マネキンの視線

湖城マコト

視線の主

 それは、午後11時を回った頃の出来事だった。

 バイトを終えて自宅へと戻る途中、僕は突然誰かの視線を感じた。

 近くを歩いていた人の視線が、たまたま僕のところで止まっただけかとも思ったけど、今この瞬間、目につく範囲に人の姿はない。

 周りに誰もいない状況で感じる視線が気持ち悪く、僕は視線の出所を求め、辺りを見渡した。


「あそこか?」


 道路を挟んで左側にそびえ立つマンションの窓際に、人影のような物が見える。どうやら3階の角部屋のようだけど、夜だというのに明かりを点けず、カーテンも閉じられていない。

 違和感を感じながらも、好奇心から僕はもう少しマンションに近づいてみることにした。


「マネキン?」


 よく見てみると、窓際に立っているのは女性型のマネキンだった。マネキンは黒いロングヘアーのウィッグをつけており、服装は白いワンピース。そんな外見も手伝って、明かりの点いていない窓際に佇むマネキンという絵面はかなりホラーだ。


「……気味が悪いな」


 視線の正体には一応納得がいった。人形から視線を感じるような気がするというのはよくある話だ。決して良い気分ではないけども……


「帰ろう」


 夜中にマネキンと見つめ合うのは流石に気が引ける。僕は足早に家へと帰ることにした。




 二日後。買い物に出かける途中で、例のマンションの前を通りかかった。

 通り過ぎ様に、僕の視線は自然と三階の角部屋へと吸い寄せられる。

 二日経ったというのに窓際には変わらずマネキンの姿があり、一瞬目が合ってしまう。いや、マネキンと目が合うというのも変な話しか。

 住人はいったい何を考えているのだろう? マネキンを集めるのが趣味なのだろうか? あるいは通行人を驚かせるための悪戯の類か?


 いずれにせよ、趣味が悪いとしか言いようがない。

 



 翌日。事態は急展開を迎える。

 自宅からバイト先へと向かう途中に例のマンションを通りがかると、周辺が騒がしくなっていた。

 数台のパトカーがマンション前に停まっており、警察関係者が忙しなく出入りを繰り返している。規制線の外は近隣住民を中心とした野次馬でごった返しており、何かしらの事件が起こったのは明らかだった。


「何かあったんですか?」


 近くにいた若い男性に尋ねてみる。


「殺人事件らしいですよ」

「このマンションで?」

「ええ、三階の角部屋だそうです」


 流石に驚いた。あのマネキンの置いてある部屋じゃないか。


「詳細は分かりますか?」

「あの部屋で一人暮らしをしているOLが、部屋で死んでいたそうです。なんでも死後5日以上は経過してるとか」

「5日……」


 つまり、初めてあの部屋に意識が向いた日には、住人はすでに死んでいた?


「しかし、どうして殺人だと? 病死や自殺の可能性は?」

「背中に刃物で刺された跡があったそうですよ」

「なるほど、それで殺人事件ですか……」


 死体の転がっていた部屋に意識を向けていたかと思うと、少しだけ背筋が冷えた。


「他に何か分かってることは?」

「これ以上は僕も聞いていません。警察もまだ捜査中みたいですしね」

「そうですか。ありがとうございました」


 事件の詳細は気になるが、今はバイト先に向かう途中だ。後ろ髪を引かれる思いではあったが、僕はひとまずマンション前を後にした。




 バイト先でも、マンションの事件が話題に上がっていた。


「先輩。マンションの事件のことは知ってます?」


 情報通の後輩が、休憩時間にそう聞いてきた。


「マンション前を通ったけど、まだ捜査中だったみたいで、そこまで詳しい情報は聞いていないよ」


 僕が入手している情報は、3階の角部屋で若い女性が殺害され、死後5日以上が経過しているということだけだ。


「俺の情報によると、あれ、けっこうえぐい事件ですよ」

「具体的には?」

「殺された女性の遺体……両目がくりぬかれていたらしいっす」

「両目が……」


 思わず眉を顰めた。ただの殺人ではなく、猟奇殺人だったのか。


「ここから先が、さらにいかれてるんですけど――」

「まだ何かあるのか」


 死体から両目が抉られている以上にインパクトのある情報なんて――


「くりぬかれた両目、被害者の部屋の窓際にある、マネキンの目の部分に埋め込まれていたそうですよ」

「えっ?」


 驚きのあまり、飲みかけの缶コーヒーを落としそうになった。


「マネキンも犯人が持ち込んだ物のようで、女性を殺害後、目をくりぬきマネキンに移植。ご丁寧にマネキンの髪形や服装も、被害者の女性に似せてあって――」


 後半はもう僕の耳には聞こえていなかった。


 やはり僕は視線を感じていたのだ。

 マネキンから、いや、被害者の女性の眼球から。


 やはり目が合っていたのだ。

 マネキンの眼球――被害者の女性の眼球と。


 正直混乱していた。直接死体を見たわけではないが、ある意味死体と目が合ったともいえる。


 ふと我に帰り。僕の中に一つの疑問が生まれる。


 あの視線は誰のものだったんだ?


 眼球の持ち主である被害者の女性のもの?

 それとも、あの眼球の埋め込まれていたマネキンのもの?


 持ち主の眼窩がんかを離れた眼球から放たれる視線は、誰の物ということになるのだろうか?


「しかし、よくそんな情報を仕入れて来たね」

「仕入れて来たというか、実行犯ですし」

「えっ?」

「冗談ですよ」


 後輩は口元だけで笑っている。

 狂気を内包した薄気味悪い彼の視線は、僕を捉えて離さない。

 



 了

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