終章(八)
長篠城を攻め囲んだ勝頼は、戦域に出現した織徳連合軍に決戦を挑んだ。
信長は甲軍の三倍近い大兵力を丘陵に隠し、木柵や土塁を構築して、遮二無二打ち掛かってくるであろう甲軍を待ち構えた。
信長は西上作戦の途上で行われた信玄による屈辱的な挑発行為の数々を忘れてはいなかった。
自らの叔母を属将の妻に与えたこと。
五男御坊丸を甲府に拉致したこと。
岐阜城下に押し寄せて乱妨狼藉の限りを尽くしたこと。
戦域において圧倒的に有利な態勢を創り出すことに成功した信長は、この一戦によって、信玄から加えられたこれら侮辱的行為に対して徹底的に報復を加える肚であった。
家康もまた同じであった。
大井川川切りに端を発する抗争の数々。
三方ヶ原敗戦時の脱糞の屈辱。
年がら年中加えられる北からの軍事的圧迫。
家康にとって対武田戦で信長の後詰を得られたことは、これら年来の憂さを一挙に晴らす千載一遇の好機であった。
長篠郊外において、勝頼は野戦築城ともいえる織徳連合軍の陣地に対して突撃の采配を振るい続けた。籠城兵に対して少なくとも三倍の兵力を要するといわれていた攻城戦を、木柵と土塁に隠れ籠城兵と化した織徳連合軍の三分の一の兵力で強いられることとなった甲軍は、加速度的に死傷者を増やしていった。
甲軍はしかし、しぶとくまた剛強であった。
同胞の屍山血河を乗り越えて木柵を引き倒し、土塁に取り付いて後方に隠れる織徳の兵を散々に追い回した。
宿老も軍役衆も、自ら好んで死地に飛び込んでいるように、勝頼には思われた。勝頼は圧倒的に不利な状況下で、前進の采配を振るい続ける以外に方策はなく、彼等宿老、軍役衆の粘りが数的劣勢を覆すことに望みを繋ぐより他なかった。
敵の一斉射を受け多数の死傷者を出しながら、なお前進を命ずる内藤修理亮昌秀。
木柵付近まで攻め寄せ死闘し、鉄炮の釣瓶撃ちに遭って四肢を撃ち抜かれた山県三郎兵衛尉昌景。
「先主が亡くなったときに殉死すべきであったが、ようやくその場を得た」
と言い遺して敵中に身を投じた土屋右衛門尉昌続。
だが四刻(八時間)にも及ぶ攻勢もこれまでであった。
あまりの出血に嫌気が差した一部の家中衆が、勝頼に無断で撤退を始めたことで、甲軍は後衛から壊乱し始めたのである。
信長はその機を見逃さなかった。野戦陣地から兵を続々繰り出し、崩れたつ甲軍を痛撃した。
馬場美濃守信春は困難な撤退戦を強いられる中、兵を草地や丘陵に隠し、嵩にかかって攻め寄せるこれら織徳の兵を討ち取っては退き、勝頼の戦域離脱を見届けた後、自らは名誉の戦死を求めて敵中に乗り入れ散った。
武田重臣はそれぞれに先主や先達の遺訓を守って死んでいったのである。
この戦いは二十年以上前の砥石崩れ以来、はっきりと目に見える形での甲軍の敗北であった。
辛うじて逃げ延びた勝頼は、高遠城において信長の追撃に備えるとともに、戦後の仕置に取り掛かっていた。高遠城は勝頼が初めて一城の主として拠った城であったが、心が休まるということがなかった。勝頼は高遠に在城ながら、夜ごと悪夢にうなされた。
明らかに不利な状況であるにもかかわらず、競って敵陣に飛び込み鉄炮の餌食になる軍役衆や、多数の死傷者を踏み越えながらその陣頭に立ってなおも前進を命ずる宿老達。
或る者は自分に対する当てつけのように死を求めて前進し、或る者は死闘する後ろ姿で自分に対し諫言しているかのように、勝頼には思われた。
やがて勝頼は一人きりになった。
自邸を焼き払い、信をおいた多くの人々に裏切られて、曠野を彷徨する自らの姿を夜ごと夢に見た。
だが、悪夢とそれに伴う極度の睡眠不足のために仕置を先延ばしにする
勝頼は戦死を遂げた軍役諸衆の名簿に目を通していた。この度の戦役で戦死した軍役衆の跡目相続
勝頼は戦死者名簿に記された名前の一つひとつを確かめながら、戦死した彼等と生前の信玄との関わりに想いを至らせた。
(誰も彼も、父が冥府への供に欲したものか)
勝頼は、出陣前に慌ただしく執行した野辺送りを今更ながら悔やんだ。
野辺送りが府第を出ることがなかったために父の亡霊が
勝頼にはそう思われて仕方なかったのであった。
(完)
武田信玄諸戦録 @pip-erekiban
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