「へたれ魔王は倒せない!」番外編

綾坂キョウ

ぼくの魔王さま

 ぼくは狼型の魔物だ。名前はポチ。〈東の魔王〉である、アレフィオスさまのお城に住んでいるよ。



 ぼくが魔王さまに拾われたのは、今から五年前のこと。人間の冒険者に傷つけられて、弱っているところを、魔王さまが拾って助けてくれたんだ。



 魔王さまのお城は大きくて、たくさんの魔物たちが住んでる。ぼくと似ているけど人魔の要素が強い人狼さん、全身鎧でできた警護長さん、下半身が蛇な蛇女さん、上がおじさんで下が根っこなドクター、そしてぼくの先輩で猫型魔物のタマ先輩。他にもいっぱい、いっぱいいる。



 変なヒトが多いけど、みんなに共通していることがあるんだ。

 それは、魔王さまのことがみんな、大好きだっていうこと。



※※※



 ぼくの一日は、玉座の間で始まる。玉座の間には、魔王さまのお部屋に繋がる通路があるからね。ただ、その通路は魔王の力がないと通ることができないから、出てくる魔王さまを一番にお出迎えできるように待っている。


 その日、通路から出てきた魔王さまの顔を舐めると、ちょっぴりしょっぱい味がした。ぼくは首を傾げて、魔王さまのきらきらした目を見る。魔王さまはにっこり笑って、「おはよう」とぼくをぎゅっとしてくれた。それだけでぼくは、とても幸せな気持ちになっちゃって。パタパタ尻尾を振りながら、さっき感じた不思議な感じのことは忘れてしまった。



※※※



 ごはんの時間が大好き! 魔王さまになでてもらう、次くらいに好き! その次はお散歩。



 ごはんのときは、食堂に行って、隅っこに用意してもらったものを食べるよ。タマ先輩のごはんも隣に置いてあって、よく並んで食べるんだ。


「タマ先輩。今日もごはん、おいしいですね!」


 ぼくは、よく分からないけれど肉がついたおっきな骨をかじりながら、タマ先輩に話しかけた。



 タマ先輩は魔王さまと同じくらいの大きさのよく分かんない魚をかじりながら、ちらっとこっちを見て。大きな目を少し細めると、低くのどを鳴らした。


「小僧、食事は黙ってするもんだよ。何年言い聞かせれば分かるんだい」

「あ、えっと。ごめんなさい」


 タマ先輩は硬派だ。楽しかったり嬉しかったりすると、すぐにはしゃいじゃう僕とは大違いだ。ぼくは尻尾と耳を垂れて反省した。


「それより、ポチ。魔王様、今日どこかおかしくなかったかい?」


 魚をすっかり平らげて、前足をざりざり舐めながらタマ先輩が言う。


「え? あ、えっと。ぼく、よく分かんない」


 そう言えば、朝、なにか思った気がする。なんだっけ。なんだっけ。



 首を傾げるぼくに、タマ先輩は首を振って「もういいよ」と呟いた。その目は、じっと魔王さまを見つめている。


「タマ、ポチ。今日も仲が良いな。結構、結構」


 空になった食器を下げるために通りかかったのは、警護長さんだ。僕とタマ先輩は魔物だけれど、獣としての血が濃いからか(そう、タマ先輩が前に教えてくれた)、他の魔物のヒトたちは、僕らの言葉を理解できない。その中でも特にこのヒトは、僕らを勝手に解釈して適当なことばっかり言う。


「……まぁ、悪い奴じゃないんだけどねぇ。間が抜けているだけで」


 通り過ぎていく警護長さんを、タマ先輩が溜め息まじりに見送る。最近の騒ぎでは、ずっとおかしな臭いをまとってたくせに、自分でそれに気づかなかったあたり、ほんとに間抜けなヒトだ。でも悪い奴じゃないっていうのもほんとだから、ぼくもぱたりと尻尾を振って、それに同意した。



※※※



「皆さん、おはようございます……!」

『おはようございまぁぁぁすっっ』


 朝ごはんのあとは、玉座の間で朝のお話だった。魔王さまがみんなに呼びかけると、すごい声が返ってくるのも、いつものことで。ぼくも負けじと、わうわう吠える。



 それにしても、今日はみんな気合いが入っていて、それには理由があった。


「えっと……皆さんが力を合わせてくださっているおかげで、この玉座の間も、だいぶ綺麗に片付いてきました。本当に、ありがとうございます」


 そう言って、魔王さまがぺこりと頭を下げるものだから、みんなびっくりしてどよめくやら照れるやら。魔王さまの隣に立っている(間抜けな)警護長さんは、あわあわしながら「頭をおあげになってください……!」と騒いだりしてる。



 そう、今日は久しぶりに、みんなでこの玉座の間に集まることができたんだ。この前の騒ぎで割れてしまった窓もなんとかふさがって、瓦礫も片付けられた。真っ白な壁には、まだヒビが残っているけど、これももう少し頑張れば綺麗になるらしい。



 魔王さまは顔を上げると、にっこりとして話を続けた。


「今日は、皆さんにお願いがあります」


 お願い、という言葉に、みんながざわざわとなる。改めてそんなことを言うなんて、一体どうしたんだろうと、みんなすぐに静かになって、魔王さまの声に耳をすませた。


「――先日の訓練の成果もあり、皆さんは最近、人間との戦闘があっても、以前より犠牲を少なくすることができるようになりました。これは、素晴らしいことだと思います」


 途端、また部屋の中が沸き立つ。みんな、褒められたのが嬉しくて仕方がないみたいだ。ぼくはめったに戦闘になんていかないけれど、それでもつられて一緒にきゃんきゃん吠えた。


「ですが」


 みんなの様子をうかがってから、魔王さまが静かな声で続ける。


「だからこそ、今一度お願いをしたいのです。もし人間と戦闘になっても――深追いしないことを」


 さっきとは種類の違う、ざわざわが起こる。それはそうだ。だって、森にやってくるのは人間からで、ぼくらはそれを追い払ってるに過ぎない。なのに、人間はわざわざぼくらをやっつけに来る。城の魔物の中には、大切な相手を人間に傷つけられたヒトだって多い。ぼくが、あのとき怪我をしたのだってそう。



 魔王さまだって、それを分かっているんだろう。少しだけ悲しい顔をしてみんなを見渡すと、またゆっくり話始めた。


「人間は、確かに私たち魔物を敵視しています。それは、魔物に与えられた性質に起因する、誤解からです。光と影は本来、表裏一体であるはずなのに、人間たちは神々と対になる魔物の性質を〈悪しきもの〉と解釈しています。これは、人間の無知からくる悲しい誤解です」


 つまり、人間が「おばか」だから、ぼくらがイヤなめにあってるってわけだ。そんなの、ますます許せない。



 なのに、魔王さまったら。


「だからこそ、私たちが人間を許すべきなんです」


 なんでなんで。みんなが魔王さまを見る。


「人間の魔物への認識は、信仰とも結びつき、覆すのは容易ではありません。だからこそ、日々の積み重ねをもってして、人間たちには事実を理解してもらうよりないのです」

「そうは言ってもよ。人間たちが急に来なくなるわけがねえ」


 人狼さんが、ひときわ大きな声で言った。


「だから、あの人間を教官にして、俺らを鍛えたんじゃねぇのか? 魔王様よぉ」


 言葉遣いは乱暴だけど、どちらかというと戸惑った感じに人狼さんが訊ねる。魔王さまも頷いた。


「貴方の言う通りです。私が一番恐れているのは、皆さんが傷つくことです。ですから、人間から攻撃してきたときには、反撃もやむを得ないと思います」


 ですが、と言葉は続いた。


「始めに言った通り、深追いはしないでください。それでは、いつまでも誤解は解けません。むしろ、人間は私たちの戦闘技術が上がったことに焦り、思わぬしっぺ返しをしてくるかもしれません」


 それに、幾つかの賛同の声が上がった。


「勇者が送られてきたりね。実際、既に痛い目をみた者もいますし」



 蛇女さんが、静かな声で言う。それはみんなの耳に届いて、うんうん、と頷くヒトもいる。



 魔王さまは少しほっとした顔で、改めてみんなを見た。


「人間の誤解を解くこと。これは、遠回りですが、最終的には皆さんを守るための、一番の方策だと、私は思います。今回……皆さんに守られた私が、言えることではないかもしれませんが……。ですが、人間の恐ろしさを知ったからこそ、お願いしたいのです」



 私にとって、皆さんは欠けがえのない、家族ですから。



 そう、魔王さまが言うのに。

 もう、反論するヒトはなく、ただみんな、静かに静かにお互いの顔を見て、頷きあった。



※※※



「お疲れ様です、魔王様」


 演説が終わった魔王さまについて、医務室に行く。ぼくがドクターの机をくんくんと嗅ぐと、ドクターは「仕方ないわねぇ」と、中からジャーキーを出して千切ってくれた。尻尾を振ってそれをもらい、ぼくは魔王さまの足元に寝そべった。


「ありがとうございます、ドクター」


 服の前をはだけさせながら、魔王さまがドクターに笑いかけると、ドクターは小さく「きゃっ」と言って赤くなった。



 朝の健康観察は、毎日の日課だ。特にいつもと変わりなく、ドクターが魔王さまの胸の音や、顔色、体温とかを確認していく。


「魔王様。ほんとに、お疲れみたいですね」


 一通り観察の終わったドクターが、淹れたてのお茶を魔王さまに差し出しながら、困った顔で呟いた。ぼくにも、ジャーキーの残りを投げてくれたので、すかさずキャッチする。


「……ちょっと、寝不足で」


 困った顔をしたのは、魔王さまもだった。まだ熱いのか、紅茶を舐めるようにしながら、ちらりとドクターを見る。


「ドクターには、分かっちゃうんですね」

「それが、アタシの仕事ですからねぇ」


 くすりと笑うと、急に真面目な顔になったドクターは、「なにか理由が?」と魔王さまに訊ねた。


「……夢見が、良すぎるんです」


 困った笑顔のままで、魔王さまはそう言った。


「夢見が?」

「はい……その。兄の夢を」


 それを聞いた途端、ドクターの顔が強ばるのが分かった。尻尾があったら、ピンってなってそうな。そんな雰囲気。



 魔王さまのお兄さんは、先代の魔王さまだ。ぼくが拾われる前に亡くなっているから、よくは知らないのだけれど。


「ドクターは、ご存知でしょう? 魔王の、記憶の引き継ぎを」

「えぇ……まぁ」


 紅茶をすすりながら、ドクターは頷いた。魔王さまが頷く。


「ずっと、兄の記憶は引き継げないでいたんですけど……リュースさんから、聞いたんです。兄の行動の真意とか……想いとか、そういうのを」


 そう話す、魔王さまの目は柔らかい。ドクターは黙って聞いている。ぼくもジャーキーをかじりながら、じっとしていた。


「兄は……孤独でした。城には私も含め、たくさんの魔物たちがいましたけど、誰も兄の心を埋めることはできませんでした……。

 でも、それでも兄は最後に、自分でいられる場所や、生きた証を遺せた。それは……多分、不幸なことではなかったんだと思います」


でも、と。

魔王さまは続ける。


「私には、皆さんがいる。それはとっても幸運なことで……だからこそ、絶対に失いたくないと、最近……強く、思うんです」


 だから、あんな演説をしたのか。ぼくは魔王さまの足元で、一人で納得した。


「夢の中の兄は……記憶の中の兄よりも、優しく笑っていて。ごめんよ、でも宜しくって。ちょっと笑いながら言うんです。だから私も、仕方ないなぁって……笑って……」


 ほたりと。

 頭に冷たいものが落ちてきて、顔を上げる。魔王さまが、笑いながら泣いていた。


「起きると、もっと……早くに、そう言ってあげられたら良かったなぁって……そう、思っちゃって」


 ぼくは立ち上がり、魔王さまの頬を伝う涙を、ぺろりと舐めた。ドクターは無言で、その背をそっとなでていた。



※※※



「魔王ってのは、辛いもんなのさ」


 タマ先輩が、玉座にどでんと横になりながら、欠伸まじりに言う。



 夜になって、みんなが静まり返った頃。ぼくはタマ先輩に、医務室での話をした。正直、ぼくにはよく分からない話だった。


「魔王なんて、なっても良いことないのさ。魔物たちを従える権利は得るけど、絶対なもんじゃない。従えたところで、どうってことないしね。ただ、責任が増えるだけさね」


 タマ先輩の説明も、やっぱり難しい。ぼくは首を傾げながら、でも聞き続けた。


「魔王になることで、世界のシステムに取り込まれて、別の生き物に作り替えられちまう。別の奴らの記憶が大量に流れ込んできて、自分の意識が本当に自分のものかも分からなくなる。時間の流れが周囲と変わって、置いていかれる……。先代はね、だからこそ、始めからなにもかもが違う人間に、惹かれたのかもしれないねぇ」

「ふぅ……ん」


 よく分からない話ばかりで、目にぎゅっと力が入っちゃう。そんなぼくを見て、タマ先輩は「やれやれ」と首を振った。


「まぁ、仕方ないかね。あんたは若い」


 あたしゃ、もう何代も魔王様を見てきてるからね。

 そう、タマ先輩はゆっくり尻尾を振った。


「今、この城にいる魔物の大半は、先代の頃から魔王様に仕えている。もう自分達のせいで魔王様を喪うのが怖いんだよ。だから、みんな魔王様をちやほやするのさ」


 そう言って、タマ先輩はまた大きく欠伸をした。尻尾の揺れが、だんだんとゆっくりになっていく。


「魔王さまが、みんなのために辛い思いをしているから、これ以上辛い思いをしてほしくないって、そういうこと?」


 ぼくの確認に、タマ先輩は目を細くすると、「無邪気な解釈だね。さすが小僧だよ」と笑った。



 でも。



 ぼくは思う。

 ぼくは魔王さまが大好きだから。あの日、怪我をしたぼくを、優しく迎えてくれた魔王さまが大好きで……そんな魔王さまが「大切だ」って言う、城の魔物たちも大好きだ。


「けっきょく、みんな魔王さまのことを大好きだって、そういうことだよね」


 ぼくが言うと、タマ先輩はにっと笑った。


「以前ならともかく。今となっちゃ、まぁ、そうかもしれないね」


 それを聞いて、ぼくは嬉しくなった。

 魔王さまの部屋に向かう通路を見て、身体を丸める。



 きっと、魔王さまはまた今晩も、幸せな夢を見てるんだろう。幸せすぎて、起きたらまた泣いちゃうくらいに。

 だからぼくはまた、明日の朝一番に、おはようって言ってあげる。そして、また頬っぺたを舐めてあげるんだ。



 そばにいるよ。大丈夫だよ。みんな、一緒だよ。



 声に出しては伝わらないかもしれないけれど。でも、そう知ってもらうために。

 ぼくは目を閉じて、夜空に星たちと輝く、金色の月を夢見た。

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