第96話 出立
左右に武装した兵士達が整列していた。
その最前列に並ぶのは正装に身を包んだ王宮護衛官たちだ。中には昨夜のことで傷を負ったのだろう包帯を巻いた痛々しい姿の者もいる。
「剣、抜け!」
号令と共に護衛官が腰の剣を抜いた。昨晩の短剣とは違う細身の長剣だった。
「捧げ! 剣!」
続く号令と共に、護衛官たちは一斉に己の鼻先で剣を垂直に立てる。そして、後ろに並ぶ兵士達は槍を垂直に立てた。
垂直に立てられた刃が並木のように奥まで続き、その間を赤い絨毯が王たちが待ち受ける奥まで伸びていた。
「皆さま、どうぞ」
そういって、我々の前に進み出たのはアリベルクだった。
彼の後に続き、兵士達の間を抜け、王の前へと来る。
王の周囲には、先ほど別れた人たちの他に、明らかに身分が高そうな、そしてオイステン王国のものとは違う衣装を着た人々の姿もあった。
「すまぬな、密やかな出立を望んでいたが、護衛官たちの申し出もあってな。これくらいは許してくれ。あと、他国からの使者や来賓もそなたたちを一目でもいいので見たいと言って聞かぬのでな」
そういう事か。そして、私の方を見て他国の来賓たちがにわかに騒めいていた。
気のせいか、「ルルーナ」という単語も聞こえた気がする。これはオイステン王国を飛び越えて様々な噂や話が飛び交いそうだった。
もう、境界図書館に帰還したら確実に説教コースだ。
その事を思ってどんよりしているとこの場に似つかわしくない声が響いた。
「ホウキしゃん!」
私の体に緊張が走る。
見ると、人々の後ろからフェイアを抱いたパルファが飛び出して来た。走って来たのかその息がやや上がっている。
さらにその後ろにはコリンヌ、さらに子爵夫人の姿があった。やはり走ってきたようでその額にはうっすらと汗が浮かんでいた。
「パルファ、それにお前たち、陛下の御前であるぞ控えよ! 申し訳ございません陛下」
どうやら家族が来ていたことに気付いていなかったようで、慌てる子爵に王は笑顔で手を上げて制する。
「よい、セントバンスとやらの言を受け、余が呼んだのだ。間に合ってよかったな」
子爵が恐縮する。
「しかし、余にできたのはこれらの僅かな心遣いくらいだけだ。本当に褒美の一つも渡せておらぬ。せめて財貨くらは受け取ってくれぬか」
その話は昼にも出ていたが、リブラ教官はきっぱりと断っていた。
「お心だけありがたく頂戴いたします。ですが我々に財貨は不要です。その代わり」
リブラ教官がエミーリアを見た。
「彼女のことをよろしくお願いたします」
その言葉に王は大きく頷く。
「承知した。何、将来の我が娘だ。心配しないでくれ」
「ありがとうございます」
私たちが王の言葉に一礼すると、王はそのエミーリアと王子を呼び寄せた。
「魔法使い殿、エミーリアのことはお任せ下さい。私の身に代えても守り、そして幸せにしてみせます」
教官の言葉を聞いていたのだろう、王子が強い覚悟をもった瞳でそう言う。
「本当にお別れなんですね」
エミーリアは今にも泣きそうだが、王たちの手前もあってか必死に我慢していた。
「ああ、だが忘れないでくれ、私たちはいつでも君の味方だし、そして君は今、一人じゃない。陛下もいる、殿下もいる、リヨンド子爵家の皆さまも、それにローガンだっているしな。もし、疲れ果てどうしようもなくなったら無理をせずに誰かに頼ればいい、それは決して迷惑ではない、より良い未来を皆で描くために絶対に必要な助け合いだ。と、誰かが言っていたな」
エミーリアがリブラ教官に抱きついた。教官はその背中を包み、優しく叩く。
「エミーリアさん、お幸せに」
エミーリアとアキラが抱き合う。
「あと、ダンスでは足を踏まないように気を付けないと」
彼女の耳元でアキラが小声で囁く。
泣きながら、エミーリアが笑った。
最後、彼女は私の前に来た。
「ホウキさん、本当にありがとうごじゃいまじた。いづも夜一緒にいでぐれでうれじがったでず」
もう涙が止まらないエミーリアの顔は、ちょっと酷いことになっていた。
そっとハインゼル王子が彼女にハンカチを差し出す。
それで顔を拭った彼女は、引きつりながら笑った。
それから、私たちはもらい泣きをしているパルファたちとも別れの挨拶を済ませた。
最後にフェイアのべたべたの手で触れられたが、今回は我慢しよう。
そして、ジジ様の嫉妬の目が前よりも強いのは気のせいか?
「それでは出立いたします」
リブラ教官の言葉に王がうなずいた。
「本当は楽隊による音楽でも響かせながら盛大に送り出したかったのだがな」
それはやめて、目立ち過ぎるというか良い見世物である。特に私が。
「ただ、最後にもう一つだけ、心遣いはさせて欲しいからな」
そう言って王が手を上げて合図を送る。
やや大き目な蹄の音と転がる車輪。
王が私たちのために用意してくれた馬車は、私たちにとって見覚えがあるものであった。
4頭の巨馬に牽引された荷馬車の御者席には、グラハムさんとベンジャミンさんの姿がある。
手を振る王たちに見送られ、荷馬車の上の人となった私たちは、王城の大門を抜け、内区を下り、境界の城壁を超える。
外周区に出ると城壁前広場では祝祭の後片付けで人々が忙しく動き回っている様が見られた。
そういえば、竈の火亭の女将さんとアリソンは、今回のエミーリアの事を知ったらきっと驚くだろうなと思いながら、同時に結局あの店の料理を食べることができなかったのが少し心残りであった。といってもホウキの身では逆立ちをしても食べることは叶わないのだけど。
「しかし、陛下よりの急のお召しを受けた時は正直驚きました。あと皆さんが魔法使いだったとは」
外周区まで来て緊張が解けたのか、グラハムさんが大きく息をつきながら口を開いた。
どうやら、話によると我々が密やかに王都を出ることを望んでいること、昨夜、王宮で起きた事件に関しての王国にとっての恩人であること、そして我々が魔法使いであることは聞いていたようである。
「まあ、魔法使いだと聞いても未だによくわからないというのが、正直なところでございますが」
グラハムさんは私を一瞥してから、出会った時と変わらぬ朗らかさで笑った。
「グラハム様にもベンジャミン様にも大変お世話になりました」
リブラ教官の言葉にグラハムさんが、穏やかに首を振る。
「いえいえ、こちらこそ大変お世話になりました。皆さまのおかげで様々なつながりを持つことができました。こいつに至っては、子爵家から王都での仕事の声もかけていただいておりますし」
そう言ってグラハムさんは傍らの甥を見た。どうやら今回の舞踏会のドレスの仕事ぶりを見てのことらしい。
「それは、おめでとうございます!」
ベンジャミンさんは気弱そうな顔を赤らめて頭を掻く。
「これも皆さまが子爵様と引き合わせて下さったからです」
「いえ、ベンジャミン様の元々の実力があってこそのこと」
どうやら、私たちが知らないところで、今回の諸々によって多くの人の運命が動き出していた。
それが良いことか、悪いことかは、今の私たちでは一概に判断はできない。
人生、塞翁が馬、状況などいくらでも流転するものだ。
ただ、状況がどう転がろうが、その中で自分自身を諦めなければ、道はどこかにあり、そして未来は良くしていける。
私はそう信じている。
「しかし、皆さまとも不思議な縁といえば縁でしたね」
穏やかなグラハムさんの言葉と共に馬車は進み、外周区の端、水堀にかかる橋までやって来る。
王よりの許可書があったので、改めは問題なく通過する。
「野盗に襲われていたところを、皆さまに助けていただいてここを通ったのが半月ほど前でしたでしょうか」
そういえば、そうだった。
この荷馬車に乗った今の面子で王都を訪れたのである。まさかあの時はこのような結果になるとは私たちも夢にも思わなかった。
「短いような、長いような」
グラハムさんの言葉には感慨深げな色があった。
「本当にここでよろしいのですか?」
王都より少し離れた位置で我々は荷馬車を降りた。
「ええ、それにこれ以上進むと、グラハム様たちが戻るのにも差し支えが出ますでしょうし」
太陽は完全に夕日となり、もうすぐ空は紫紺へと変じる時刻だった。
「それでは名残惜しくはありますが、道中お気をつけて」
馬車から降りたグラハムさんと、ベンジャミンさんがリブラ教官たちと握手を交わす。
「お二人もお気をつけてお戻りください。そして皆さまによろしくお伝えください」
手を振る我々を残し、グラハムさんの馬車は王都へと引き返していく。
時折、二人がこちらを見て手を振った。
その姿が完全に見えなくなってから、私たちは闇に沈みゆく世界の中、最初に降りった森へと向かい移動する。
『渡り』のポイントとして指定された森の中の遺跡に到着した時には完全に夜となっていた。
途中、私の現在の体が置いてあった猟師小屋に立ち寄り、アキラが私の「代金」を小屋の中に置いてきている。
<時間流の調整完了。各自の信号も確認、それでは境界図書館への帰還のカウントを30で開始します。いきます! 30、29、28…>
今日も雲がなかった。
何かと見上げていた星が満ちるこの空ともこれでお別れである。
<3、2、1>
一瞬の閃光が視界を覆った。
上下左右の区別のない光の中を移動する感覚がしばらく続いてから、急に下降感を感じる。
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