二章 新しい生活

第6話 “普通”

 約2週間後、捻挫が無事に完治して柚瑠の初出勤となる日が来た。制服は白襟シャツに黒いシンプルなズボン、エプロンは店から貸し出しということでバイトが決まると同時に渡された。

 今日らバイトであることを加藤に話すと、笑みを一層輝かせて「頑張って!」と言ってくれた。不安だった心がいくぶんか静まった気がする。

 学校が終わりすぐに店へ向かうと、初めての時と同じように裏口から入りスタッフルームへ向かった。スタッフルームは前に怪我を手当してもらったところにあたる。

 ドア窓から覗くと、電気はついたままだが人の様子はない。上條が待機しているという話だったが、今はいないようだ。電気がついているということは誰かいるのかもしれない。

 とりあえず中へ入って待っていようとドアを開けた。


「おはようございま、す……?」


 部屋に視線をめぐらせた途端目に入ったのは、壁際でこそこそと話している男女だった。そこはちょうどドア窓から死角である。ドアを開けた音により男のほうが柚瑠のことに気が付き、視線を向けた。


「あ、鈴宮さん?」


 男性…から声をかけられた柚瑠はというと、ドアを少し開けたままで動きを停止している。だって、目の前で女性の手が男性の腕に伸び、親しげに微笑み合っていたのだ。柚瑠に気づいた時点でその手は離れたが、その様子は親しい男女が密会をしている図に見えなくもない。

 これは邪魔しちゃいけなかったやつか……?

 気まずい思いを一瞬抱いたが、その男性が見知った人であることに気づき声を上げた。


「えっと、遠藤さん……?」

「あ、覚えててくれた?」

「はい。」

「記憶力いいんだね。」

「そうでもないですよ。」


 さすがにここまで容姿端麗だと、印象が強くて忘れたくても忘れられない。

 この前初めて会ったときは、バイト同士の騒ぎを収めに行ってしまったきりで、あの後どうなったかは聞いていない。

 とりあえず顔見知りに会えて、柚瑠は気づかれぬよう胸を撫でおろした。


「てか、いつまでそこにいるの。中入りなよ、類もそのうち来るし。」

「わかりました……失礼します。」


 出合い頭がアレだったので入りづらさは少しあるが、断るのも変なので滑り込むようにして部屋の中へ入る。


「もしかして、その子が今日からの新しい子?」

「そうだよ。初めてだからいろいろ教えてやって、静香。」


 一緒にいた静香と呼ばれた女性は、何かを見定めているのか柚瑠を上から下まで舐めるように瞳を動かす。

 今日の柚瑠の格好は、袖がフレアスリーブになっているオフホワイトのブラウスにカジュアルなシルエットのジーンズである。教科書などが入った手提げを肩にかけて持ち、髪の毛はいつも通り後頭部で軽くまとめているが、これのどこかに変なところでもあっただろうかと、僅かな不安が柚瑠の心を掠める。

 その女性はふと視線を戻すと、その整った顔に綺麗な微笑を浮かべた。


「なんというか、普通ね。」


 瞬間、柚瑠はぱちくりと瞬きを繰り返す。唐突に普通だと言われ、少しの間呆気にとられていた。顔を合わせたと思えば、この人は一体何を言い出すんだ。


「ああ、ごめんなさい。普通って悪い意味じゃないのよ。あ、私は静香ね、雨野静香。」

「あ、えっと、私は鈴宮柚瑠です。今日からお世話になります。」


 名乗った相手に、はっとして柚瑠自身も名前を名乗り返した。なんとなく、普通という言葉が心に引っかかったままだ。

 悪い意味じゃなければ一体どういう意味だ。確かに自分は別に顔も身体も平凡だし、何かに秀でているわけじゃない。でも初対面で言われると、多少なりともムカつくし傷つく。

 このように言葉を並べても、結局口には出せないので心の中で吐き出しておく。あくまで顔は心を悟られぬよう、外向きの愛想笑いを浮かべたままだ。


「柚瑠ちゃんね。今日は私が教えることになるからよろしく。」

「こちらこそよろしくお願いします。」


 軽く挨拶を交わしたところで背後の扉が開く音がした。


「来たな、鈴宮。」

「上條さん、おはようございます。」


 柚瑠の挨拶に短く、ああと一言返すと、そのまま視線は遠藤たちへ移る。一転して、目つきが厳しくなった。


「お前たちは何をしてるんだ。余計なことは他所でやれ。」

「そんなんじゃないって何もしてないから。」

「話くらいしたっていいじゃない。類ったら、本当に固いんだから。」


 柚瑠には何を言っているかよくわからないが、とりあえず3人はとても親しい間柄のようだ。ここの人達はみんな仲がいいのだろうかそう思いかけたが、前にあった喧嘩騒ぎのことを思い出す。どういうことだろうかと考えはじめたところで、二人と話をやめた上條が柚瑠を見た。


「鈴宮、制服は用意できたか?」

「はい、白い襟付きシャツと黒いズボン、ですよね。ここに持ってます。」

「それならまずは着替えだな。あそこに更衣室があるから着替えてこい。」


 指がさされた方向を見ると、壁とカーテンで四角く囲まれた一人分の更衣室があるのが見えた。

 柚瑠はわかりましたと頷き、早速更衣室へ向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る