第98話 物語と司書

「ミチル、それコーヒーよぉ。それも微糖」

「ええっ! 私はコーヒーはマックスな甘さしか認めません!」

 その声と共に、なんとか倒れずに踏みとどまっていた私の手に、コーヒーが押し戻される。

 それを何とか落とさないようにしながら、私は頭上の人物に抗議する。

「ミチル、どうでもいいが降りてもらえないでしょうかね」

 突然に出現したミチルは、私の頭と肩と背に乗っかっていた。半ば浮いているはずだがそれでも重い。

「ええー、トーサンは、いたいけで、こんな可憐にして儚い美少女に素足で地面を歩けというの? なんて酷い人……」

 いろいろと突っ込むべき点がありすぎるので、必要最低限を突っ込む。

「だったら靴を履けばいいでしょう。それにどうせ空中に浮かんでいるから関係ないでしょうに」

「そういう問題じゃないでしょう! まったくレディの扱いが欠片もなっていないんだから!」

 ポカポカと私の頭を殴り始めるので、その両手を掴んで何とか押さえる。

「相変わらず、楽しそうねぇ」

 騎士ウィルゴが缶汁粉を啜りながら呑気に言う。他人事だと思って。

 ただ、騎士ウィルゴだからこれで済んでいるが、他のうるさ方の司書騎士がこの光景と私の態度を見たら、速攻で殺されかねない。

 腐ってもミチルは境界図書館の図書館長なのだ。不敬にも程があるというところだ。ただ、私がこの境界図書館に流れ着いた直後から、他の目がない場所でのミチルと騎士ウィルゴと私の関係は、ずっとこんな感じである。

 まあ、私が2人の好意に甘え切っている部分もあるのだろうなと、反省は多少はしている。多少は。


「ところでミチル、何か用があって来たのじゃないの」

 私が頭上のミチルに四苦八苦しているところに、ウィルゴが声をかける。

「ううん、ただ単にソルちゃんとレオに説教されて凹んでいるトーサンで遊びに来たの」

 何ですとぉ。

「あらあら、それはだめねぇ。これはソルちゃんに連絡しないと」

「嘘です! トーサンに見せるものがあってきました!」

 騎士ウィルゴの言葉に、ミチルが慌てて私の上から降りた。

 振り返ると、青いワンピース姿で空中にふよふよと浮いている。

 いかにも軽そうに見えるのに、のっかられると重いのだから少し不思議だ。 

「見せるもの?」

「今データを送ったらから、デバイスで開いてちょうだい」

 データを送るだけだったら、別にどこにいてもできたはずだ、本当に遊び目的があったな。

 ため息をつきながら、送られてきたデータを開く。

「これは……」

 それは、あの世界の出来事が物語となったものだった。

 私たちやイレギュラーズに関しては、別の存在に変換されているが、そこには確かに私たちが歩んだ物語が記述されている。

 数々の困難を乗り越えたエミーリアは、王子と婚約し明るい未来へ進みだしたところで物語は幕を閉じていた。

 間違いなく幸せな物語である。

「まあ、トーサンたちが無茶したせいで、世界による修正が大変だったみたいだけど、他世界への浸透率も高くて向こうさんとしては満足したみたいだし、このまま保護をかけたのよね」

「そうか、良かった」

 実際のところはわからないが、この世界の修正によって、私たちの記憶はエミーリアたちから消えてしまっているかもしれない。

 それでも構わなかった。少なくともこの物語はハッピーエンドだ。エミーリアが行きついた幸せにケチなどつけようがない。

 だからこそ、改めてこの物語を読んで、振り返り思うことがあった。

「もっと司書として成長しないと」

 今回は、綱渡り的になんとか乗り越えた場面も多かった。

 だが、それは本当にたまたま、今回は運よく渡りきれたに過ぎない。

 その綱渡りの1つでも失敗していたら、ここにある幸せな結末に辿り着けなかった可能性もあった。

 そして、その綱渡りは私自身の思慮や判断、そしてそもそもの実力不足といった未熟さから来ているのを痛感する。

 その中にはエミーリアたちに入れ込み過ぎて、視野を狭めてしまっていた点もあるのだろう。

 物語とその中に息づく人々のことを考えるなら、修復者である司書がそんな綱渡りをしていてはだめだ。

 きっと、司書長のソルや騎士レオが言いたかったのはそこなのだろう。

 そのことを素直に騎士ウィルゴに告げる。

「そうね。でも、それがわかったのなら、めっけものじゃない。大いに悩んで、そして、あなたなりのやり方でもがいてみればいいのよぉ。そうやってみんな成長してきたのよぉ」

「はい」

 こんな自分がエミーリアに偉そうに語っていたのだから恥ずかしい。

 マジ、死にたいくらい恥ずかしい。

「まあ、己を省みて、反省するべきところは反省してあなたの糧としなさい。でもねぇ」

 言葉に顔を上げると騎士ウィルゴが、そのいかつい顔でどこまでも優しい笑みを浮かべていた。

「ウチは、あなたたちが修復したこの物語好きよぉ。修復お疲れ様でした」

 

「ありがとうございます」

 素直にうれしくて頭を下げる。

 そして顔を上げると、騎士ウィルゴの横にふわふわと浮かびながら、ミチルが腕組みをして頷いていた。

 なんだか無駄に偉そうだ。

 だが、改めてミチルの方に頭を下げ……るのはやめて、言葉で伝える。

「あと、ミチルもありがとう」

 突然、礼を言われたミチルが豆鉄砲を食らった鳩のような間抜けな面をする。

「今回、任務の途中でアドバイスをくれただろう?」

 あの致命傷を負った兵士を癒す時の、共鳴に関するアドバイスはミチルからのものだったと思う。

 その言葉に少女は明後日の方向を向く。

「まあ、ほら、非常事態だったし。なんだったら、もっと褒め称えてくれてもいいのよ?」

 そう言うと、ミチルは空中で胡坐をかき、私の前で高度を下げる。

 アクアマリンの頭が目前にあった。

「はいはい、ありがとう。とても助かりました」

 私がその頭を撫でる。ミチルは頭を撫でられるのが好きだった。時折、見返りにとんでもないことを要求してくることがあるので、これでお礼が済むなら実に安いものだ。

 それに彼女の絹のように触り心地の良い髪を撫でていると、私の心も少し落ち着いてくる。

 だが、心が落ち着いてくると共に、あることが脳裏に蘇ってきた。

 そして、上手いことに確認すべき相手の頭が、今、我が手中にある。

「で、ついでに確認したいことがあるのだけどね」

 言葉と共にミチルの頭を鷲掴んだ。

「いたたた、トーサン、ちょっと痛いんですけど!」

「なあ、ミチル、お前さん密かに私の記憶を弄っているんじゃないか?」

 ドリームマスターの能力に関する記憶が曖昧になっていたのは、自己による無意識の保護ということも考えられたが、解放の際に感じた思考はミチルのものに近かった。そしてミチルなら司書の記憶に手を入れることができるのではないだろうか。

「な、なんの話かしらねぇ、ミチルちゃん、わかんなーい」

 私の問いかけにミチルが目を反らして、口笛を吹く。吹けていないが。

 その態度が如実に答えを語っていた。

「人の記憶を弄るなんてどういうつもり、あっ、逃げるな!」

 こちらの隙をついて手から逃れたミチルが筋肉の壁の後ろに逃げ込む。

「ウィルゴー、トーサンがいじめる~」

 騎士ウィルゴがため息をついて、手で私を制する。

「トーサン、落ち着いて。一応、ミチルも女の子なんだから乱暴に扱っちゃだめよぉ。それに、人の記憶は弄るのはよくないことだけどぉ、ドリームマスターに関する記憶を封じたのは、あなたのことを考えてのことなんだから大目に見てあげて、お・ね・が・い」

「まあ、それは良しとしても、ミチルが弄っているのは、それだけじゃないでしょう!」

 実は私の元の世界の記憶には曖昧な部分があった。困るほどのものではなかったし、これまではイレギュラーな世界間移動による影響と考えていたが、それもミチルによる操作の可能性が今回のことで出てきた。

 と、そこで騎士ウィルゴの言葉に気づく。

「騎士ウィルゴも私の記憶について1枚噛んでます?」

 私の視線を受けて、騎士ウィルゴが明後日の方向へ顔を向けて口笛を吹く。こちらは恐ろしく上手い。

「さて、この機に話していただけると、ありがたいのですが!」

 私が2人にそう迫った時だった。

「あ、やっぱりここにいた! オトーサン!」

 アキラの声がした。

 振り返ると、司書服を着たアキラがこちらに手を振っていた。その後ろにはリブラ教官の姿がある。

 そして、突風が吹いた。

「しまった!」

 手をかざして砂埃から目を守りながら見上げた視線の先に、ミチルを抱きかかえて空高く跳躍する騎士ウィルゴの姿があった。

「あなたを待っている物語たちのために精進なさぁい! そうすればいずれわかるわぁ」

「それまでは極秘事項! 閲覧禁止! 問いかけ禁止! これ図書館長命令だからー!!」

 その言葉を残し、影が小さくなる。境界図書館内では許可を得ていなければ【飛行】を使用できない、そのため追いつくことはできない。

 ちなみに騎士のウィルゴのあれは魔法ではなく、単なる跳躍である。

 そして、ミチルの図書館長権限で、私の記憶に関しては極秘事項とされてしまった、それどころか問いかけも禁止である。その宣言は、境界図書館内では本当に効力があるから困ったものだ。

「職権乱用だ!」

 もう見えなくなった相手に叫ぶ。

 まあ、いいさ。

 騎士ウィルゴの言葉から、私が司書として進んでいけば、いずれ明かされるということだろう。

 一体、何が隠されているのかはわからないが、まあとりあえず、今は前を見て進むのが一番健全そうだ。

 こういうところに関してだけは、私は比較的に楽天家な方である。

「オトーサン、今のは騎士ウィルゴとポラリス様?」

 私の傍らに来たアキラが影が消えた方向を見ながら言う。

「ああ、まあちょっとな。ところで教官と家に帰ったんじゃないのか?」

「帰りかけたんですけど、せっかく3人そろったし、今日はオトーサンもご飯の準備が大変だろうからって、教官がどこか外食に行こうって」

「だったら、わざわざここまで来なくても、通信を入れてくれればよかったのに」

「だって、通信がつながらなかったから」

「ああ、ミチルだな、妨害電波を出すから」

「ん? ミチルって誰です?」

「あ、い、いや気にしなくていい……」

「?」

 ポラリスの本名がミチルであることは、アキラは知らないし、あまり知られてもいけなかった。危ない。

「ところで、オトーサンは何か食べたいものがありますか?」

「そうだな……」

 ゆっくりとこちらへ歩んでくるリブラ教官と合流すべく進みながら考える。

「そうだ! パイがいいな。ミートパイとかじゃなくて、デザートのパイがいい。それも飛び切り美味しいやつが!」

 そして、パイを食べながら先ほど見た物語のことを話すのだ。

 エミーリアの幸せな門出に改めて乾杯してもいい。

 説教の後だが、それくらいは許されるだろう。

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スミトダイヤ <境界図書館物語> @mahee

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