繋ぐ命と空色の想い

夕暮 景司

短編

 俺の父親は所謂「武士」ってやつだったらしい。俺が幼い頃に亡くなっているので俺は職どころか名も顔も憶えていない。小さな藩の身分の低い武士だったそうだ。

 そいつは明治に代わりたての頃に病で死んだ。それを知った時は愕然とした。あの時代に生きていた奴が明治維新を指を咥えて黙って眺めて死んでいったのか。死ぬんだったら赤穂浪士にでも吉村寅太郎でも、いっそ人斬りになり嫌われて死んでいった岡田以蔵にでもなって死んで欲しかった。あの、人々が命を賭して生きる時代に無駄死にしやがって。

 明治に代わり、武士が職を失い士族になる変革期に、一家の大黒柱である親父が死にやがったので、母と俺、2つ下の幼き妹は片田舎の四畳しかない部屋で、村の大地主の小作人として生きるしかなかった。地主の取立て、そいつのバカ息子の母への色目、子供に満足に飯を食わせられない現実。母親の苦労を身近に感じ、改めて母と俺らに何もしてやれずに世を去った俺の記憶のない親父を憎んだ。どんなに苦しいことがあっても、俺が「そんな親父と結婚しなきゃ良かったのに」と嫌味を言っても、母は「私はあの人と結婚して本当に幸せだったのよ」と優しく諭し、当時の幸せな話をいっぱいしてくれた。中でも、二人で丸亀の青空をただただ眺めて語り合った話は何故かよく憶えている。ガキの俺からすれば、いつも変わらない空なんか見上げたって何も面白くないだろうにと思った。

 学校なるものが出来、世の中の子供はそこで学ぶようになった。俺は畑仕事で母親を一日でも早く助けたかったが母が「畑でこの一時を助けるより、学をつけて将来大きくなりなさい」というので、学校だけにはしっかり通った。母を苦労させて行かせてもらっているので学だけはしっかりつけようと、誰にも負けまいと猛勉強した。学校では、周りの奴らとはあまり馬が合わなかった。いや、馬が合わないというよりは、俺が避けていたのだろう。維新前なら俺より下のはずの商人の倅が、俺よりはるかに美味そうな弁当を持ってきてやがる。俺よりも良い服を着ている。人が父親や身分の話をするときには出来るだけ近寄らないようにしていた。

 学校を一番の成績で卒業した俺に先生が勧めたのは士官学校だった。父が武士だった俺が、今度は日本を守るのも悪くない。将来高収入で母も助けられる。俺は迷わずそこに入った。

 入学早々、教官は生徒が自己紹介をする際、自分の出生もともに語ることを求めた。俺はそれを嫌った。だが教官は続けた。

「諸君の親は、維新の混沌とした時代を生きたが故、様々な出生を持っていることだろう。その親の出生を誇る者恥じる者様々いるとは思うが、それを今日話してほしい。諸君が今ここにいるのは、何はともあれ諸君の親御さんが一生懸命生きた証である。日本を守る前に日本を誇れ。日本を誇る前に自己を育てた環境、人を誇るのだ。」

 その言葉を聞いた時、今まで蓄積された自分の中で抑えていた自分の父親母親に対する恨みではなくだが感謝だけでもない、混ざり合ってよく分からないなんとも言えない感情が込み上げてきた。自分の番を迎えた時は、誰よりも大きな声を張り上げ、一度も人に見せたことのない涙を流しながら、

「父は丸亀藩三十俵二人扶持の武士でありました!」

と叫んだ。その後、自分の生い立ちを力の限り話したが、詳しくは憶えていない。叫んだ後には、ガキの頃から心に溜まっていた感情は姿を消し、心には澄み切った青空が広がっていた。見たこともないのに、その色は両親が見上げていた空の色と同じだろうなと、ふと思った。

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