二十三 家族
「約千年と少しもの間、箒星は現れなかった。その兆候が現れたことはあったが、陰陽師の手によって鎮められたからね。だが、お前が生まれる前の年の事だ。『箒星』が生まれる兆候が確認された。当然、ボク達陰陽師はそれを鎮めるべく、動いたのだが……失敗した」
「明治開化から百年余り、霊や術なんてものを専門にする陰陽師がインチキだ詐欺だと言われるようになって久しく、私達の力はどんどん衰えていったわ。時間の問題だったのよ。遅かれ早かれ、剣の力に頼らざるを得なくなった」
己の無力さを悔やむ正春とは対称的に、弥生の口調はさばさばとした物だった。
「で、ここからが問題。というか、現代人の私達らしい問題とも言えるわね。二本の剣は長い年月を経て力を取り戻しつつあった。けれども『箒星』が巻き起こす災厄を相手に戦い抜く事が出来るのか不安は残っていた。残念ながら、剣を再鋳造するだけの技術も失われていたから、別の剣を作るという案も無し」
単純に戦力としての不安。過去の戦いでさえ完全に勝利したことは無いのだから、当然だろう。それに、現代において霊や怪異とは、ファンタジー、フィクションの中の物。良くて冷やかしの種に用いられる程度の認識だ。そんな現代日本で災厄が振りかかれば――冬馬が通っていた中学校のような事が全国各地で起きるようなことがあれば。それこそ、国が一つ滅亡する位の恐慌状態になることは想像に難くは無かった。
「でね。それでも『剣』は必要だということになって、霊力を回復するための眠りについていた破敵剣と護身剣を復活させようとしたのだけれど……、どういうわけか、その身に剣を宿した二人の赤子が生まれてしまったのよ」
「これはボクの推論に過ぎないけど、霊力を回復させるのに余力の全てを回した結果、人間としての姿を一度リセットし、再度構築したのではないかと思う」
「……成程、全然わからん」
正春の補足説明にすかさず容赦の無い自分の理解度をぶつける。明らかに肩を落とした正春を置いて、弥生は構わず話し続ける。
「ここでさっき言った現代人の私達らしい問題が生まれてくるの。まぁ、倫理的な観点からの問題よ。魑魅魍魎と戦わせる運命が待ち受けていると知って尚、赤子を我が子のように育てられるかどうかってこと」
日向は正春を見た。どんな顔をしているのかは自分でも分からない。正春の顔は複雑過ぎて、気持ちが読めなかった。きっと色々な感情が渦巻いているのだろう。伊達に十五年も一緒にはいない。ふと菊里の方を見る。菊里はいつもおっとりとしていて、どこかズレた感性の持ち主だが、いざという時はとても頼りになる姉だった。その姉が今まで一度も見た事が無いくらいに暗い表情だった。
「土御門は破敵剣を預かり『日向』と名付け、幸徳井家は護身剣を預かり『星月夜』と名付けた。けれどこの二つの家は『剣』の育児方針で真っ向から対立したのよ――すなわち、」と弥生は正春に鋭い視線を向けた。気弱な父はびくっと体を震わせ縮こまった。
「『剣』の事実を全て我が子に話した上で育て、その身の刃を研ぎ澄ませるのか。それとも黙ったまま――まるで普通の人間の子のように育てる、か」
――そうか。と日向は合点がいった。星月夜は恐らく、幼い頃から聞かされてきたのだろう、己の使命について。彼女の頑迷なまでの真面目さはその結果かもしれない。尤も、星月夜から見たら日向は自由奔放過ぎるいい加減な奴に見えていることだろうが。
「不幸なことに、」と弥生は続ける。
「どういうわけか星月夜は眠りに着く前の記憶を持っていたのに対し、日向君は前の記憶は一切無しと来たものだから、話は余計にややこしくなったのよ」
「……」
正春は黙ったままだ。弥生はそれをいいことに喋り続ける。
「分かってはいるわ。えぇ、勿論。これが残酷な事だということは。けれど、来る災厄に向けて日々鍛錬を積んだうちの星月夜、何も知らずに今日を迎えた日向君。さて、どちらが正解だったとあなたは思う?」
「ボクは……」
正春はぐっと拳を握り締め目頭には涙さえ浮かべていた。弥生が話すのを止めたが、それでも何も言えないでいる。
「……はぁっ」
あからさまな溜息。それは弥生の物ではない。
「呆れたもんだぜ、親父よ」
日向が声を上げる。隣で星月夜が息を呑み慌てて腕を引っ張った。が、その腕を振り解き、より一層声を荒げる。
「なんで、なんで黙ってんだよ……黙ってちゃわからねぇだろうがよ! 説明ばっかしてないで、最初の質問! ちゃんと答えろよ!!」
「……怒っているか? ボクが黙っていたことに」
正春はついには視線も合わせられなくなり顔を逸らす。構わず、日向は立ち上がり、父親の席の前まで移動した。
「あぁ、怒っている。けど、黙っていたことじゃない。親父のおかげで、俺はヤバい運命だとか使命みたいなのを背負わずにここまで成長してこられたんだ」
――なのに。
「なんで、それをアンタは誇らしく思えないんだよ。悩んで悩んで、それで決断したんじゃないのかよ! どんな思いで、どんな気持ちで俺を育ててくれたのか、教えてくれよ! それとも何か、後ろめたい事でもあるのか! だったらその後ろめたい事も全部話してくれよ! そんなことも分からないまま、『箒星』だか『掃き箒』だか訳の分かんないものと戦うなんてごめんだぜ、俺はっ!!」
肺の中の空気を全て使い切ったかと思う程に罵った。みっともない乾いた咳が漏れる。不思議だ。話を聞く限り、日向と星月夜は『剣』道具に過ぎず、この体は霊力で象られたに過ぎない物の筈なのに。
「俺はっ……道具じゃない。一人の人間だ。そして、この土御門家の息子だ! その息子として、俺は――聞く権利があるはずだ。親父――いや、父さんの気持ちを」
――違うかっ? と息も切れ切れに告げる。
そんな彼の前で、正春はそっと顔を上げた。そして、
「この大馬鹿息子」
小さく拳骨を落とした。
「はっ? 痛ぇえええ!?」
訳も分からず頭を押さえ、日向は後退った。周りは突然の正春の行動に呆気に取られている。特に星月夜は口も目も開けっぱなしの実に面白い表情をしている。
「全く、親の気も知らないで。勉強はしない、勉強以外の事は熱中はするが飽きっぽい、ボクのパソコン勝手に使ってわけわかんないゲームの配信実況とかしだすわ、本当にもう、男手一つで育てるのどれだけ大変か、分かるかい、日向!」
「え……え、あ、はい」
捻りが無くなった蛇口のように堰を切って喋り出す父親に若干引きながらも、日向はその言葉の一つ一つを受け止める。が、負けじと菊里も喋り出す。
「ストップ、お父さん。あなただって仕事の度に、変な幽霊連れて帰ってきて――あ、レイちゃんはホント可愛いですけど――それに、詐欺師だと疑われたことだって一度や二度じゃないじゃないですし、本当、私達姉弟は苦労してきたんですからね!!」
――え、何この状況は。
日向は目を白黒させ、いつの間にか姉と父の言い争いになってしまったこの状況をただ見守るしかなかった。次第に、自分が聞きたかったことがどうでもよくなるとまでは言わないが、聞こうと思っていた事が馬鹿馬鹿しくなる。
「はいはい、ストップー。家族会議はまた今度にしていただけませんこと?」
パンパンと柏手二つ。弥生が仲裁に入り、ようやく二人は争う(?)のを止めた。
「そ、そうでしたね……つい。えぇっと、それで……なんやかんやをなんで黙っていることに決めたか、だっけ、日向が訊きたいのは」
「いや、もういい……なんとなく分かっていたことだし」
――今のやり取り、最初に正春が投げかけてきた言葉でわかる。
正春は本当の子のように日向を育てるつもりでいたのだ。それがたとえ、魑魅魍魎との戦いを約束づけられた『剣』なのだとしても。
ふと、正春は仏壇に飾られた母の遺影に視線を移した。
「……その時が来るまで話さないでおこう……そう決めたんだ。ボクと母さんとでね」
日向は亡くなった母の顔を覚えていない。どんな声で話しかけてくれたのかさえも。ただ、菊里がいつも写真の前で手を合わせ、正春が線香を上げるのを見て、この家族にとってとても大切な人なのだと、どこか他人のように思っていた。
「あぁ、そうだとも、日向。父さん、親父はそのことを後悔した事は一度も無い。けれど、お前にこうして話すのは勇気が必要だった。これが正解だったかと今こうして問われて揺らいでしまった。それは事実だよ……だが、そうだな。お前の言う通りだ。誰がなんと言おうが、これだけは伝えなくては」
そう言って日向の肩に両手を置いた。細くてあまり頼りがいがあると思った事の無いその手が、今はとても男らしく無条件で安心出来る心強さを感じることが出来た。
「お前は私達の家族だ」
陰陽之双剣 @shunshunfives
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