第97話 帰還

 瞼が閉じている。

 久しぶりなのでそれを開ける感覚を忘れていないか心配であるが、目を開けることを意識するだけで問題なく動いてくれた。

 光が眩しい。無意識に手で覆う。

 このように少し意識するだけで動作してくれるこの肉体というのは実はものすごく不思議だと、この境界図書館に来て任務で様々なものに意識が転移し戻るたびに思う。

 光に慣れ、ぼやけていた像もきちんとその姿を結ぶ。手をどけると天井に埋め込み型の照明が見える。

 どうやらいつもの如くで、簡易寝台に乗せられているらしい。

「よっと」

 声と共に上半身を起こす。

「お目覚めだね。眠り姫、いや眠りおっさんか」

 そう言ったのは、司書服の上から白衣を着て、ややお疲れ感を滲ませている外見は30過ぎの眼鏡の男性。

 私たちが所属する境界図書館の第一司書隊の医務責任者である司書騎士サギッタリウス。通称『ドク』。

 私は、渡りの際の幽体離脱問題があるため、毎回、この人のお世話になっている。

「トーサン、お帰り~、そしてお疲れ様」

 明るい声がする。見ると、眼鏡を光らせてマドカさんが手を振っていた。

 白い司書服に身を包んだ彼女は、真珠のような光沢を持つバランスボール大の玉の上に座っている。

 その玉はわずかに床から浮いているのだが、実は彼女の本体はこの玉の方である。人の姿をしており我々が『アイオス』と呼んでいるのは、直接的なコミュニケーション手段を持たない彼女たちが、我々との円滑なコミュニケーションをとるために作り出している、いわば仲介役的な実体ある虚像だった。今回の任務でミチルが我々に見せた実体がある映像は、恐らく彼女たち『アイオス』の技術の流用なのだろう。

 もし、情報デバイスでの機能追加が上手くいけば、もしかするとミニマドカさんなどが直接任務に関わってくる可能性もある。

 まあ、それはそれでいろいろと大変そうだが。


「えーと、ただいまです。で、状況は?」

 周りには、リブラ教官とアキラの姿はない。

「今、物語世界の方で最終的な修正作業が入っているわ。それが完了次第、物語の他世界への再浸透と保護処理を行うけど、そっちは私たちの仕事だから」

 『再浸透』は修復された物語の、他世界での入れ替えと再拡散作業である。そして『保護』は世界の書を通して、修復した物語を起点としてそこから過去の物語世界の情報を半永久的に固定し保護するというものだった。保護することにより、その後は情報の破損や特異点がほぼ起きなくなるそうである。

 だったら、最初から情報を固定してれいば特異点などが発生しないのではないかという話だが、どうもそう単純なものでもないらしく、保護ができるのは私たちが介入した地点より過去のみとなっているということだった。

 つまり、私たちの任務は完了したが、エミーリアたちの物語が安定するにはもう少し時間を要するということである。

 無事にその作業が終わることを願うのみであった。


「リブラ教官とアキラは?」

「2人はすでに任務後の検査に向かったわよ」

 任務の帰還後には、検査が義務付けられていた。といっても、そう時間がかかるものではない。

「では私も検査に向かいます」

 そう言って寝台から降りようとした私をドクが手で制する。

 その背後には、大きな棺桶が直立している。別にこれは、私が肉体への復帰に失敗した時のために用意されていたわけでなく、ドクの武器という事だった。中を見たことはないのだが、時折一人でに蠢くことがあるので、何か、もしくは誰かが入っている可能性が高い。

 ドクは空いている手でずれ始めていた眼鏡を直すと口を開いた。

「トーサン、君は今回、マナの還元現象を起こしたらしいな」

「ええ、まあ、でも大丈夫でしたが……」

「素人判断をするものじゃない。ということで、従者トーサンは精密検査送りだ。運んでくれ!」

 指示と共に、ドクのところの司書騎士見習いである従者カナリアとナイチンゲールが私の乗った寝台を問答無用で移動させ始める。

「がんばってね~」

 マドカさんがお気楽に手を振って私を見送った。

 ドクの精密検査は、めちゃくちゃ時間がかかる上に怖いと評判だった。

 何が怖いかといえば、棺桶のこともあるのだが、彼自体が纏っている『人の好いマッドサイエンティスト』ぽい空気のおかげで、いつか改造されるのではないかという不安がどうしても付きまとうのだ。

 まあ実際に改造された人間はいないのだが。今のところと表向きは。

 ただ、私の場合はレアケースなので余計に心配なのである。

 そんな私を乗せて寝台はまっすぐに研究施設へと向かった。



 結局、私はその後2日間に渡り、境界図書館本館の研究施設で精密検査を受けることとなる。

 結果は問題なし、ただただ疲れただけだった。

 さらに追い打ちをかけたのは、精密検査終了後、リブラ教官たちと共に、司書長のソルとその補佐にして、第一司書隊の隊長であるレオに呼び出しを受けたことである。

 結果、ものすごく怒られた。

 今回の任務で、あまりにも表舞台に出すぎたこと、魔法を大ぴらにし過ぎたこと、危険な賭けとなる行為が多かったこと、エミーリアなどの人物に肩入れをし過ぎたこと、その他諸々、数時間に渡る説教と共に、私とアキラに関しては追加の特別訓練が課されることとなった。

 まさに踏んだり蹴ったりである。

 なんとか解放された私は、同様にぐったりとしたリブラ教官たちと別れると、1人、境界図書館本館島の片隅に存在する公園にぶらりと足を運んだ。

 今受けた説教のことについて考えを少しまとめたかった。だから、公園の池のほとりにあるお気に入りスポットで少し佇んでから帰ろうと思ったのである。

 クールダウンというやつだ。

 中央に水の循環用の噴水があるその池は、周囲を木製の柵で囲まれており、それに沿い一周するように歩道が整えられていた。途中、ところどころにベンチがあるのだが、その中に一箇所だけ自販機が傍らに設置されているものがあった。そこが私のお気に入りだった。

 そこの何がいいといえば、ほどほど静かで誰も来ないところである。そして飲み物もある。

 しかし、今日は先客がいた。


 身長2メートルを超える巨体が柵に腕を置き、池の様子を見ていた。

 その身長に見合う横幅に、体脂肪率0なのではないかと思われるどこをとっても筋肉だらけの肉体。

 まさに筋肉でできた壁だった。

「ウィルゴ教官、お疲れ様です」

 私が声をかけると、筋肉の壁がこちらを向いた。

 サラサラのマッシュルームカットの金髪がその動きに揺れ、晴れ渡った快晴を思わせる瞳が私の姿を映す。

 そして、口の上に存在するカイゼル髭は今日もキレッキレでその両端が上に向いていた。

「お疲れ様ぁ、トーサン」

 ぎりぎり170あるかないかの私が並ぶと、横幅の関係もあり大人と子どもである。

「でも、ウチはもうトーサンの教官じゃないんだから、気楽にウィルゴって呼べばいいのよぉ」

「いやさすがに、呼び捨ては勘弁してください……」

 見た目のインパクトと口調のインパクトで初見殺しのこの司書騎士ウィルゴは、私の元々の教官だった。

「大分、今回も無理をしたみたいねぇ。悪いわねぇ、リブラちゃんたちのお目付け役を頼んでしまってぇ」

「いえ、私の未熟さで逆に迷惑をかけています。そのせいで今回もソル様たちに説教された帰りです」

「で、息抜きにここに?」

「はは、まあそんなところです」

 笑った私に騎士ウィルゴが缶コーヒーを差し出す。その手はかなり大きいのでなんだか缶がおもちゃのように見える。

「ありがとうございます。いただきます」

 私が缶コーヒーを受け取ると、教官ももう片方の手に持っていた缶を器用に開けた。それはコーヒーではなくお汁粉の缶だった。

「で、ソルちゃんたちは、何がいけなかったって?」

「私たちが表舞台に出すぎたと、あと物語世界の住人に入れ込み過ぎだと言われました」

 それを聞いた騎士ウィルゴは、お汁粉をずっと一口啜ってから口を開いた。

「まあねぇ。私たちは表舞台に出ないのが基本だし、それができれば1番よねぇ。それにぃ、物語世界の特定の人に肩入れし過ぎるのはよくないわよねぇ」

「はい、それは反省しています。ただ、あの世界でどうやったら良かったかと考えると、未だに答えがでなくて」

「悩みなさい、悩みなさい。リブラちゃんも含めて、あなた達は司書としてはまだまだ未熟なんだからぁ、大いにに悩めばいいのよぉ」

「はい、でも悩んでいる間に大きな間違いをしそうで恐ろしいです」

 私の一言に騎士ウィルゴが笑う。

「トーサン、あなたは真面目よねぇ。そこがいいところでもあるんだけど、それで自分を追い込まないように気を付けなさい。適度に力を抜くことも大切よぉ」

「昔から、そこがどうにも下手過ぎて嫌になります」

 そう言って、私が頭を掻いた時だった。 

「いただき!」

 頭と肩と背中に重量物が乗り、視界を青いものが覆った。

 それと同時に私の手から缶コーヒーが奪われる。

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