終章 世界書館
世界書館
当初の予定からは大きく外れてしまったものの、なんとか物語も書き上げ、アレート様の粛正も阻止できた。さあ、あとは帰るだけだ。そうあたしは皆に告げ、ぱちんと指を鳴らし、皆は一斉に空へと浮き上がる。
最初はゆっくりと上へ上へとめざしてゆくが、その速度は雪だるま式にアップしていき、高度千メートルを超えた辺りからは宇宙ロケット顔負けのスピードへと進化する。
この速度は留まることを知らず、もっともっと跳ね上がってゆく。成層圏を抜け、宇宙を超え、そして第四の壁を突き破るためにだ。もうこの世界に用はない。あとは彼らが物語を紡いでいくことだろうから。さて、それはいい。それは。問題は――
「……はぁ」
先程からあたしの横で深いため息をこぼしているイズミルの姿だ。彼は雲を突き破り、眼下が雲海一色だというのにまるで意に介さない。この速度で人間としての体が耐えられるか心配だったが、どうやらちゃんとあたしたちの紙様のバリア圏内に入っているようだ。
イズミル。紙様としてこの世界に来た時にはいなかったメンバー。紙様でもないくせに改行能力を持ち、その能力故にあたしたちの計画を破砕させ、結果一緒に行動することになったかと思いきや、あと一歩の所で暴走してくれやがりました困ったさん。
そして村を追われ、こうして最後を過ぎてなお行動を共にするようになってしまった。
そんな全ての事情を把握していながらも、あたしは白々しくイズミルに訊ねる。
「どうしたのー、イズミル」
ちらりとイズミルは今にも泣きそうな潤んだ瞳をちらりと向けて、重苦しくこぼした。
「もう俺には帰る場所がない……これからどうやって生きていけば……」
その問いに対する答えを、あたしは一つしか知らない。
「だったらさー、イズミル。一緒に紙様やらない?」
すると今まで黙っていたスミルナとリアンがぱあっと顔を輝かせ、援護射撃を。
「あ、それは名案ですわね」「うちも、メガトン大賛成です……」
「え? 紙様?」
イズミルが反芻しながら首を傾げる。あたしは即座に首肯した。
「そだよー。あたしだって現世を捨てて紙様になったのー。みんなもそうだよー。それにイズミルは紙様になる前に既に改行能力を持ってるしさー」
あたしがいじめられっ子で、いじめのない理想的な世界を創造したいという願いを込めて紙様になったように、スミルナやリアンもそれぞれに思いを抱えて紙様となった。
それに後悔はしていない。だってあたしたちは、凄く幸せなことをやっているんだから!「改行能力……ただの魔法なんですが」
イズミルの仏頂面に、スミルナとリアンが同時にぷっと吹き出す。
「それ、紙様以外で役立つ時あると思いますの?」
「そもそもイズミル様の改行魔法のせいで……うちら、こんなことになったんですよ?」
残酷ではあるが、どうしようもない正鵠。
「う……そ、それは……」
イズミルは言い返せないでいる。このままだと可哀想だから、あたしは話を本筋に戻す。
「だからさー、ね? 一緒に紙様になろ?」
これは打算だけじゃない。あたしはイズミルのことが気に入った。好きといってもいいかもしれない。これから彼と一緒に天地創造できるのかと思うと、胸が躍る。
さあ、イズミルの答えは――
「……そうだな。それしか、ないよな」
「よーし決まった! じゃ、早速第四の壁を越えて世界書館へれっつ・ごぉ!」
あたしはぱちんと柏手を打って、一気に上昇速度をアップさせる。
「「れっつ・ごぉ!」」
スミルナとリアンも続いて柏手を打った。瞬間、今までロケット以上程度だった速度は急上昇。一気に地球を飛び出し、宇宙空間へと。もちろん呼吸に不便はない。紙様だから。
「って、わあ!」
宇宙空間さえも瞬く間に消えてゆく。世界の全てがスターボウとなる。あらゆる恒星が一本の線と消え、さらに速度は上昇してゆく。もはや重力はおろか空間さえもねじ曲がるほどに速度はアップした。
「もっとスピード上がるよー。バリアから離れないようにしっかり掴まっててねー。第四の壁は生半可なスピードじゃ越えられないからね」
「具体的には?」
「光速の一兆五千億倍ですわ」
「速すぎるわ!」
イズミルの驚愕的な突っ込み。確かに冷静に考えると物理学に反旗を翻しまくってるよね、この速度。あたしたちにはなじみ深い速さなんだけどね。
だからこそ、あたしは暖気(のんき)さを隠すことなく、あっけらかんとイズミルに囁く。
「さあ、世界書館に戻ったら早速次の世界を創造しよーね」
「次の世界?」
「そだよー。今回はちょっとアレだったけど、次は失敗しないよー! イズミルのお陰で改行もできるようになったし! 次はどうしよう?」
あたしがちらりとスミルナとリアンの方を向くと、スミルナがしばしうーんとひねった末、ちらりと周囲を見回して名案が思い浮かんだらしく、ぴっと人差し指を突き出した。
「宇宙を舞台にしたSFとかですの?」
周りが宇宙だから思いついたな。絶対そうだ。
「ちょっと古いけど……うち、メガトン結構好き、です……」
なんだよメガトン結構好きって。でも、それもまたリアンらしいか。ともあれリアンも賛成。あたしはどうでもいいし、イズミルは何が何やらわかってない。なら――
「よーし決まった! 次の世界は宇宙を舞台にしたSFだー!」
「……マジかよ」
おや、何か不服そうなご様子。と、思いきやすぐに表情を明るめて。
「でも、まあ……これはこれでいいか」
そう了承してくれた。なんだ、結構気に入ったみたいじゃないか。ならば問題ない。急いで世界書館へ行こう。速度アップだ。めざすは光速の一兆五千億倍!
物質の全てが消失し、重力さえも霧散。時間をも破壊する。ありとあらゆる物理現象を滅亡させて、辿り着く奇跡の壁。第四の壁。それを今こそ突破する。
「ほら、喋ってると舌噛みますわよ」
スミルナがぎゅっとイズミルの手を握る。リアンは足を掴んだ。
「なんせこの速度は、光速の一兆五千億倍……です。メガトン速いです……から」
三人に掴まれ、イズミルはなんか困惑顔で周りを見回すが、無駄だ。もう視界なんて概念は滅殺されている。黒でも白でも透明でもない。無の色彩が世界を支配している。
「さー、もうすぐ第四の壁の向こう側!」
これを超えたら世界書館。そこで晴れてイズミルはあたしたちの仲間となるのだ。
嬉しいな。そう思うと頬がほころぶのをどうしても止められなかった。だから――
「よろしくー」
そう、はにかんだ。
「あ、ああ」
イズミルはちょっとだけ狼狽を見せるが、やがて落ち着きを取り戻し、
「よろしく」
そう、返してくれた。
わたしは紙様 深田あり @hukadaari
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