拾得物と拾得者

「申し訳ありませんでした」


 そう深々と頭を下げるノアに、エネトが「ふん」と首を傾げるのを、シオンは横目で見ていた。


 昼間、魔王の城に拉致――もとい保護されてから、もう夜も更けた。今もノアが部屋に入ってくるまで、エネトとシオンは客として与えられたこの部屋で、見慣れない菓子をつまみながら、ゆったりと茶を飲んでいたところだった。


 日中、医務室でエネトとシオンが休んでいる間には、いろいろとあったらしい。なにがどう、いろいろあったのか……詳しいことは聞いていなかったが、少なくともシオンらが魔王の玉座の間へと呼ばれて向かったときには、ノアがその場で気を失い倒れていた。


 ノアの細く繊細な顎は、今は薬草を塗った湿布で覆われている。おそらくその下は、まだ痛々しくも赤く腫れ上がっているのだろう。しかしノアは痛みに顔をしかめることもなく、いつもの真顔で言葉を続けた。


「私は本来、殿下に安全な旅を送っていただくために、同行した身です。それが……私がいたらないばかりに、殿下は倒れられ、その上に私はお側にいられなかったどころか、魔物に操られ……」


 頭を下げたままのノアの髪が、さらりと首もとに流れる。部屋の明かりを反射し輝くその様が美しく、シオンはただぼんやりとそれを見つめた。


「常に冷静なノア・エヴァンスにしては、認識に誤りがあるな」


 自分の顎に手を当てながら、エネトがいつもの飄々とした声音で言い出した。


「まず、おまえを操ったのは魔物ではなく〈調停者〉だったそうだ。魔王も顔負けの化け物だったからな、アレは。操られたところで、おまえの非ではあるまいよ」


 医務室で見た戦いを思い出してだろう。それこそ珍しく、エネトが顔をしかめた。だがそれも長くは続かず、いつものにんまり顔に戻る。


「それに、森の危険性は元より承知の上での、この旅だ。結果的に、今無事なのだから、大成功とも言えるわけだな」


 そう言いながら、エネトがちらりと視線を送ってきたのに、シオンは気がついた。「えぇ」と頷き、ノアににこりと笑う。


「夕ごはんも、珍しいものが多くて美味しかったですしね。それも、ここまでご一緒してくださったノア様と、魔王に図々しく客人扱いを要求した殿下のおかげです」

「いや……私は」


 ゆるく首を振るノアに、エネトが「どうしようもないヤツめ」と、左右に首を振った。


「そもそも、ノアがいなければここに来ることはなかったのだ。護衛がシオンだけでは心もとないと、始めに言っただろうが。おかげで、魔王についてや神話についての理解も深まったしな。世界のからくりに触れるなぞ、本来禁忌だぞ」


 それを、と。エネトはふんぞり返りながら続ける。


「必要以上に卑下するなど、それこそここまでの旅と成果を無下にすることだ。つつしめ」

「……は」


 ノアの頭が、更に深々と下げられた。もしかして泣いてやいまいかと、シオンは一歩近づこうとした。

 が、その前にエネトが動いた。

 必要以上に下げられた銀色の頭にさらりと触れ、揺れる先端をそっとつかむ。それを自分の口元まで持ってくると、そっと口づけた。


「おまえには文字通り神の加護がある。そしておまえは王家の物だ。王家の剣だ。神に護られし王家の剣を侮辱する者は、何人たりとも赦さんぞ」

「……っ」


 口元を押さえながら、ノアが小さく震えた。そのまま「申し訳ありませんでした」と小さく呟く。


 ようやく上げた顔は、いつもより頬が少し紅いように、シオンには見えた。さらっとエネトの手から、髪の毛が滑り落ちる。


「明日からはまた、城への旅が始まる。良いか――父上を不死にする方策を持ち帰らぬのだから、例の噂の蔓延を別の方法で止めなければならん。意外にそちらの方が、旅路の苦労より骨が折れるかもしれんぞ」

「……そう言えば、そんな話でしたねぇ」


 すっかり忘れていたシオンが呟くと、ノアがほんの少し微笑んだような気がした。改めてシオンが目を向けたときには、常の真顔ではあったが。


 ノアはエネトとシオンを見ると、もう一度、頭を下げた。


「それでは――明日より、また宜しくお願い致します」

「あぁ、よく休め。そもそも疲れていては、まともな思考などできん」

「おやすみなさい、ノア様」




 ノアが退室すると、エネトは大きく伸びをし、ベッドに腰掛けた。エネトの自室にあるもの程ではないが、それでも一人で寝るには充分すぎるほど大きく、柔らかなベッドだ。


 茶を片付けるシオンに、「ボクらも寝るか」とエネトが声をかける。


「わたしは、念のため見張ってますので。どうぞお休みください」


 ここは城外ですし、と言うシオンに、エネトは無言で首を傾げた。それから、ちょいちょいと手招きしてくる。


「……? なんでしょ……ッ」


 ベッドの側まで来たシオンは、不意に腕を引かれ、バランスを崩した。そのまま反対の手で腰を引き寄せられると、向かい合わせでエネトの膝に座り込む体勢になる。


「殿下?」


 濃い藍色の瞳が、間近からこちらの目を覗き込んでくる。口を開くのも躊躇われるその距離感に、囁くような声音で呼ぶと、エネトの目がにやりとしなった。


「おまえも馬鹿なことを考えているな」


 ぎくりと身を強張らせるシオンの腰を、エネトが更に強い力で引き寄せる。もう一方の手は腕から離され、代わりに頬へと触れてきた。


「〈剣聖〉に嫉妬か」


 見透かされている。言い訳する気持ちにもなれず、シオンはぎゅっと唇を噛んだ。


「何故、おまえが嫉妬する必要がある」

「……わたしこそ。今回の旅で、なんのお役にも立ててないから、です」


 思いのほか、気持ちは素直に口から漏れた。


 ノアはエネトに請われたからこそ、この旅についてきた。そしてノアがいなければ、そもそもこの旅に出ることなどなかっただろう。それほどの保険としての役割が、ノアにはあった。


「わたしは……殿下のお側にいながらも、なにもしていない。一緒になって倒れて、ここで起きた戦いも、ただ見ていただけですし……ノア様のようになにかと戦ったわけでもない。本当に、ただいただけで」


 言いながら、情けない気持ちになってくる。なにより、先ほどのエネトの言葉が、そんなノアの気持ちに拍車をかけた。


「ノア様のような方がいらっしゃれば、わたしは本当に、要らない存在なんだなと思えて……。当然ですよね、ノア様は〈王家の剣〉で。わたしはただの、拾われ者ですし」


 我ながら子どものような物言いだと、シオンは自嘲した。


「なにを当たり前なことを言っている」


 エネトの呆れ声が返ってきたのに、小さく震える。目前の顔も、声と同じ色を湛えており、シオンは思わずぎゅっと目をつぶった。


「申し訳……」

「ノアはエヴァンス家の者だ。だからこその〈剣聖〉であり、王家の剣の役割を担っている。おまえと比較する立場にあるわけないだろう」

「……はい」


 それ以上の言葉は聞きたくなかった。分をわきまえない愚かさに、シオンはひたすら小さくなる。耳を塞ぐ代わりにつぶった目に、ただただ力を込める。


「いいか。どうという身分でもない流れ者のおまえを、ボクが拾った。だからおまえは、今ここにいる」


 ふと。言葉と共に、エネトの手の温度が頭へと移動するのを感じた。それはシオンの輪郭をなぞるように、頭から首へ、首から背中へと、ゆっくり下がっていく。


「おまえの全ては、ボクの者だ。ボクが拾得者の権限で、十割いただいた。持ち主も現れなかったしな、当然だ」


 エネトの手が、尻と太もも、それから脹ら脛を辿り、爪先をぎゅっと握ってくる。


「勘違いするなよ。おまえを王家の物にするために拾ったわけないだろうが。おまえは剣だ。盾だ。ただボクの隣に常にいて、ボクの役に立つのがおまえの役割だ」

「……はい……」


 おそるおそる目を開くと、にやりとした藍色の目が、シオンを捉えた。


「ボク以外の役に立つことも、ボク以外の側に立つことも赦さん。おまえの頭から爪先まで、全部ボクの物なんだからな」

「……殿下が言うと、やっぱりセクハラっぽいです」


 小さい声で、なんとか言い返すと、エネトがふんと鼻を鳴らした。


「なんだ。また、あの貴婦人の会に訴えるのか」


 拗ねたようエネトの言葉に、シオンはくすりと笑うと、人差し指をそっと自分の唇に押し当てた。


「不快に感じたときは、ただちにそうさせていただきます」

「それならば安泰だ。このボクからの親愛の情を不快になど感じるはずがないからな」


 堂々と言ってのけながら、エネトはそのまま後ろに倒れた。二人分の重みに、ベッドが深く沈み込む。


「さすがに少々疲れた。今日はこのまま寝るぞ」

「ですが、不寝番を」


 上に乗るシオンの言葉に、「ひとの話を聞かんな」と、エネトがため息をつく。


「疲れていてはまともな思考などできんと、先ほどの言ったばかりであろうが。いらん心配よりも、明日からに備えるのが賢いやり方だと何故分からん」

「はぁ……すみません」


 確かに、そう言われれば反論のしようがない。もしこの城で襲われる可能性があるならば、すでに事が起きていなければおかしいほどに、隙はいつでもあったはずだった。


「そうと決まればさっさと寝るぞ。おまえの役割は、ボクが寝つくまでその太ももで膝枕になることだ」

「寝ついたら、止めて良いんですか?」

「そしたら、腕枕に役割変更だな。なんにせよ大役だ。心してかかるように」


 どこまでも大層な言いように、「はいはい」と適当に返事をしながら、いつの間にか心が軽くなっていることに気づく。


 それは、エネトの言葉に偽りがないと分かっているからで。シオンもその全てを受け入れているからなのだろう。

 少なくとも、自分がエネトだけの剣であると、そのことにシオンは誇りをもっている。


 本当に、膝に顔を埋めながら、あっという間に寝息を立てはじめたエネトに、そっと手を伸ばしかけ。しかし、途中でそれを引っ込めると、シオンはそっと目を閉じた。


 肌に感じる体温は、シオンを捉えて放さず。それは、ここにいて良いのだと言葉よりも強く言われているような気がして、シオンは愛しい呼吸音に合わせるように、ゆっくりと息を吐いた。

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「へたれ魔王は倒せない!」番外編 綾坂キョウ @Ayasakakyo

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