒業して、教員免許を手にして学校で働き始めたのは私をどん底から救い上げてくれた恩師との出会いがあったからだ。

 私の恩師は小学校の担任教諭だった。名前は山本という。小学校5年生の時、私のクラスの担任となった。この時の山本先生は50代前半で、やわらかい笑顔とおかっぱ頭、いつも着てくるクリーム色のカーディガンが印象的な女性であった。音楽が専科であり、きれいな歌声や自身が作曲したオリジナルの曲で授業を行うこともあり、私たち児童を楽しませてくれた。

 当時私が通っていた学校はかなり荒れている小学校で県下の小学校児童による問題行動の内、一割がわが校で起きたことだといわれていたらしい。そんな学校において山本先生は決して声を荒げることもなく、クラスの児童に真摯に向き合ってくれた。

 暴力事件を起こした男子児童たちがいれば、間に割って入り止めさせて一人一人から理由を聞いた。そして双方が相手に対して怒りの感情を持つことを認めたうえで、その発散を暴力に頼らないようにする方法を一緒に考えよう、と説得した。

 友達のアクセサリーを盗んでしまった女子児童には綺麗なものを貰いたくなる気持ちはわかる、と相槌を打った。そして、でもこれを取り上げられた人の気持ちは考えたことがあるだろうか、と問いかけた。

 私にも先生から問いかけがあった。担任になってすぐ、山本先生は

「みんなのことがもっと知りたいので、毎日放課後に一人と教室に残って面談をしていきましょう」

とおっしゃった。何日かして私の番が来たのだ。当時の私は、成績が悪く、まったく宿題や明日の持ち物の準備などを行わない児童だった。理由は自分でもわからなかった。ただ何となく忘れる、やる気が起きない、としか説明できず両親やそれまでの担任教員からは「忘れ物の王様」と呼ばれて呆れられていた。そんな私に山本先生は放課後の教室でニコニコ笑いながら問いかけてきた。

「あなたは学校は嫌いですか?」

 初めて聞かれた質問に戸惑ったのを覚えている。しばらくここ最近の学校での思い出を頭の中に思い描きながら

「…………嫌いではないです。嫌なこともあるけど、授業で知らないことを教えてもらえるのはうれしいです。」

 山本先生はにっこりと笑い

「うんうん、それは素晴らしいわ!あなたはいろいろなことに興味があるんですね。」

 と何度もうなずいた。ひとしきりうなずいた後で、では、と新しい質問をされた。

「勉強は嫌いですか?」

「……嫌いです」

 今度の質問はすぐに答えが出せた。自分は成績も悪く、宿題も、持ち物の準備もやる気が起きないのだ。勉強嫌い以外なんと答えたらいいのだろう。そんな自分に山本先生はまたにっこりと笑っていった。

「あなたの言ってることは矛盾していますね。新しいことを教えてもらえるのは好き、でも勉強は嫌い。おかしいですよね。」

 いわれてみると確かにそうだった。勉強とは新しいことを学ぶことだ。知らないことを知るのは楽しい、でも自分はいつも宿題を忘れたり、やる気が起きない。なぜだろうか。答えられずにいると先生は次々質問をしてきた。

「宿題はなんでやるものだと思う?」

「習ったことを覚えるため」

「じゃあ、あなたは習ったことを覚えたくないから宿題をやらないの?」

「……そんなことはありません」

「宿題をやろうとして困ったことはあった?」

「……漢字を何十回も書いたけど、うまく覚えられなかった。算数のプリント、その日習ったところなのに解き方が分かんなくて進められなかった」

「その時あなたはどんな気持ちだった?」

「…………出来なくてイライラして、悔しくて、……嫌だった。自分が馬鹿で」

「うーん、そうですか」

 山本先生はそう言うとまたニコニコ笑った。

「今お話しして先生は安心しました。あなたは頭がいい子です。間違いありません」

 思わず、なんで?と聞き返していた。山本先生は言葉を続けた。

「だってあなたは自分で、このぐらいのことはできないといけない、と理解していますね。今日やったばっかりなんだから、何回もやったんだから、と。あなたは自分がやっていることを自分なりに評価する基準をもって、判断出来ているんです。そのうえで、こんな簡単なことなのにうまく出来ない自分は馬鹿だ、と自分を責めている。そんなことが出来る人に馬鹿はいませんよ。」

 よくわからずに困っていると先生は「自分は人から見たらどう思われるのか想像できている証拠ですよ」と山本先生は続けた。

「では、そんな頭がいいあなたが、なぜ宿題や勉強を出来るようにならないのか?それが思いつきますか?」

「……ええと……思いつきません」

「そうです正解です!やっぱりあなたはできる子です!」

「え?」

 困惑する私に、嬉しそうに先生は続けた。

「自分はこれを出来なければいけないのに、できない。ではどうすればできるようになるのか?解決策が思いつかずにグルグル同じ場所で考え続けているのです。そうして、自分は解決策が思いつかない馬鹿なんだ、と思い込んでしまっている。それだけなのです。」

 何度も言いますが、あなたは能力が低いのではありませんよ、と先生は言う。

「では最後の質問です。自分で解決策が思いつかない時はどうしたらいいでしょうか?」

 自分で思いつかないならどうするのか、それはとても簡単だ。シンプルな答えだった。

「知っている人に聞く」

「そのとおり!うんうん!」

 先生は嬉しそうに何度もうなずいた。

「あなたは難しく考えすぎていたんです。出来ないことは悪いこと、自分で何とかしないと。でも何とかできない。そうだ自分が悪いんだダメな奴なんだ、とね。新しいこと、初めてのことが一度や二度でわかる人なんかいません。わからなければわかる人に聞けばいい。聞きながら同じことを五回も六回も繰り返してやっと少しわかる。百回、二百回までやってやっと理解できる。人間はみんなそんなふうな面倒な生き物なんです」

 そこまで言って先生は右手の小指を突き出すと私の前に突き出した。

「では約束です。あなたが困っていたら先生は必ず一緒に困ってあげます。一緒に考えてあげます。宿題が一人でできないのなら放課後に教室で先生と終わらせてから帰りましょう。毎日でなくてもいいです。でも少しずつやれる日を増やしていきましょう。約束できますか?」

私は元気よく返事をして右手の小指を突き出した。先生の小指はやわらかく、力強かった。

 当然のことながら、次の日から毎日宿題を出すようになった、などということはなかった。出したり忘れたりを繰り返していた。それでも三日に一回しか出さないという年度当初の状態から、学年末には二週間に一度忘れることがある、程度までは改善した。そんな私に先生は最後のクラス会でこう言った。

「人生は長いのです。一年でここまで変われたあなたはこれからもっと変わっていくでしょう。完璧でないなんて落ち込んではいけませんよ。人間少し抜けているぐらいがかわいいのです。あなたは私にとってかわいい生徒でしたよ」


あのクラス会から何年もの時間がたった。先日大学を卒業した私が地元の喫茶店で向かい合っているのは、そのころと何一つ変わらないあの柔らかな笑顔だった。クリーム色のカーディガンもそのままだ。私は採用通知書を見せながら聞いた。

「先生が指導で大切にするべきと思うことは何でしょうか?」

 私が漠然とした質問をしたのに対して先生は懐かしそうに、頬を緩ませてから答えた。

「時間がかかっても、本人が納得する答えを得るまで考えさせるのです。叱りつけて、大人に怒られる恐怖から謝罪や反省の言葉を引き出してもそれは一過性です。真の更生、真の教育指導とはなりません。間違った行動を変えるには、何が悪いのか、自分はなぜ非難されるのか、自分自身で考えて結論を出せなければ、成長はありません。教師はその手助けをする存在なのですから、叱るという外圧を加えるのではなく、~~はどうだろうか?という思考の材料と自分自身を信じるための少しの勇気を与えることが重要なのです。」

 大人になってから再会した私が、先生から聞いたのはそんな言葉だった。

「ありがとうございます。その言葉を胸に刻んでこの学校で頑張ってきます」

 礼を言う私に先生は

「わからないことは聞く、できるようになりましたね」

といたずらが成功した時の子どものような笑顔で答えた。

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