二十二 明かされる真実
あの悪戯天狗達の言う通り、家に戻るまでの間、一切の人気は無く、誰と出くわすこともなかった。鍵も持たずに出たので、インターフォンを押す他に無い。日向はすーっと深呼吸。その行為の意味が分からず、星月夜は横で口を半開きにして震えている。
『はい……って、日向じゃないかっ、無事だったか?』
正春の声だ。驚きと心底ホッとしたという声。やさしさの滲む父親の声。
その声に日向はつい安堵してしまいそうになる。だが、ここは心を鬼にする。
「それは……どういう意味?」
星月夜が横でびくっと跳ねる。一切の感情を押し殺した厳しい目でインターフォンのカメラを見つめる。インターフォン越しに正春が息を呑むのが伝わってくる。緊張の糸がぴんと張られる。
「ほーら、とにかく入りなさい。話はそれから。二人とも疲れたでしょ?」
タイミング良く菊理(くくり)が扉を開け、二人を手招きした。肩をすくめ、日向と星月夜は家の中へと入る。家の中は変わらず霊だらけだ。――けれども。居間に向かう菊里の背中を黙って追いつつ、日向は、当たり前のように過ごしてきたこの家がそれまでと少し違う空間になったことに戸惑う。いや、正確にはこの家が変わったのではない。日向は元々霊感が強い方だが、幽=霊と戦って剣の力を解放してからはより一層強く彼らの存在を感じることが出来るようになっていた。
レイちゃんは二階に、ユウコさんは居間、そして今朝、正春が拾ってきた幽霊は庭にいるのが感知できる。
「おかえり、二人とも」
正春がテーブルの席に着いていた。その横には見知らぬ女性が座っている。横で星月夜が驚いて丸い瞳を見開いた。
「お母さま!? い、いつから、こちらに?」
「着いたのは先程。あなたが心配で心配でね?」
芯のある透き通った声で、星月夜の母は答えた。美しい女性だ。だが、決して若すぎる印象を与えない。例えるなら磨き抜かれた水晶玉とでも言おうか。
細面に整った目鼻立ち、薄化粧は粉雪のようにほんのりと肌に馴染んでいる。長い髪は一本の毛の乱れも無く、頭の後ろで毬のように纏められていた。今日初めて着たと言われても違和感が無いくらいに埃一つない清楚な巫女装束。
若い女性が見せるような発情を誘うような色香ではなく、落ち着いた大人の情感溢れる雰囲気を纏っている。
「はじめまして、日向さん。私は幸徳井(かでい)弥生(やよい)と申します。星月夜の母です」
「あ、えぇっと、ど、ど、どうも、土御門日向と言います……」
突然の星月夜の母の登場に、日向はしどろもどろに挨拶を返した。正春は恥ずかしそうに笑って、そんな愚息のフォローに回る。
「いやぁ、すみません、弥生さん。うちの息子は人見知りが激しくてですね」
「親父ぃ……」
へらへらと笑っている父親をじとっと睨みつける日向。その横で星月夜が「落ち着いてください!」と腕を引っ張る。その様子を目敏く目を付けた弥生がふふっと笑う。
「な、なんですか、お母様」
「いいえ、なんでもないわ。今はお二人ののろけ話なんかよりも、大事な話があるのでしょう?」
口元を袖で隠して上品に笑う弥生に、日向と星月夜の二人は断固抗議したかったが、今はそれどころではないのも確かだ。
――ほんと、大人って狡いな。
「聞きたいことだらけなんだけど……何から聞いたもんかな、親父」
「その様子だと大体の事は星月夜さんから聞いたんだね。それに、その剣」
日向はテーブルの上に静かに剣を置いた。破敵剣とかいう代物だ。
「俺と星月夜が人間じゃなくて、この世ならざる物と戦う為の……剣?だってことまでは聞いた。けど、それ以上のことは星月夜に訊いても、『思い出さないのか?』って聞いてくるばかりで、教えてくれなかった」
横に座った星月夜が俯いている。日向は心苦しかったが、話を続けた。「箒星」の事、その後に幽=霊と戦い、咄嗟に剣を抜いたこと。
「――と、以上がこれまでの経緯。それで俺が訊きたいのは二つだ」
日向の質問に、正春は眼鏡の位置を意味も無く直す。弥生は何を考えているか分からないどこか達観したような表情。そして、星月夜は……見るまでも無い。
「ひとつは、なんで今まで黙っていたのか。ふたつめ、俺と星月夜はどうやって生まれたのか。そもそも剣とはなんなのか……ごめん3つだわ。その3つについて聞きたい」
一通り質問し終えたそのタイミングを見計らったかのように、菊里がお茶の入った湯呑みを皆に配った。正春はひとまず湯呑みに手を伸ばしたものの、お茶を飲むことなく、水面を見つめている。
「本当に、その3つだけでいいのか?」
正春の問いに日向は「あぁ」と答えた。本当はもっと色々な事を聞きたい。例えば、どういう気持ちで自分を育てたのか、とか。だが、それは答えを聞くのが怖い気もした。
「ふぅ、ならば、2つ目と3つ目の質問から答えよう。いいか?」
「答えてくれれば、順番は別に気にしない」
正春は「わかった」と頷き、話し始める。
「日向が抜いたその剣、破敵剣は元々はこの日本には無かったものだ。かつて百済の王から当時の日本――倭国へと送られたものだ」
百済……名前くらいは歴史の教科書で読んだことがあると、日向はテスト前に詰め込んだ知識を引っ張り出そうとする。確か4世紀の朝鮮半島にあった国の一つだった……筈。
「百済国は倭国と仲のいい国だった。国の滅亡の危機に際して、互いに助け合うくらいにはね」
滅亡――そのワードが、星月夜が語っていた箒星の話と重なる。
「もしかして、その破敵剣って、ただの献上物じゃなかった?」
「鋭いね、日向。そう、当時の倭国はこの世ならざる物と戦っていた。空には箒星が現れ、地には魑魅魍魎が跋扈していた……まるで妖怪絵巻の地獄絵図さ」
正春の言葉を日向はにわかには信じられなかった。
「いや、でもちょっと待て、そんな歴史聞いたことないぞ」
「そりゃあそうよ、だって普通の人間には見えないんだもの。妖怪、物の怪、悪霊――ま、呼び方はこの際どうでもいいけど……そんな怪物が引き起こす事件なんて傍目から見たら怪奇現象、不審死にしか見えないのよ。目に見えない事件なんて伝聞しようがないわ」
日向の疑問を弥生はばっさりと切り捨てた。確かに、冬馬の通っていた中学校の話を思い出せば、そのくらいは想像のつく話だった。相次ぐ不審な死は、原因が解明されないまま、学校だけが閉鎖された。
「とはいえ、それでも、霊が見える人間達はどうにかして魑魅魍魎に対抗しなければ、国が亡ぶと考えたんだろうね。だが、倭国には奴らに対抗できるだけの呪術的な技術の発展が遅れていた。正確に言えば、一部の高貴な巫子にしか伝わっていなかったというべきかな」
中々、信じがたい話だ。日向が霊感など一切無い人間だったらどこのラノベの設定だと、笑い飛ばしていただろう。だが、歴史的な経緯が加わると、不思議と現実味を帯びた話になってくる。正春は話し続ける。
「破敵剣を手にした将軍は多くの物の怪、悪霊共の首を刎ね、消滅させ、この国に平和をもたらし、箒星はいつしか消え去ったとされている。ここが面白い点だ。人間側は魑魅魍魎を倒しはしたけれど、その元凶たる箒星を消し去るまでには至らなかったんだ」
正春が話に夢中になる中、日向は首を傾げる。
「なぁ、1ついいか? その話を聞く限りだと、剣はすごい力を秘めていたようだが、その……なんていうんだ。あくまで『物』だよな」
その問いに正春は頷く。
「あぁ……。ここからだよ、話は。破敵剣はその後、数百年の間、将軍の節刀に用いられたとされている。多くの人間の想いを受けた剣は、その強力な霊力を元にいつしか人格を持つようになり、……人間の体を象るようになったという」
正春はそこで話を止めた。日向がこの話をどう受け止めるのか、探るような目。対して、日向はドライだ。
「……それが俺ってこと?」
少しずつだが、星月夜の言う「思い出さないのか?」という言葉がどういう意味なのか、繋がってくる。だが、まだ話は途中だ。
「そうとも言える、が、そうではない。破敵剣は一度、火事によって消失したとされている。だが、事実は少し違う――消失したその年、再び箒星が現れたのだ。多くの戦いを経て霊力の刃は擦り減り、力は身の錆と共に衰えていた破敵剣は、魑魅魍魎との戦いに敗れた」
「まぁ、つまり一度死んだのよ、破敵剣。その体も燃やされて跡形もなく消し去られたの」
曖昧な正春の言い方を補足するように弥生は付け足す。しかし、だとすれば今目の前にあるこの剣はなんなのか。
「さて、ここでようやく我がご先祖様と繋がるわけだが……、この剣が喪われた時代というのが、そう、我らが偉大なるご先祖様、安部(あべの)晴明(せいめい)そして、幸徳井家のご先祖様、賀茂(かもの)保憲(やすのり)がおられた時代だったというわけさ」
土御門家は安部晴明の子孫が残した家の一つ。加茂保憲は晴明の知名度に押されて影が薄いが優秀な陰陽師で、彼の父忠行は晴明の師匠だったと言われる人だ。
――親父に耳にタコができるくらい聞いた話。
興味の無い話でも何十回と聞かされれば、頭に入るものなのだなと思っていたが、それが今になって繋がるとは思いもよらなかった。
「この二人の陰陽師は破敵剣の仕組みを調べていてね。破敵剣が喪われてからすぐ、自分達の手で再鋳造することに成功した――それが日向、お前だ」
星月夜に「人間ではない」と言われた時と同じ冷たさが背筋を襲った。ぎりっと湯呑みを握った手に力が入る。次に正春が口を開いたら思わず投げつけてしまいそうな位に。
「怒っていい。ボクはそれを受け入れるつもりで話したんだからね」
全てを覚悟した正春の顔。それが尚の事、日向の怒りを増幅させる。だが、それをどうにか抑えて、話を促した。
「それで……、戦いはどうなったんだよ」
「晴明と保憲の作った破敵剣は多くの人間の想いが込められていた。破敵剣に守られた人々、破敵剣と言葉を交わした人々、破敵剣と共に戦った人々……そう多くの人々の想いがね。だからか、作られてから間もなく破敵剣には人格が存在し、人間としての体を持っていた」
「……でも、その記憶は俺には無い」
――もしかして、こいつにはその時の記憶があるのか?
星月夜の方をちらっと見る。彼女は悲し気な表情でテーブルを見つめていた。
――分からない。
日向にはどうしたらいいか分からない。どんな言葉を星月夜に投げかけたらいいのかも、自分という存在をどう受け止めたらいいのかも。
「まぁ、最後まで聞きなさい。……破敵剣には対となる剣が存在する。その歴史は破敵剣と同じ。百済から渡り、同じ時期に消失し、二人の陰陽師の手で鋳造された。それが護身剣――星月夜ちゃんだ」
こくりと星月夜は頷いた。その時の記憶が彼女には存在するのか。まさか、その時代から現代まで生き続けていたとでも言うのだろうか。
「ここで、お前は疑問に思うだろう。同じ時期に……生まれたお前達でどうして記憶に差があるのか、と」
――この先の話は文献にその出来事の断片すら載っていない、土御門と幸徳井の二つの家に口伝で継承されてきた話だ、と正春は言った。
「生まれたばかりの破敵剣と護身剣は互いを兄妹のように慕っていた。そして、その力は先代の二本の剣を大きく上回るものだったという」
いつの間にか、正春からいつもの優し気な父親としての顔が消えていた。伝承を継承する術師の目。どこか機械的で淡々と事実を口から出していく。何者かに操られているのではないかと錯覚する程に人が変わっていた。
「――だが、二本の剣には致命的な欠陥があった。二本は互いを思いやるがあまり、使命よりも互いの命を優先させてしまったのだ。戦いの最中、護身剣を庇った破敵剣は重傷を負い、護身剣もまた破敵剣を生かすべく、自らの霊力を分け与えた」
「それで、どうなったんだ?」
正春のその先の話を日向は促した。だが。
「あなたの傷は……思った以上に深かった。この世界に留まれない程に」
その先を答えたのは星月夜だった。
「それでも、私は諦めませんでした。自分の身が消滅してもいい。あなたが生きてくれるなら、と。……結果、私達は剣としての形こそ残ったものの、殆どの霊力を失うことになりました。特にあなたは……、消滅こそ免れましたが、この世に残るだけの霊力しか残っていなかったのです……!」
胸をぐっと抑え、呼吸をするのさえも苦しそうに、目をぎゅっと瞑る星月夜の肩をそっと菊里が抱いた。日向は掛けるべき言葉が思いつかなかった。
「星月夜ちゃん、無理しなくていい。ここはボクから話そう」
「いいえ……、当事者である私が話すべきです」
いたたまれなくなったのだろう、正春はそう言ったが、星月夜は聞かなかった。
「私達が力を失ってからしばらくして……、『箒星』は消えました。そこから私達は長い長い眠りについたのです」
「長いっていつまで……? その間、『箒星』は来なかったのか?」
ここまで聞かされてもやはり日向の記憶は今まで通りだ。けれど、自分の父親や姉の存在がどこか遠くの物に感じる。血の繋がりのない人間だった――いや、そもそも、人間と人間との繋がりですら無いのだという事実がじわりじわりと日向の頭を侵食する。
――けど、と日向は震えそうになる自分を抑制する。
話は更に続く。
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