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 人だかりに囲まれて、僕らはただただ見守っていた。胡屋さんの額から、汗がにじんでいるのがわかる。おそらくこの雰囲気から、状況は理解しているのだろう。

 僕の横には青田と光城。先ほどまでは一勝できたことに浮かれていたが、今は勝負の行方をしっかりと見つめている。向かい側には崎原。口に手を当てて、時折目をそらす。見ていられない、といった様子だ。

 蜜さんはこの場にいない。「結果が出る頃に戻ってくる」と言って、どこかに行ってしまった。

 Aチームは大将僕、副将唐澤さん、三将が胡屋さん。とにかく僕と胡屋さんのどちらかが勝たなければいけないチームで、ここまでは三将の当たりがきつく、僕が何とか勝って勝利してきた。予選を抜け、決勝トーナメントも勝ち続けた。チームとしては順調だったが、胡屋さんの連敗は去年からずっと続くことになってしまった。

 そして、決勝戦。これに勝てば全国大会に行ける。僕は用意した作戦が決まり、ヘロヘロになりながらも何とか逃げ切った。その瞬間、チームの勝利を確信した。けれども隣を見た瞬間、確信はすぐに砕け散った。そこには、青ざめた顔で盤面を見つめる唐澤さんがいたのだ。今まで見たことのない表情だった。見ると唐澤さんの玉は必至。受けようがない。対して相手玉は安全。どうしようもなかった。

「負けまし……た……」

 唐澤さんは対局が終わるとは後ろの方の席に移動して、そのまま突っ伏してしまった。

 そして、胡屋さんの対局が残った。まったく勝てていない中、決勝戦を迎える先輩の様子は本当に暗かった。それでも、胡屋さんは必死に指し続けている。これが最後の大会。いや、これを勝てば、まだ続きがあるのだ。

 形勢は五角、に見えた。胡屋さんの方は自陣がばらばらだが、駒を得しているうえに相手陣にと金も作っている。相手はまだ囲いが健在だけれど、攻めが切れる心配がある。微妙な勝負だった。

 会場内で、残された対局はただ一局のみ。ほとんどの人間が、それに注目している。電子音に急き立てられ、あわてて着手される度、物語は収束に近付いていく。お互い、焦り、戸惑い、震え、恐れている。

 それでも。ゆらゆらと揺れる船が、何とか港までたどり着く姿が見えた。胡屋さんの玉はぎりぎりのところで逃げ切っていた。相手が諦めるまで、こぎ続けられるか。前を向いて、ひたすらに。

「ありません」

 小さな小さな呟きだった。

「え」

 胡屋さんは目を見開いて、声を漏らした。聞こえなかったのだろう。

「……負け、です」

 色々な感情のこもった、息の漏れる音。正直なところ、最初に感じたのは疲れだった。ようやく終わった、と思った。そしてじわじわと、喜びを感じ始めた。これは、始まりでもあるのだ。

「高嶺君……」

「優勝です」

「……そうか」

 胡屋さんは、右手を僕に差し出してきた。

「ありがとう」

「こちらこそ、ですよ」

 その手をしっかりと、握り返す。

「唐澤は?」

「後ろで倒れてます」

「あいつにも助けられたよ」

 席を立ち、観戦していた人々をかき分け、胡屋さんは唐澤さんのところまで歩み寄った。

「唐澤、勝ったぞ」

「……まったく、ようやくかよ」

 顔をあげないまま、唐澤さんの低い声。

「ごめん」

「全国では、全勝だからな」

「わかった」

 唐澤さんが負けてもチームとして勝てた。この事実は大きいと思う。全国のレベルというのはわからないけれど、きっとこのチームは、ちゃんと立ち向かっていける。

「あ、ちょっと失礼します」

 この喜びを、分かち合わなければいけない。僕は会場を出て、非常階段へと向かった。きっとそこにいるのだと、わかっていた。

 三階まで駆け上がりさらに半分上がったところ。そこに蜜さんは腰掛けていた。

「了君……」

「やっぱりここにいた」

「なんでわかったの」

「ここから……海が見えるから」

 少し高い建物ならば、どこからでも海が見える。けれども、格別に美しく見える場所はそれほどない。去年もこの会場に来て、この場所からの景色がいいことはすでに知っていたのだ。

「もうすぐ、夕日」

「そうだね」

「あの山で見たみたいに、きれいかな」

 蜜さんが言っているのは、島で見たあの夕日だろう。たぶん、あれには及ばない。

「どうだろう」

「……勝ったんだね」

「うん」

 蜜さんが、僕のシャツの袖をつかんだ。僕は、彼女の横に腰かけた。

「ちょっと、のぼせちゃった」

「え」

「やっぱりね、大勢は、苦手。嬉しいとか、楽しいとか、感情を出すのが苦手」

「ありのままでいいじゃない」

「ありがとう……了君とは、大丈夫だから」

「よかった」

「でも、いつまでもつかはわかんない。了君、先に卒業しちゃうし」

「……そうだね」

「でも、今こうしていられるだけでも、十分」

 夕日が水平線へと近づいていく。やはり、きれいだ。

「全国でも勝てるように、鍛えてくださいよ、先生」

「任せといて」

 僕の右手と、蜜さんの左手。いつもよりも強く、握り合った。

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