二十一 風鈴
「やーだもう、見せつけてくれるじゃない!」
「きゃー! きゃー!」
「……」
星月夜を背負い、半歩と行かないうちに、耳にキンキン響く黄色い歓声が二人分上がった。木の枝の上を高下駄で器用にステップを踏む二人の少女、或いは二羽の烏と表現すればいいだろうか。その二つの人影は小鳥ほどの大きさで、彼女達が踊る度に黒い羽が舞い上がる。
ついさっき怪物を見た日向だが、それでも目の前の光景に思考が追い付いていなかった。幽霊……ではないだろう。どちらかといえば、妖怪の類だ。
全長十センチ程の少女。鈴懸に結袈裟、脚絆という修験者のような風貌で、顔の横には鳥を象ったと思われる面を付け、手には烏羽で編まれた扇を握っていた。一方は長い黒髪をひとつに纏めて流しており、もう一方は頭の両側で二つに縛って流している――要はポニーテールとツインテールだ。
「あっれれー? 見られちゃって恥ずかしがってるー?」
「きゃー! きゃー!」
二人の背中には漆黒の翼が生えていた。ポニーテールの方が揶揄い、ツインテールが奇声を上げている。ひとまず敵意があるわけではないようで、ただただ姦しく鳴いている。
――天狗?
ふと思い出したように下へ視線を移すと、星月夜のすらりとした裸足が覗いていた。下駄を履いていない。
「お前達、星月夜の下駄か?」
ほぼ直感的にそう訊ねると、それまで楽しそうに踊っていた二人の動きがぴたっと止まった。
「ほほー、そこに気が付くとは莫迦じゃないみたいだね?」
「ねー、だねー?」
ポニーテールが扇で口元を隠して愉しそうに笑う。ツインテールが遅れて幼子のようにポニーテールの動きを真似る。双子なのかと思ったが、どうやらポニーテールの方が姉なのかもしれない。
二人は日向のすぐ傍まで飛んできた。
「私達は」ポニーテールが出した右手に、
「式神」左手で、ツインテールが応える。
「「烏天狗が一族、風(ふう)鈴(りん)」」
二人は互いに体を密着させ、その声は重なり、滑らかで一人分の名乗りとなった。
「……ポニテが風で、ツインテが鈴ね。了解」
日向の反応は薄かった。風ががくっとこけて、鈴が続けて同じ動きでこける。
「えー! ちょっ、反応薄くない!? 根暗くなくなくない!?」
「ねくらーねくらー」
「根暗言うな! というか、なんだその女子高生みたいなノリは!」
小さな体で天狗の姉妹は、きゃーきゃー声をあげて日向を非難した。一昔前のギャル女子高生みたいなノリで、今にも「ぶっちゃけありえなーい」とか言い出しそうである。
「で、その式神さんが何の用だ? 幽=霊と戦っていた時は何の手助けもしてくれなかった式神さんが」
「むきー、むかつく! せーっかく今から助けてあげようと思ったのに」
「のにねー」
ぷんすかという擬音語が聞こえてきそうな怒り方に、気が抜けそうになる。もう少しからかいたい気持ちもあったが、一向に話が進まないので、日向は投げやりながらも訊ねた。
「あー、はいはい、それで、何してくれんの?」
「むむぅ、烏天狗様にタメとかすげぇムカつくのですが、まぁいいでしょう。あなた達を今から家に着くまでの間、隠します」
「かくしますます」
――隠す?
それって一体どういうことだと聞こうとした瞬間、周囲に小さな竜巻がいくつも発生した。日向と星月夜たちを囲うようにして現れたそれを指さして風が言う。
「あの風(かぜ)はいわば、この世界の流れ。運気とでも言いましょうか。そいつをちょいといじったのです。ここからあなた達は家に着くまでの間、だーれにも会うことなく、目に留まる事もなく、家に辿り着くことができるでしょう」
「おまえたち、隠された」
視覚的に見えなくさせるのではなく、そもそも誰かと会うことが無くなる術であるらしい。運気をいじったと言っていたが、それはつまり、誰かと出会う運を0にしたという解釈でいいのだろうか。
「どう? 戦いじゃ役に立たなかったけど、今ちょー役に立っているでしょー?」
「でしょー? かんしゃ」
「はいはい、助かったよ……」
妙に恩着せがましいが、確かに今のこの状況、靴も履かずに飛び出し、星月夜は気を失っている状況、術で二人が人目につかないようにしてくれるなら大助かりだ。
「うんうん、もっと感謝しなさ……は⁉」
「怖気……」
「いっ!?」
ほんの一瞬の出来事だった。それまで気絶していたはずの星月夜がゆらりと立ち上がる。壊れた和人形のように小首を傾げ、彼女は口を開いた。
「そもそも……、あなた達がちゃんと私の言う事聞いてくれるいい子達だったら、こんなところにはいなかったんですけどねー」
逃げる風と鈴を星月夜は秒速で捕まえる。まるで羽虫でも捕まえるかのような動き。二人の烏天狗はがくがくと恐怖に慄いた。
「二人とも、帰ったらおしおきですからね?」
「はぁい……」
「……はいはいはいはい」
二人はそう言うと下駄に化けた。それを星月夜は踏みつけるように履いた。
「えぇ、こほん……お見苦しいところをお見せしました」
「……いや、俺はただただ、お前が怖かったんだけど……なに、どうしたの?」
さっきまでの日本人形みたいなホラー展開はどこへやら、星月夜のしおらしい態度に、日向はただただ不気味がった。
「いえ、そもそも、こんな山奥に飛ばしたのはこの二人のせいなんです」
二人の烏天狗は幸徳井(かでい)家に代々仕える双子の式神なのだそうだ。普段は二足の高下駄かもしくは霊符に化けているのだそうだ。この双子、色恋沙汰に目が無いらしく、星月夜と日向が屋根の上で何やら話を始めた事に(色恋沙汰などは少なくとも、日向は全く意識していなかったと思うが)興奮し、ついつい暴走してしまったそうだ。
術者である星月夜の制止も聞かず、こんな山奥へと飛ばしてしまったのだそうだ。
「……成程、つまり、式神を制御出来なかった星月夜が悪いと」
「はぁ!? な、なんで、そんな結論に達するんですか!?」
雪のように白い顔が、沸騰寸前のやかんのように真っ赤になるその様に日向は吹き出してしまった。が、これ以上からかうとどんな「おそろしいのろい」を掛けられるか分かったものではないので、「ごめんごめん」と謝る。
むうと頬を膨らませていた星月夜だったが、日向の手に握られている懐剣を見て、気まずそうに目を逸らした。
「……その、さっきはごめんなさい」
「いいよ。俺がとどめを刺せなかったのが悪いんだから」
そんなつもりは無かったのだが、ぶっきらぼうな言い方になった。星月夜がぐっと腕を引っ張る。その手は震えていた。
「違う……。さっきのは私の八つ当たりだったんです。あなたの手を汚さずに……自分一人であいつを倒すつもりだったのに……、記憶が戻らないあなたを見て……この世界でやっと掴んだ幸せを見て……それを壊したくないと思ったから、……それなのに」
日向はそっと腕を握り返そうとする。が、星月夜の腕は危険を察知した小動物のように引っ込んでしまった。
「俺には……星月夜の言う記憶がなんなのかわからない。それに、その記憶を思い出したら俺が今まで生きてきた記憶が無くなるんじゃないかと思うとやっぱ怖い」
――けど、と恐怖をかき消す声音で。
「それ以上にお前を独りで苦しませたくない」
「どうしてですか……? 私達、出会ってまだ一日も経ってないのに、なんでそんな……」
「……たった一日で物凄いイベント尽くしだったけどな」
そうか、まだ一日も経ってないのかと、日向はなんだか妙な気分になりつつ、星月夜の疑問に答える。
「なんでって言われてもなぁ。まぁ、キスもした仲だし?」
「ばかっ!!」
「うん、ごめん、今のは俺が悪かった」
星月夜の渾身の叫びに日向は即座に謝った。星月夜の足元で下駄がカタカタと震えるのを「うっさい!」と星月夜はげしっと地面を踏みつける。
「真面目な話……、俺にもよくわからないんだよ。けど、なんだろうな。放っておけないんだよ、お前。危なっかしいし」
「む、むぅ」
納得の行かない回答だったらしく、星月夜はむくれた。
――分かっていると、日向は心の中で呟いた。これは照れ隠し。今日一日星月夜と一緒に過ごし本当の事を言えばとても楽しかった。けれど、その裏で彼女は一人、焦燥を抱えていたのだ。それなのに日向は彼女の言葉をまともに取り合おうとしなかった。最初から彼女の言葉に耳を傾けていれば、幽=霊との戦いもさっさと片が付いていたのかもしれない。そのことを後悔しても遅い。だから。
「お前が言っていた話、本当だったんだな。疑って悪かったよ」
「……やっぱり怖い、ですよね」
歩きながら、星月夜はそう訊ねた。日向は戸惑う。化け物と戦う事が使命の剣――本当に自分がそんな大層な「物」なのだとしたら、何故、自分は今日までのうのうと生きて来られたのだろうか。父は……正春は何故、何も教えてくれなかったのか。
「帰ったら親父と姉ちゃんに問いつめないと……」
「そ、その、あまりお二人を責めないでください……ね?」
星月夜が不安そうに諫める。つい一時間程前、剣について明かす時も彼女は「家族を恨まないでください」と言っていた。
だが、その忠告はなんというか、ズレている。はっきり言ってしまうと的外れだ。
「さっきも言ったけど、恨むつもりはねぇって」
「どうして……?」
星月夜はそう言って小首を傾げた。それを聞いて、日向はある確信に至る。だから、日向はにやっと笑ってみせる。
「おう、じゃあこれから家に帰ってから俺が何するか見てるといいぜ」
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