第7話 即辞めてもらうから
ここの制服は白シャツに黒ズボン、それに店から貸し出される前当てのついた茶色のエプロンを着用する。初めてのバイトの制服で、心を浮き立たせながら着替えてはみたが似合っているか定かではない。そわそわとしながら更衣室を出る。
「おー、なかなか似合ってるじゃん。」
「ありがとうございます……」
褒めてくれたのは遠藤である。隣に立つ上條は表情を変えず見つめるが、終始無言だ。雨野は着替えている間に持ち場へ戻ったのか、姿は見えない。
着替えた服を荷物とともにロッカーへしまい準備が完了すると、上條の指示で店内へ向かうことになった。遠藤は上條に、お前はいい加減戻れと怒られしぶしぶ持ち場へ戻っていった。
案内されたのは客からは見えない少し奥まった場所だ。手を洗う流しがあり、すぐそばには厨房がある。そこでは遠藤がなにか作っているのか台面に集中している。
「さっきも言ったけど、教育はだいたい雨野にさせるから基本的なことは雨野に教えてもらってくれ。わからないことは俺や他のやつでもいいから聞いて。」
上條の淡々とした説明に「はい」と短く返事をしながら耳を傾ける。
「初めてだから慣れるまではゆっくり覚えればいい。あと厨房は用がなければできるだけ入るなよ。あいつのテリトリーだからな。」
「はい、気をつけます。」
「それで、この前も言ったけど面倒な事起こしたら即辞めてもらうから。これは店の決まりな。」
この前というのはバイトの面接後のことだ。軽い説明を受けたのだが、その時も同じことについて釘を刺された覚えがある。事情はよくわからないが、面倒事一つで即辞めるというのはさすがに厳しすぎる気がしなくもない。どうしてそこまでするのか理由が少し気になったが、口を出していいのかわからなくて結局聞けずじまいだった。
そういえばここへ初めて来たときには騒ぎか起きていたが、その渦中の人物は決まり通りなら既に辞めているはずだ。その騒ぎにも関係あるのだろうか。
おそらく他の人にも同じを事を言っているはずだから、誰か聞いたら知っているかもしれない。
「――おい、聞いてるか?」
声をかけられてはっとする。前方には訝しくこちらを見つめる上條がいた。
「すみません、考え事をしていて。」
「何かわからなかったか?」
「いえ、そういうことではないので大丈夫です。」
どうやら柚瑠が不明点を見つけ悩んでいると捉えたようだ。怒られなかったことに、悟られぬよう静かに息を吐き出す。
「わからなかったら随時聞いてくれていいからな。」
「はい、ありがとうございます。」
このあと雨野のもとへ行き、早速指導を受けることになった。さっきのことで少し気まずさはあったが、一緒にはたらくのだから黙ったままではいられない。
「よろしくお願いします、雨野さん。」
「こちらこそよろしくね。私のことは静香でいいわよ。あなたのことは柚瑠ちゃんて呼んでいい?」
「大丈夫です。……じゃあ、静香さんと呼ばせてもらいます。」
「良かった、嬉しいわ。よろしくね。」
彼女は思っていたよりも気さくで親しみやすい人だった。名前呼びから始まり、時折見せる笑顔は偽物とは言えない可愛らしいものだった。その上、わからないことを聞くと丁寧に教えてくれる。他の人にも気を配り、自分の仕事もテキパキとこなす。つまるところ彼女は、所謂デキる人間だ。その姿を見て、柚瑠の中にあった彼女の第一印象は完全に吹き飛んでしまい、閉店時間が近づく頃にはもう打ち解けていた。
この日は雨野以外にもう2人、スタッフがともに働いていた。片方は男性だったがその顔を見たとき、柚瑠は思わず出そうになった声を直前で引っ込める。名前は知らないが見覚えがあったからだ。確か柚瑠が初めてここを訪ねたときに、店長の上條へ騒ぎの報告に来た人物だ。
挨拶をしに行くと、伊原と名乗られた他は「よろしくお願いします。」と返ってきただけで何も言われなかったので、多分向こうは覚えていないのだろう。お客以外の相手にはあまり表情を変えず、仕事は無難にこなしている。だが時々話しかけては柚瑠のことを気にかけてくれる優しい一面もあった。ちなみに雨野から彼は19歳の大学2年だと聞かされ、同い年であることが発覚した。
もう一人はふんわりした雰囲気の五味という女性で、その雰囲気の通り親切な人だった。柔和な笑みを浮かべ態度もふわふわしているが、丁寧で正確な仕事ぶりは貫禄を感じさせるものだった。やはり人は見た目や雰囲気に寄らないものだと思い知らされた。
こうしてバイト初日は終了したが、恐れていた揉め事や諍いが起こるのは一切感じられない穏やかさだった。
一体何があれば初めて来た時のような揉め事が起きるのだろうと内心首を傾げながら帰る準備をしていると、背後からドアの開く音がした。
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