死別した恋人を想い続けた男のはなし。

有川彰

思い出の中で生き続ける愛しいあなた


 愛した人との別離など、存外あっけないものらしい。


 先日、恋人が死んだ。交通事故だったらしい。葬式には出ていない。否、出られなかったというのが正しい。

 彼も俺も同性愛者であり、その手の出会いを求めるネット上の掲示板で知り合ったからである。共通の知り合いのいない恋人の死を知ることができたのも、彼の両親がアプリやアドレス帳にある連絡先へ片っ端から報告を行ったおかげだった。

 恋人との最期の別れをしたくなかったのか、と言われれば否だが、会ったことのない彼の両親や参列者の集まる場所に、インターネットで知り合ったという事しか言えない「友人」が行けるはずもなかった。それくらいの常識は持ち合わせている。

 彼は最期まで同性愛者であることを隠し通していただろう。恋人と告げれば会えただろうが、彼の死後に望まぬ形でカミングアウトを行うほどの図太さもなく。愛した人の両親が悲しむかもしれない可能性を選ぶことはできなかった。俺はただ、事務的な報告を最後に更新されないアプリのトーク画面を眺めて数日を過ごした。


(あいつは本当に死んだのだろうか?)


 何度かそう考えた。手の込んだ悪戯で、あいつはまた寝癖の直らない髪型のまま、センスのズレた子供のようなTシャツとGパン姿でひょっこり現れて。野暮ったい顔つきなのにえくぼの可愛い笑みを浮かべて抱きついてくれるんじゃないか、なんて思った。

 けれど連絡がマメなのが取り柄だった彼からのメッセージも来訪もないまま数ヶ月が過ぎ、俺はようやく恋人の死を実感する。

 ゲイ受けする外見でもなく、かと言って女性受けするほど整った顔立ちや体格ではなかった彼は、常日頃からそれを自虐しては笑っていた。けれど、俺は彼の内面もその平々凡々な姿も大好きで、その度にどれほど俺が彼を愛しているのか熱く語り、彼は照れ臭そうに笑っていた。


 どんなに容姿の整った相手にも勝るほどの魅力のあった彼が、もう、いない。ようやくそれを悟った俺は三日三晩泣き続け、四日目の朝にふと思い立った。


「そうだ、あいつとの思い出の場所へ行こう」


 彼とは多くの場所を旅行した。交際期間は三年間ほどであったが、お互いアウトドア派で旅行が趣味なだけあり、流石に海外には行く機会に恵まれなかったが国内は北から南まで多くの土地を旅したのだ。

 そのすべての土地を訪れよう。幸いにして時間はまだまだ沢山あるのだ。時間をかけて、彼を忘れることなく思い出をさらに深めていく。これが、恋人を愛し抜く唯一の方法だと気づいたのだ。


 それからの俺の行動は早かった。有給や休暇は全て旅行に費やし、あっという間に国内の思い出の地は巡り切った。訪れるたびに隣に彼がいないのが寂しくもあったが、まるで振り返れば後ろで笑っているような気がしてそれ以上に幸せな日々を過ごすことが出来ていた。

 そして、彼との思い出の地最後の場所を訪れた時、俺は酷い虚無感に襲われた。もうここで最後。ここから去れば彼は居なくなる。やがて忘れていき、顔も声も思い出せなくなるだろう。果たしてそれは本当に愛し抜くことなのだろうか?愛していたという過去だけが残り、彼を独り残してしまうのではないのか?


 ぐるぐる。酷い目眩に襲われて、俺は寸前の記憶を忘れた。何を考えていただろう?ああ、そうだ。




「次は、海外旅行の思い出の場所に行かないとだな」


 国内だけでなく海外にも多く足を運んだ。かなり時間をかけないと全部はまわりきれないだろう。ゆっくり、時間をかけて、彼との思い出の地を多く、より多く残していくのだ。



 彼の愛おしい笑顔が揺れて消えたような気がした。













 ぴこん。気の抜けた電子音がスマホから響いた。何かと見れば愛おしい愛おしい俺の恋人の名前。


『あの子が他界し一年となりました。もし都合が合えば是非家に訪れてください。遺品整理であなたから頂いたハガキがいくつも大切に仕舞われているのを見つけました。きっと仲の良いご友人だったのでしょう。来ていただければ、あの子も喜びます』


 ああ、ああ!ようやくだ!俺はようやく、彼と会うことが出来るのだ!

 震える手を必死に抑えて返信をすると、しばらく待てば彼の実家の住所が送られてきた。一人暮らしの彼の家には何度も訪れたが、実家は初めてだ。彼のことだからきっと彼に似合うお洒落で豪勢なところに住んでいるに違いない。

 今でも鮮明に思い出せる彼の姿、彼の声。人形のように美しく、幼さの残る、俺には勿体ないほどの美青年だった彼。声変わりしてなおどこか高めでそれが恥ずかしいと笑っていた、けれど調律された音色のように心地よかった彼の声音。

 写真など見なくてもこれだけ鮮明に思い描けるのは、俺が心から彼を愛していたからこその奇跡だ。早く会いたい。会って、思い出を巡り周った旅の話を聞かせてやりたい。



 時が経つのは早いもので、瞬く間に約束の日が訪れた。俺が辿り着いた家はプレハブ小屋よりはマシな程度のボロい家屋で、何度も地図アプリと交互に見つめ、恐る恐る尋ねた家の主にも確認してそこが彼の実家だと知る。

 なんだか大きく落胆し出鼻を挫かれたが、来てしまったからには仕方がない。何より中で愛おしい恋人が待っているのだ。ここで引き返すなどあってはならない。


 案内された仏間はこじんまりとし埃っぽい。あのギリシャ神話に出て来てもおかしくないほど美しい彼にはあまりにも似つかわしくない。

 しかし、いざ仏壇の前に正座し向き合うと首を傾げた。


 はて。この遺影に写る冴えない男は誰だろうか?

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死別した恋人を想い続けた男のはなし。 有川彰 @arikawa_akira

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