二十、同窓会のお誘い

 鬼。


「窓から飛び降りて死んだあの時。私は食べられてしまったの」


 あの時、佳乃の魂は鬼に喰われたのだという。


「とっても美味しかったそうよ。私、あの時は『愛』を忘れてただただこの世界の全てを憎しみながら死んだから。鬼はね、憎しみとか恨みとか、負の感情が大好物だから」


 ぶつぶつと、佳乃は感情の落ちた抜け殻のように呟く。


「私は鬼と一つになったの。このままあの世に行くなんてできない。分からせる。私なんか消えればいいと思っていた人間、何もしなかった人間、全員に死ぬ程理解させてみせる。『愛』とは何か。『愛』を失った人間がどうなるかも――そして喰らってやるぞ。肉を貪り、血を啜り、骨を噛み砕いて、魂の一片まで喰らい尽くしてやろうぞ!!」


 佳乃の独白に鬼の咆哮が混じる。揺らめく影のオーラ、押し寄せる憎悪に冬馬は吐き気を催していた。恐怖も勿論あった。だが、それ以上に後悔――彼女が自殺を図るまでの間に、何一つ出来なかった当時の自分への怒り。


 あの時。佳乃が死んでから、ずっと自分を責め続けた。ずっと恨まれていると思っていた。


 忘れろと言われて、忘れられる筈が無い。


「行方不明になった人達はね、みーんな鬼に“隠されて”しまったの。この世の住人ではなくなり、私達の側の存在となったの」


 部屋の至る所から、微かだが声が聞こえた。蚊の鳴くような細く小さな声だ。


「そして、これから更に多くの人を巻き込むつもりか? 一体そんなことをして何になるんだ!!」


 だが……。佳乃がこうさせた奴らがいる。人を傷つけて、その痛みを知らなかったふりをして生きていた連中が。これは、その報いだと思えないこともなかった。


そんなふうに思う自分を否定するように冬馬は握った拳を震わせる。自分がもっと佳乃のことを助けられていたら、力になれていたら、そんなことを思うのは思い上がりなのかもしれない。

 

 復讐なんてしたところで、過去が変わるわけでもない。だが、今の冬馬には佳乃を止める力は無い。既に何人も佳乃の手で殺されてしまっているのだ。


「そう。だからこれは自己満足、いえ、大いなる自己愛なの。達成することで、皆に否定され、殺された私自身を取り戻すことができるの。今の私は私であって私ではないの。あなたの知る佳乃はここにはいない。私は幽(ユ)=霊(リン)――佳乃の感情の成れの果てが生み出した化け物」


自分を否定された、尊厳を傷つけられた、その事実、そして彼女が抱いた憎悪は、たとえ彼女の肉体が滅びようとも消えないこの世に残された爪痕なのだろう。


 改めて佳乃は生きていない……ここにあるのは彼女の憎悪だけなのだ。その事実を突きつけられて冬馬の心臓は絶望に凍て付いた。きっと彼女を止める事は出来ない。それは両者の間にある圧倒的な力の差のせいではない。彼女を引き止めるだけの説得力も、彼女を人間の側に引き戻すだけの魅力も、彼には無い。所詮、冬馬は彼女の傍にいただけのただの友達に過ぎなかったのだ。


「……けど、だったら昼間のあれはなんだったんだ。俺達を襲ってきたのは」


 冬馬の疑問に、佳乃――否、幽=霊はきょとんとして答える。


「あなたの事は襲ってないでしょう? あなたに会いたくて会いたくてたまらなくて、探していたら、偶々、あの二人が一緒にいたのよ」


「……あの二人を襲った理由」


 付け加えると、幽=霊は「んー?」と、なんでそんなことを聞いたのか意味が分からないというように首を傾げる。


「そうねぇ。まず、あの男の子。忌々しい陰陽師と同じ匂いがした」


 日向の父、正春の事だろう。幽=霊を一度は鎮め、そして冬馬の身体から祓い除けた陰陽師。そして彼の息子である土御門日向もまた強い霊感を持っている。


「そしてもう一人の子。あいつはとても危険だって、私の中の鬼達が騒いでいるのよ。『あれを殺さなくては』てね。実際戦ってみて分かったわぁ。あの子、すごく強い。きっと私を跡形もなく祓ってしまうくらいには。そして、私の『愛』を完成させる前に邪魔しにくる。だから先に殺してしまうべきだと思ったの。でも、今は逆。あの子に滅されるよりも先に私の『愛』を達成してしまおう。そう思って、ね。だから、あなたにも協力してもらおうと思ってここに呼んだの」


 彼女の目には冬馬が映っているようで映っていない。彼女の中に残っているのは業火の如く燃える復讐心だけ。断れば彼女は自分の事も殺すのだろうかと、冬馬は冷めた心で考える。それもいいかもしれない……とも。


 ――けど。


「分かった。だけど、殺しそのものには協力はできない。それに、前みたいに俺にとり憑くのも駄目だ」


 何が分かったとは言わない。条件も多い。下手をすればこの場で殺されてしまうかもしれないだろう。だが、冬馬はそうは思わなかった。根拠はないものの、彼女がここで冬馬を殺すことはない。そんな気がしたのだ。わざわざこんなところに呼び出しはしたが、端から復讐の手伝いをして貰える等と期待なんてしていなかったはずだ。


「会いたくてたまらなかった」と、彼女はどさくさに紛れてだが、はっきりそう言っていた。自殺そして鬼に魂を食われた結果、彼女はどうしようもなく歪んでしまったかもしれないが、まだ「佳乃」としての気持ちは生きていると冬馬は信じていたかった。


「うん、それでいいのよ! 私の復讐に冬馬君自身の手を汚させるわけにはいかないもの」


 幽=霊は屈託ない笑みを浮かべて、冬馬の要求を呑んだ。冬馬は更に言いかけた言葉を飲み込む。代わりにこう尋ねた。


「俺は何をすればいい」


 パソコンの画面がふと切り替わる。


『光陽中学校――同窓会のおしらせ』


 同窓会の内容がつらつらとワードソフトによって簡潔に書かれている。主催者の部分が空白となっていた。冬馬は何をすればいいのか理解した。


幽=霊の微笑みが画面に薄っすらと映り込む。


「同窓会。開こうと思うから、取りまとめて欲しいのよ」


 手紙の最後に何気なく載せられたURL。幽=霊が作った『女王様の教室』のURLだ。画面上でまた再び、画面が切り替わる。『女王様の教室』に同窓会という項目が付け加えられる。その項目がクリックされる。


 先程のクラスの名簿が映し出される。出欠席が分かるように欄が設けられており、出席を押した場合は〇、欠席の場合は×となるらしい


失踪したメンバーの欄には既に〇と付けられていた。


『杉本さんが入室しました』


 続けて中学時代の同級生の名が画面に表示される。


『大橋さんが入室しました』

『佐藤さんが入室しました』

『川畑さんが入室しました』

『吉田さんが入室しました』

『鈴木さんが入室しました』


 入室しました。入室しました。入室しました。入室しました入室入室入室――。


クラスメイト達の名が、失踪した同級生以外の欄に次々と〇が付けられていく。雪崩れるような勢い。無音のパニックとでも言おうか。その光景は異様だった。


「あぁ、ネットの弊害ね。みーんな、呼びかけとかには応じてくれるんだけど、何考えているかぜーんぜん分からないの、だからね……手紙で送って欲しいのよ。皆からのお返事、ちゃんと確認してね?」


 ガタガタと、部屋の奥に設置されていた印刷機が勝手に動きだし、手紙が刷られていく。一枚、一枚刷られていく死へ誘う手紙……それを冬馬はただただ眺めている事しかできなかった。


「……皆、ちゃんと来るといいなぁ」

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