第8話 結論:全部イケメンのせい

「柚瑠ちゃん、お疲れ様。」

「あ、お疲れ様です、静香さん。」


 声の主は雨野だった。彼女はそこまで疲れた様子もなく、エプロンを外しながら柚瑠の側へやってくる。


「今日どうだった?初日だし大変だったでしょ。」

「そうですね、でもやりがいがあって楽しかったです。」

「それなら良かったわ。こういうのは慣れだしね。まだまだ覚えることあるけど、頼ってくれていいから。」

「はい、ありがとうございます。」


 雨野の言うとおり、仕事は思ったよりたくさんあり、覚えるのにはまだ時間がかかりそうだった。初めてのバイトということもあるのか、思っていたより疲労を感じる。

 隠れて息をついていると、雨野がそういえばと柚瑠の方を向いた。


「あなたもやっぱり言われた?」

「えっと、何をですか?」

「ほら、入る前にさ、揉め事起こしたらすぐに辞めてもらうって。」

「あ……言われました。」


 もちろんその言葉は覚えていた。あれだけ念押しされたら忘れるわけがない。


「だよね。厳しすぎるルールかもしれないんだけど、うちってたまにそういうことあるのよ。」

「あー……実は私が初めてこのお店に来たときにも、なんか揉めてたみたいでした。」

「あら、それはなんか申し訳ないわ……9.5割はあの2人のせいなんだけど、ルール設けてもやる子はやるのよね。」

「あの2人……?」

「類と和美よ。」


 下の名前だからわかりにくいが、確か店長と遠藤だったはずだ。あの2人が一体何をしたというのだろうか。理解ができず首を傾げる柚瑠を前に、雨野の話は続く。


「あの2人、無駄に顔がいいでしょ?オーラもあるし、それ目当てで来るお客様もいるくらい。その中には結構本気で狙ってアピールしてくる人もいるの……バイトにもいるのよ、そういう子。」


 そこまで聞いて、柚瑠は察してしまった。

 つまり、だ。


「あの人たちがイケメン過ぎて、バイトの子もバトっちゃう、ってことですか……?」

「端的に言えばそういうこと。もう、そういう子結構いるから嫌になっちゃうわ、この前もそれで2人辞めたし。あいつら狙いたいならせめて客で来なさいって話よ、仕事中なんて迷惑でしかないわ。これだから人手不足が直らないのよ。全く――」


 雨野がぶつぶつと愚痴を並べ連ねては、丸めたエプロンを自分のカバンへ乱暴に投げ入れる。柚瑠は遠い目をしながら、本当に苦労していそうだと心底同情した。


「っと、ごめんなさいね、取り乱したわ。とにかく、あいつら目当てでバイトさせてほしい子がたくさんいるから柚瑠ちゃんはどうなのか見てたんだけど、そんなことはなくてちゃんと普通の子で良かったわ。」

「あ…!普通って、そういう意味だったんですか?」

「ごめんなさいね、ややこしい言い方して。」

 

 思わず前のめりになり聞き返した柚瑠に、雨野は申し訳ない様子で肩を竦めた。さっき初対面で言われた“普通”。すっかり雨野のペースに乗せられていたので忘れていた単語だった。本当に良からぬ意味ではなかったので、今度こそ胸を撫で下ろす。

 安心した柚瑠の様子に、雨野もその美しい顔を綻ばせた。


「柚瑠ちゃんとは是非仲良くしたいわ。類と和美があんな感じだから、これから大変かもしれないけど。」

「あんな感じとはどんな感じだよ。」


 不意に割って入った声に振り向くと、店長の上條がドア口に寄りかかり怪訝にこちらを見つめている。


「あら、いたのね。」

「いたのね、じゃねえよ。新入りに変なこと吹き込んでるんじゃなんだろうな。」

「あなたたちのせいで揉め事が絶えないけど頑張ろうね、って言ってたのよ。」

「おいこら、一応ここ俺の店だからな?」

「はぁ、店長がこれなら店も大変ね。」

「いい加減殴っていいか、いいよな、いいよな?」


 次々と交わされる軽口についていけず、柚瑠は黙って2人を眺めていた。

 よく見れば上條は確かに容姿端麗だ。美人の雨野と並べば完全にお似合いの2人である。

 それにしても、ここまで軽口を言い合う仲ということは、プライベートでも付き合いがあるのだろうか。そういえば、雨野は上條と遠藤を下の名前で呼んでいた気がする。

 ここまで考えたところで、他の人たちが仕事を終えスタッフルームへ来たため、2人のやり取りもここまでとなった。


「あ、もうこんな時間!?私先に失礼するわね、今日はちょっと急ぎなの。お疲れ様。」

「お疲れ様です。」


 携帯を確認した雨野は慌ただしくトートバッグを肩に背負い、部屋出て駆けていった。

 雨野は思ったより面白い人なのかもしれない。

 風のように去っていった後ろ姿を見て、こっそり微笑んだ。

 去っていった雨野に合わせ、店長もまだ片付けがあると中へ戻っていった。


「君は店長目当て?」

「え?」


 突然不躾な質問を投げかけられたと思えば、同い年の伊原だ。お世辞にも愛想が良いとは言えず、素っ気ない。今も真顔でまっすぐ見つめてくる。

 質問も質問なので、戸惑いつつも柚瑠は首を横へ振った。


「いや、そういうわけじゃ無いですけど……」

「ふーん。前に店長と一緒にいたから、てっきりそうなのかと。」


 どうやら、完全に上條狙いでバイトに入ったと思われていたらしい。全くの心外である。だがそれよりも引っかかる言葉があった。


「前にって、覚えてたんですか?」

「なんか手首に包帯した怪しい女がいるなって思ったんだよ。」

「あの時は怪我の手当てしてくれただけです。」

「うん、それは後で聞いた。まあ怪しさはすごかったけどね。」


 こいつは一体なんなんだ。最後の一言はいらないだろ。

 真顔で遠慮なくぶっ込んでくる伊原に対し、柚瑠の心にもさすがにイライラが募る。

 そんなに嫌味を連ねて何がしたいのだろうか。文句の一つくらい言ってやろうと口を開こうとしたが、それは別の人間に遮られる。


「2人って顔見知りだったの?」


 口を挟んだ五味という物腰柔らかな女性は、栗色のまとめ髪を揺らし柔らかな微笑みを浮かべている。背も可愛らしいサイズで、おしとやかな日本の女性イメージにピッタリだ。


「顔見知りってほどじゃないです。前にこの人がここに来たとき、俺が見かけただけで。」

「そんなことあったんだ、知らなかった。」


 会話の勢いが一気に落ち、あれ以上話が蒸し返されることはなかった。おそらく、会話の雲行きが怪しいと思った五味が、割って入ることで止めてくれたのだろう。やはり五味は気遣いのできる優しい人だ。

 しかし、伊原の態度はあまり好かないし、そもそもあのタイプは少し苦手だ。この先一緒にはたらくこともあるだろうから、できれば仲良くしたかった。しかし、先行きはあまりよろしくない。


 こうして初めてのバイト初日は、少々不安が募るスタートとなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

囚われた籠の中で 泉 楽羅 @M__t__

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ