君のうんこを食べたい

中七七三/垢のついた夜食

短編なので章などない!

 ボクはこの地球という星の生命の進化について思う。ボクの生き方や幸福、ましてや不幸についてそれは直接は関係ないかもしれない。

 だけど、なぜか思うのだ。


 ボクは、生命が他の生命を食らうこと。それを思う。

 生物は進化の途上で、他の生命を食らうことをするようになった。

 理由はしらない。光合成を行う他の生命体を食らうための存在は10億年前に生まれた。


 いや、正確な進化論的な言い方をするならば違うのだろうか。

 たまたま、他の生命を食らう「突然変異種」が生まれたのだ。

 目的など何もない。そして、その種が生き残り、ありとあらゆるこの地上の「動物」の祖となった。


 約10億年に出現した原生動物。

 そこから連綿と続く、最新の生物学における「系統樹」がどうなっているのか?

 そのことについて、ボクは詳しくは知らないし、あえてネットで調べようとも思わない。

 まして、その種の「生物学的」啓蒙書など手に触れる気すら起きない。


 生命と無生物の境界――

 動物とそれ以外の生命の境界――

 

 アカデミズムの世界ではそれはどこかで線引きされ、また線引きのため議を重ねているのだろうと思う。

 ただ、ボクは思う。


 動物とは何か?

 それは他の生命を食らいうんこをする存在であると――


 うんこ。

 動物が他の生命体を食らった瞬間に生まれしモノ。


 忌諱すべき存在――

 禁忌すべき存在――

 忌みすべき存在――

 禁じられた存在――

 

 生命が他の生命を食らうという行為の宿痾しゅくあなのか宿業であろうか。

 あるいは、進化に対する永遠の呪詛なのか。


 ああ、うんこだ。

 うんこ――


 この言葉の持つ、恐るべき力はなにか? 

 あまりにも呪術的であり、巨大な力が溢れる言霊はなんなのだろうか?


 国を傾け、あらゆる男を魅了する美女であろうとうんこをするのだ。

 世界の深淵とその摂理を解明する頭脳の持ち主もうんこをするのだ。

 勇気を持ち勇敢に戦い、あらゆる敵を打ち倒す者もうんこをするのだ。


 どのような美も、どのような知も、どのような勇も――

 うんこの前で意味をなすことができようか?

 いや、できるはずはないではないか。


 うんこ、うんこ、うんこ、うんこ――

 ああ、この言葉の前には、ありとあらゆる存在、威厳、荘厳、美麗、困難、幸福――

 不幸、悲劇すら意味のゲシュタルト崩壊を起こす。

 

 それは全ての崩壊であであろう。

 輝かしく彩られ描写された、神の創りたもうた世界をうんこ色に塗りつぶすものだ。

 神々はうんこ色の黄昏の中に死んでいくしかないのである。

 

 うんことは、神さえ殺す実存であるのかもしれない。ボクの考えすぎなのだろうか。


 うんこ、うんこ、うんこ、うんこ、うんこ、うんこ、うんこ、うんこ、うんこ、うんこ、うんこ、うんこ。


 まるで、呪詛を結晶化させたような言葉ではないか。


 そして、ボクはうんこを食べたい――


 社会モラル?

 ははは、面白い。その社会モラルを打破するものが「文芸」であり芸術ではなかったのか。

 知っているかい? 己のうんこをそのまま展示した高名な芸術家の存在を。


 いいんだ。人はWEB小説を読むときにいつでもブラバする権利がある。

 逃げていい。自由だ。この物語から逃げる自由は君にある。

 いや、逃げるのではない、避けるのだ。それは非常に持って賢明な選択であるかもしれないし、そうでないかもしれない。それは語り手であるボクには決められない。


 君が決める―― それしかない。

 

 さて、この物語を読んでいる君に警告しよう。

 もし君がうんこを愛せないのなら?

 社会モラルなどということを思うなら、直ちにブラバすべきであろう。



 そうかい、ブラバしないのか……

 では、ボクは君に問う――


「君は自分の排出したうんこを手に取ることができるか?」とだ。

 

 そしてそれを「食す」ことができるかとだ。

 無理であろうか? 無理ではない。普通に誰でもできることだ。


 やり方はこうだ。


 まず、尻の下に皿を置こう。

 そして、それをまたいで、踏ん張ればいい。

 いつものように。いつもやっていること。

 便器が皿になっただけだ――

 野グソを垂れるようものだろう。

 

 全てを出す必要はない。最初の1本――

 それで十分だろう。


 まあ、全てを食べたければ、全てを踏ん張り排出してもいいが、大きな皿が必要だ。

 むしろ、その場合は丼の方がいいだろう。


 全力脱糞には、らめーん丼が似合う―― ボクの持論だ。


 ただ、初心者にはボクはそこまではお奨めしない。強制もしない。止めることもしないのであるが。

 口に入れる物には「適量」というものがある。


 塩辛だけを丼いっぱい食べる人は滅多にいない。

 納豆だけを丼いっぱい食べる人は滅多にいない。

 ユッケだけを丼いっぱい食べる人は滅多にいない。


 ただ、やってはいけないという決まりはない。


 うんこ食すことも、それと同じだ。

 当然、例外は存在する――

 そして、その例外をボクが希求していることは事実だが、まずは自分のうんこを食すところからだ。

 話はそこからでないと始まらない。


 そう、一口目は、親指ほどの大きさでいいだろう。

 ころりとした黄土色のうんこ。その味と香りを堪能するのは、親指大で十分だろう。


 そのスメルを鼻腔で堪能し、そのフォルムを網膜に映しこむ。

 さあ、これからだよ。

 皿に盛ったうんこ。君の体調が普通であれば、水分を60%ほど含んだ、黄土色の固形物。

 もしかしたら、未消化のニンジンなどの赤みが見て取れるかもしれない。

 それは細菌と死滅した腸内組織で作られた、動物たる人の「原罪」の果てにあるものだ。


 さて、何を使ってうんこを食すべきか?

 それは箸であろうと、フォークとナイフであろうと、素手であっても構わない。

 食べ方にルールなどない。


 ただ口を空け、唾液で濡れた口腔内に、親指大のうんこを放り込む単純な作業だ。

 

 その心地よい固さを感じるために。


 うんこを、放り込み、それを唾液を混ぜ合わせる。

 上質のチーズケーキを思わせる歯ごたえを堪能できるか?

 黄土色に染まる口腔内。歯と歯の間にうんこの中の未消化の食物繊維が挟まる。

 それをうんこ色に染まった舌先でほじくり返すことができるか。


 ああ、その味はおそらく「生命の味」だ。

 地球の生み出した生命体。動物という種の持つ「宿業」であり「原罪」の味なのである。

 舌の乳突起に存在する10,000個の味蕾細胞は、それを感じ10億年の過去から見た未来をそこに現出せしめるのだろうか。

 湿った口腔内で生じた咀嚼音が骨伝送で届くとき、恍惚とも似た感覚が襲うだろうか。

 

 うんこを食べる行為により発生するクオリアは決して他人とは共有できないものだ。

 

 ああ、少しボクの一人語りは行き過ぎてしまったかもしれない。

 この描写で気分を悪くされた方にはお詫びの言葉もない。

 いや、うんこの前にはどのようなお詫びの言葉も意味をなさないだろう。

  

 だからこその、うんこだ。うんこなのだから。


 さて――

 本題に入ろうと思う。


 ボクはうんこを食べたい。君のうんこを食べたい。


 そのようなボクの想念、いや情念、情熱を受け止めることができると思う者がいれば、この先を読めばいい。

 そうでない者は、もう読むのをやめて、夢と幻想を手軽に味わえるWEB小説でも読めばいい。

 それは自由だ。ボクに強制する権利などありはしないのだから。

 ネット上にはそのような話は海の砂ほど転がっているのだから。


 さあ、ブラウザバックだ。さようなら――


 そしてもしよければ「お気に入り」をチェックしてくれるとありがたい。

 感想まで要求するほど、ボクは厚かましくはないし、分を知っているつもりだ。


 そして――

 踏み込みたいものは、踏み込むのも自由だ。

 うんこを食べたいという狂的な想念が何を生み出すのか、ボク自身にも実はよく分かっていないのかもしれない。


「うんこ」という人の――

 いや、動物たる存在の原罪、宿業、宿痾、禁忌であり呪詛であるうんこにまみれた物語の始まりだ。


 ああ、いいのかい? 読むのかい?

 ここから先は自己責任として、ボクは理解するしかない。そして語るしかない。

 この物語は「文」で構成されてる。全ての小説がそうであるようにだ。WEB小説とて例外ではない。


 直線と曲線で作られた「文字」。

 文字で作られる「単語」。

 単語が組み合わされ作られる「文」。

 それを君の網膜が捕え、言語野に送り込み、さらにそれを「意味ある情報」として視覚野にどのように再現するのか。

 他人の脳の中のことまで、ボクは責任がとれない。


「う」は呪詛かい?

「ん」は禁忌かい?

「こ」はタブーかい?


 線は線であり、文字は文字であり、単語は単語であり、文は文であり、物語は物語だ。

 トートロジーではなく、その意味においてはそう言うしかない。


 そして、意味は読む者の意識に偏在し、決して遍在はしていない。

 だからこその自己責任である。


 ボクは君のうんこを食べたい。

 君――

 それは、君という二人称であるという以外に意味はない。君は君だ。


 ああ、君が露出した尻をボクの顔の至近に下ろすときボクは思わず、舌を伸ばしてしまうかもしれない。

 うんこを出そうと開き始める美しい肛門。その周りに縮れた生えた毛。

 まつ毛が人の瞳の憂いを彩るものであるとするなら、尻毛は肛門の何を彩るのだろうか?

 

 排便時に、うんこが尻毛にこびりつき、中々拭き取れないこともあるだろう。

 吹き忘れて固くなったうんこが尻毛にずっとくっついているかもしれない。

 それは、どのような美少女であってもあることだ。

 ボクはそれを思うと、トキメキを止めることができない。


 温水式トイレが普及した今ではそのような経験も少なくなったかもしれない。

 ただ、もし君の尻毛にうんこがこびりついたら、それ丁寧に舐め口腔内で溶かすように味わいと思っている。

 だから君は、心配することはない。


 肛門も舐める。断言する。ボクは最後に肛門をなめるだろう。

 もしかしたら、肛門から直腸に舌を差し入れ、その原罪の残滓をボクは拭い取るかもしれない。


 食後のデザートとして、君の甘い腸液を飲んでしまうかもしれない。


 君のうんこ――


 そうだ。ボクの顔の上に尻を向け、跨るのだ。


「この角度でいいのかい?」

「ああ、ちょうどいい。ボクの口の上に君の肛門が来ている」

「そうか」

「ああ、そうだ」


 そんな洒落たやり取りが脱糞の前にあるかもしれないし、なくてもいい。


「あまり腹の調子が良くないんだが、下痢かもしれない」


 君とて人だ。そのような場合もあるかもしれない。

 固形ではないうんこ。下痢便だ。

 その状態は様々であろう。完全に液体に近い状態から、多少の粘性をもったミルクセーキのようなもの。

 あるいは、真夏の炎天下に放置されたアイスクリーム――

 それこそ、スープカレーと見まごうばかりの状態もあり得よう。

 

「かまわない。それが下痢便であったとしても。ボクは一向に構わない」


 ボクはおそらく、そう言うだろう。

 下痢便の場合、それは食すというよりは「飲む」ということになる。

 のどに絡み付く、蕩けた大便の香りが食道を通過し、胃に落ちていく。

 それは、間断のない、うんこの流れであり、飛沫が飛び散り、ボクの顔を彩るかもしれない。

 

 下痢便――

 

 そこには、完全未消化のニンジンやモヤシ、もしかしたらシメジの類がそのまま出てくるかもしれないじゃないか?

 果たしてそれはうんこなのか?

 うんこと一緒に出てきた未消化の食べ物なのか?

 うんこはどこまでがうんこであり、うんこの純生をなにが担保するのか?


 そんなことはどうでもいい。

 ああ、君の口から摂取され、消化しきれず残ったニンジン、モヤシ、シメジ――

 そして、定番のトウモロコシだってかまわない。

 それをボクは再び消化するのだ。

 

 液状の下痢便を飲み込み、君のうんこがべっとりと絡み付いた舌と歯が――

 君の未消化のニンジン、モヤシ、シメジをうんこまみれの舌の上でころがし、その本体からうんこを洗い落とすのだ。

 未消化の野菜にこびりついたうんこを唾液の中に溶かし込み、嚥下する。

 ああ――


 ボクは君のうんこを今飲んでいるのだ。

 ボクはそう思う。ボクの口の中はターメリック色に染まり、口腔細胞膜にうんこの浸透圧がかかっているだろう。

 君のうんこにボクは内部から染まっていくのだ。

 

 うんこに包まれた野菜は唾液で洗浄されるだろう。

 ボクはそれをかみ砕き。もう一度咀嚼する。君の消化器官を通ったこの野菜は再び、ボクの消化器官で酵素の洗浄を受ける。

 それは、野菜たちにとってどのような心持であろうか?


 そう下痢便であれば、飲む――

 そして、ボクは「肛門粘膜が痛いのだろう?」と君に聞くだろう。

 君はきっと言うだろう「ああ、痛い」と言うだろう。


 下痢をするとなぜ、肛門粘膜が痛いのか?

 固形のうんこでは痛くないものが、下痢だと痛い。

 浸透圧と粘膜の関係だろうか?

 

 しかしどうだろう。ボクの口腔粘膜は全く痛みを感じることなく、君の下痢便を飲み干していることだろう。

 仮に痛みがあるとしすれば、それは「辛い」ということだ。

 

 茸状乳頭にある味蕾も――

 糸状乳頭にある味蕾も――

 葉状乳頭にある味蕾も――

 有郭乳頭にある味蕾も――


「辛い」という味覚を感じることはない。「辛さ」とは「痛み」なのである。

 痛みを口腔内で辛さとして認識しているのだ。


 そして君の肛門が痛いなら、ボクはきっと「辛い」と思っているだろう。


 君のアナル粘膜と、ボクの口腔粘膜はその思いや感触を共有することは決してできない。

 所詮は尻の穴と口の穴。

 出口と入口なのかもしれない。


 尻と口が、下痢便でつながった君とボクであっても、そのクオリアを共有できない。

 人の孤独さを下痢便は再認識させてしまう。


 ああそれでもだ――

 ボクは君のうんこを食べたい。

 食べたいのだ。

 

 それが消化器官の異常による下痢便であったとしても――

 それが便秘の末のカチカチのうんこであったとしても――


 ただしかし――

 ほぼ人間の日常において、水分を60%ほど含んだうんこを出すという蓋然性が高いことは確かだ。

 であるならば、ボクの口はモリモリと肛門から突き出てくるうんこを口でキャッチすればいい。


 直径は3センチほどであろうか。一口に黄土色、うんこ色と言っても、その色彩は千差万別であろう。

 肛門からひり出される一本グソをボクは見つめる。慈愛を持って見つめるのだ。


 秒速で1センチから2センチか……

 括約筋が閉まり、直腸粘膜ウネウネと踊る中を、その胎内から世界に生み出されるうんこ。

 ああ、君のうんこ。

 ボクはそれを口を開けて受け止める。


「ちょどいい長さで切ろうか」と君は訊いてくるかもしれない。

 

 肛門でうんこを切ることは可能なことだからだ。

 しかし、それはいらない気づかいだ。


「自然の重力にまかせよう。ニュートンの見たリンゴのように」


 この世にある4つの力。

 ミクロレベルで原子核の中で作用する「強い力「弱い力」。

 そして、この世の物質、物体を形あるものとしている「電磁力」という強力な力。

 そして、重力という弱い力。


 ここで、重力の定義にわざわざ、一般相対性理論を持ち出す必要もない。

 地球と君の肛門の間に、ボクの顔があり口を開けているのだ。

 この至近では、空間歪曲を重力であると解釈する暇もなく、君のうんこはボクの口の中に落ちていくだろう。

 あたかも、ニュートンのリンゴのように。

 ボクの口は君のための肉便器であると理解すればいいだけだ。


 そして、ボクは君のうんこを味わうのだ。

 ぬるりとした感触が口腔に触れる歓喜。大歓喜。ゆっくりと肛門から落ちてくるうんこをズルズルと吸い込む。

 それは早すぎても遅すぎてもいけない。重力速度の落下速度と直腸粘膜の摩擦によって作り出される速度――

 

 その速度で、うんこを口の中に入れていく。

 ボクの口と君の肛門が、君の生み出した一本グソでつながるのだ。

 それは、ある種の一体感を感じさせるものではないだろうか?

 それが、幻想や錯覚だとしても、人はそれで感動ができるのだから。

 

 そして、うんこはまず舌先で味わうのだ。その表面の凹凸。フォルムを微細な舌感覚が、繊維質を感じる。

 それを舌先で解きほぐし、唾液と混ぜ合わせる。うんこ色の歓喜がボクの口の中に蕩けていくのだった。


 うんこがもし、長くなってきたら選択肢は二つある。

 噛まずにのどごしを味わうため、そのままのみ込んでいく。

 突きたての餅を噛まずに飲み込んでいく神事めいた風習似た形で、飲み込んでいく。

 そののどごしは、突きたての餅によくにた柔軟性と粘りをもっている。

 上口蓋粘膜にべっとりとついた君のうんこのスメルが鼻腔に流れんでくるのは至福。

 それは、「動物」の原罪さえもボクの身の中に受け入れるという宗教的な感銘―― そのようなものに近いのかもしれない。


 ただしかしだ。

 飲み込むだけではない。うんこは飲み込むだけではだめだ。

 せっかく、モリモリとした形をなした一本くそである。

 噛み切るのだ。それを適当な長さで噛み切る。その時、前歯に感じる弾力はどうであろうか。

 歯茎まで痺れるような味と匂いが。うんこそのものの、味と匂いが歯と歯茎に深く浸み込んでいくのだ。


 ああ――

 うんこを噛み切る。それは食材に対する贖罪であり断裁であることをもって、ボクはうんこの味の色彩に震える。

 君のうんこを噛み切るのはボクのこの前歯の役割だ。職制なのだ。


 そして、奥歯では、モリモリしたうんこの質量と温度を感じながら、それをすり潰すのだ。

 腸内細菌の死骸、腸内細胞の死骸、未消化の食べ物、繊維質を奥歯で感じ、唾液で撹拌させていく。


 口腔内に生じた、うんこによる擾乱の衝撃は、脳に突き抜けるような快感をボクに発生させるだろう。

 君のうんこなのだから。ああ、君のうんこなのだからだ。


 ジャリジャリと未消化の食物の残滓をつぶしながら、うんこと唾液を混ぜ合わせる。

 そこには「未消化」という不完全なものは存在しえなくなり、君のうんこは、ボクの口の中で完成するのだ。

 完全無欠のうんことして、ボクの唾液アミラーゼがうんこ内に含まれるでんぷんを分解しようとも、その甘味はうんこの甘味なのだ。

 君のうんこの甘味なのだ。


 そして、ボクはうんこを飲み込む。喉に絡むような、どろどろの触感。噛まずに飲み込むうんことはまた違ったものであろう。

 下痢便をスープカレーとするならば、もりもりした一本グソを口の中で咀嚼してできるうんこは、男のカレーだ。

 それは、骨太なうんこの香りと質感をもった、君のうんこの完成形なのだから。


 ああ、うんこを食べたい。

 ああ、うんこを食べたい。

 ああ、うんこを食べたい。

 ああ、うんこを食べたい。


 君のうんこを食べたいのだ。ボクは食べたい。

 だから、お尻の穴に吸い付くのも許してほしい。

 君の脱糞速度よりも早く、うんこをすすってしまうかもしれない。

 しかし、それは君のうんこへのリスペクトであり、うんこを食すことを欲するボクの魂の行為なのだから。


 ボクの顔にまたがり、うんこを吸われる君の恍惚たる顔が思い浮かぶようだ。

 

 もし、生命が他の生命を食すという進化をしなかったら?

 もし、消化という行為によりうんこといいう忌諱すべき存在ができなかったら?

 もし、うんこをタブーとしないような中世ヨーロッパのような文化が生じていたら?


 生命の歴史、人の歴史――

 その思いの中で、うんこは、大きな言霊をもち、今に至っている。

 だからこそ、ボクは言うんだ。


 君のうんこが食べたい――

 ボクはそう言う。何回でも言うんだよ。君がボクの顔の上で脱糞してくれるその日まで。

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君のうんこを食べたい 中七七三/垢のついた夜食 @naka774

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