第4話 アレクサンドロス家
獅子屋敷の呼び鈴が鳴った。今日は爽やかな五月晴れ。リオと別れてから半月がたっていた。使用人に呼び出されたアリアドネはゆっくりと広い玄関ホールへ向かった。
左右対称の大きな螺旋階段の中央に立ってホールを見下ろすと、武装した女性の姿が見えた。赤い髪を大胆に垂れ流し小麦色の肌に分厚い唇、男とも見間違えるような体格。黒いマントを地面につけていて、金色の鉤爪でマントを留めている。それはアストルダムの女将軍、テオドリック・ダマスカスだった。
「アリアドネ。」
アリアドネは驚いた。
「テオドリック・・・。」
テオドリック将軍は続けた。
「無事で本当に良かった。。ヨシュアとエリーサベトが、オルリアン城で待ってるわ。」
アリアドネは驚きを隠せなかった。
「義父上と義母上が。」
アリアドネの眼から大粒の涙が溢れ落ちた。
アリアドネには身寄りがいなかった。オルリアン商業家貴族トローン公の妹だった母は24歳の時にアストルダムに亡命した。駆け落ちだった。アリアドネはオルリアンで産まれ、幸せに育てられたが、母も父もアリアドネが10歳の時に亡くなった。戦争だった。アストルダムの城下町が火の海になるほどの敗北を期した戦争だった。身寄りの無いアリアドネは、自らも孤児だったエリーサベトが管理する孤児院で育てられ、母に着いてきた息子、つまり王子と恋に落ちた。
「あの人は死んだのです。アルルも。私はもうアストルダムには帰れない。私は死にたいのです。このようにまだ生きている姿も見られたく無かった。」
テオドリック将軍は大きな体で優しくアリアドネを抱き締めた。
「そのように思っているものは一人もおりません。アストルダムと、オルリアンは和解の協定を結びました。」
アリアドネの呼吸は荒くなった。アリアドネを抱き締めるテオドリックの心は傷んだ。骨が分かるほど痩せきっている。泣くことすら命を削られるような弱々しさだった。
「なぜ和解を。許したのですが。あの人が殺された事を。私は、ここで夫を殺したものが帰るのを待っているのです。復讐するために!」
テオドリック将軍はまるで自分の娘を迎えに来たような顔でやさしく言った。
「それが戦争です。アリアドネ、アストルダムへ帰りましょう。王子の魂はあなたと共にあります。どうかアストルダムにその魂を一緒に連れて帰ってください。」
そう言うと、アリアドネの左手を見つめながらお辞儀をした。そこには銀の結婚指環がはめられていた。夫は戦いに出るとき、この指環に口づけをし、私の帰る場所はここです。と言い微笑んでくれた。テオドリックも、それを見ていた。アリアドネは声を出し、テオドリックの胸の中で全身の力を振り絞り、泣いた。玄関ホールにはその泣き声が響き渡っていたが、たくさんのウィルクリブ家の肖像画は、涼しげな顔でそれを眺めていた。
同時刻、オルリアン城には、アストルダムの国旗が掲げられていた。暗黒の背景に銀豹が横を向き大きな牙をつき出していた。斬新かつシンプルなその国旗は、オルリアンの青い国旗を今にも飲みこんでしまいそうであった。
テオドリックに連れられたアリアドネはすぐに小講堂へ通された。ここもまたオルリアン独特の飾ればいいといった悪趣味な装飾が一面に飾られていた。講堂の奥の中央に、相変わらず滑稽な王と、対照的な女王が座っていた。その手前には、アストルダムの国王、女王がいた。
「アリアドネ。」
そう言ったのはアストルダムの若き王、アレクサンドロス・ヨシュアだった。(アストルダムは一族の名前を先に名乗り、その次に個人の名前を言う。つまりこの王の名前はヨシュアである)若干39歳。背が非常に高く、スタイル抜群。金髪に青い瞳。風貌が整っていると世界でも評判の王であった。腰までの黒いマントをさげ、テオドリックと同じ銀の鉤爪でマントを留めて剣をさしていた。
そして隣にいるのは、彼の妻、エリーサベト女王。彼女の特徴はなんと言っても漆黒髪。角度によっては不気味に青く光ることがある不思議な髪であった。人がこのような色を自ら作り出すことが可能なのだろうか。艶のあるそのストレートな髪を腰まで垂らし、透き通るような白い肌をベルベットの黒いドレスで包んでいた。胸元を大胆に開けどこから見てもその姿は妖艶の一言につきなかった。アストルダムの魔女と呼ぶ者もいた。目鼻立ちはハッキリとして長い睫毛をはべらせた眼は大きく瞳も真っ黒だった。赤い口紅からは真っ白な歯が覗いていた。エリーサベトは両手を広げた。
アリアドネはただただ声もださず、エリーサベトに抱きついた。全身は激しく振るえ、涙を流した。エリーサベトもまた半月前に最愛の息子を失っている。それなのに彼女からその悲しみからくる弱さは微塵も感じられなかった。彼女から出るエネルギーは、堂々としていて、少し威圧的で、誇り高かった。
アリアドネの振るえと涙からは強烈な悲しみが生まれ、周りの者は皆、下を向くことしかできなかった。
その様子をじっと見ている一人の少年がいた。実はオルリアン兵士たちも、王も女王も先程からほとんどこの少年から目を離すことができなかった。なぜならその風貌が、あまりにも美しく、生き生きとして生命力に溢れ、光輝いていたから。この世にこれほどの美少年がいるのか。誰もがそう思っていた。
彼こそが、アレクサンドロス・ロビンス。アストルダムの王子。アリアドネの義理の弟だった。彼の眼は誰よりも形がよく、父譲りの青い瞳。ベニトアイトのような神々しいブルー。見つめられたら吸い込まれてしまいそうに透き通っていた。肌は健康的に日焼けをしていて、髪は母から受けついだあの青を住まわせた漆黒。筋の通った高い鼻。まるで想像上の動物でもあるかのような少年。オーラは空気を圧迫し、その存在を知らしめた。黒い膝までのマントを見に着け、襟の中心には、瞳と同じ色の青い石をつけていた。彼はアリアドネを見ていた。
―ロビンス?―
それはある出陣前の兄との会話であった。
―何?―
―どうしてお前は戦いに出たがるんだ?―
―別にそういうわけじゃないさ。兄さんの、騎士になるのが俺の夢だから。―
―ありがとう。お前は完璧な弟だよ。俺は幸せ者だな。今の質問を許してくれ。ロビンスの剣は誰よりも優れてる。リオグラードを使いこなせれば父さんも喜ぶだろうな。―
兄を尊敬していた。大好きだった。兄は自分の最大の理解者で、親友だった。兄が王になり、自分が将軍になり、大好きな祖国を守っていくつもりだった。
兄が死んでからロビンスは1度も泣けなかった。悲しみを通り越すと、涙が出てこない事を初めて知った。
げっそりと痩せて白髪になったアリアドネを見て、ロビンスは初めて兄が亡くなったという実感を少しだけ感じた。
彼の腰には、兄の遺品の剣、リオグラードが下げられていた。オルリアン女王はそれを見ていた。奪えなかった。あれさえ奪えればオルリアンの敵はいなくなる。ゴルディナ将軍はしくじったのだ。王子の命なんぞ正直どうでも良かった。なぜリオ・ウィルクリブは王子に勝ったのにあの剣を奪えなかったのか。
エリーサベト女王は、剣を見つめるオルリアン女王を、決して見逃しはしなかった。
息子を殺した代償を、どう償ってもらうかは、もうとっくに決めていた。この世で最も美しい息子にリオグラードを持たせた姿こそが、彼女の宣戦布告であった。
名もなき騎士の讃歌 メアリー @yuyu62
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