5

 朝日が昇るのを、毎日見ることになるとは思わなかった。

 暗いうちに起き、牛たちの世話をする。最初は随分と腰が痛くなった。毎日彼らは表情を変える。幼い頃から一緒に過ごしてきたのに、あまりにも多くのことを僕は知らなかった。

 牧舎から出て、朝日を浴びながら思いきり空気を吸う。気持ちがいい。

 父が体を悪くしたと聞いたとき、思いの外すんなりと決断ができた。それは父のためでもあるし、風のためでもあった。

 朝の食卓に、父さんはいない。退院してきてからも思うように動くことができず、自室にいることが多くなった。僕らの食事が終わると、母さんは朝食を父さんの部屋まで運ぶ。

 九時過ぎ、家を出る。向かう先は島烏だ。おばあはもう住んでいない。とうとう体調がどうにもいかなくなり、親戚のいる島に引き取られていった。

「おはよー」

「おはよう」

 玄関をくぐると、テーブルを引っ張っている蜜さんの姿があった。

「手伝おうか」

「大丈夫。将棋にはもったいない天気ね」

「そうだね」

 蜜さんは結局、二年生で中退した。僕が卒業してしまうことも、関係はしていた。けれどもやはり、どこかに所属するということに耐えられなかったようだ。僕は止めなかった。蜜さんは、この島で笑っている姿が一番似合う。

「あ、洗濯物干さなきゃ。ちょっと待ってて」

「うん」

 部屋の隅には、薄い将棋盤が重ねられている。そしてその横の棚には、大きな写真の入ったフォトフレーム。七人の部員が、ブイサインをしている。唐澤さんはそっけなく、蜜さんは恥ずかしそうに。全国で一勝記念の一枚は、最初で最後の集合写真になった。僕らの全国は、予選で終わった。

 一つだけ、分厚い盤がある。蜜さんの持ってきた、僕らが初めて指した時のものだ。それを引っ張り出し、駒を並べる。丁寧に手入れされていて、鈍い光が眩しい。

 あの時からは、随分と成長した。けれども、まだ蜜さんにはまったく勝てない。将棋は、深い。

 このあとここでは、将棋教室が行われる。僕らが指しているのを見つけた子供たちが教わりたがったのが最初で、それを聞きつけた大人たちも来るようになった。暇になると三線を弾きだす人もいるし、台所を勝手に使って料理を作り、お酒を飲み始める人もいる。それぞれが自由に楽しむのが、僕らの集まりだ。

「了君さ」

 選択を終えた蜜さんは、僕の横に座って右腕をつかんだ。

「なに」

「腕太くなったよね」

「そりゃあね」

 子供たちの声が聞こえてきた。蜜さんは手を離し、立ち上がると台所に向かった。

「お茶入れなきゃ」

「手伝うよ」

 木々の向こうに、海が見える。小さい頃から見てきた、一番好きな海だ。

 この海の向こう。本島も越えてずっと向こう。風は旅立って行った。大学に入り、畜産の勉強をしている。崎原との微妙な関係は微妙なままだと聞いているけれど、本当のところは知らない。

 その崎原は、本島の大学に入った。何とか親を説得して、奨学金を取って、バイトをして暮らしているらしい。彼女なら頑張れる、と思う。

 いずれみんな、この島に戻ってきて一緒に笑う日が来ると思っている。

「将棋、好きなの?」

「え」

「思い出しちゃった。初めて会った日」

「そういえば、そう言われた」

「で、どうなの?」

「もちろん、好きだよ」

「よかった」

 穏やかに時間が過ぎていく。僕は、この島で過ごす時間が、大好きだ。


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海の81マス 清水らくは @shimizurakuha

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