第6話  「鍵の行方」

六 「鍵の行方」

 翌七月三十一日の午後、ホームズと私はサヴォイホテルを訪問した。フロントを通さず、直接3016号室に直行した。ノッカーを叩くとすぐに西郷少尉が現れて、部屋に迎え入れられた。中には2人、平服姿の若い日本人が居て、立ち上がって我々を迎えてくれた。西郷少尉が、宮内省の楠式部官と公使館の新田書記生と紹介した。挨拶が済むとホームズはすぐに話を切り出した。

「本日は、前回お話を聞けなかった方々に、当時の状況をお聞きしようと思って参りました。クスノキさんは、七月九日から十三日の間ずっとホテルに滞在されていたのですね?」

「はい、ここにいる西郷少尉とともに、毎日ホテルに詰めておりました。」

「この間、軍関係者以外、来訪者は誰もいなかったですか?」

「はい、いませんでした。ここにおられる新田さんは、小松宮殿下使節団の郵便物の整理や会計などの事務を公使館から隔日に手伝いに来られている方で、来訪者ではありません。」

「十日にフクシマ少将とシバ中佐がホテルを出発された前後のことですが、お2人はいつ出発されましたか?」

楠式部官は、少し考えていたが、西郷少尉と新田書記生に日本語で話しかけて、しばらく話し合ったのち、

「柴中佐は我々がお見送りする前に、先にお一人で出発なさってしまったので、正確にはわかりませんが、おそらく九時前ではないかと思います。ドーバー行きの急行列車の時刻に合わせて出発されたのだと思います。福島閣下は、宇都宮少佐がお迎えに参られてからすぐに出発されました。我々も玄関までお見送りいたしましたが、時間は十時過ぎでした。ですから、柴中佐は福島閣下より先に出発されているはずなのですが、新田さんは、福島閣下の出発された後、フロントのところで柴中佐を見かけたとおっしゃっているので、首をかしげているところです。」

 ホームズが、新田書記生にそのときのことを話してほしいと頼むと、

「この日は、私がたまたまホテルに参る日でした。九時半過ぎにホテルに着くと、ほどなく福島閣下が表敬訪問に出発されるというので、皆と玄関までお見送りしました。そのあと西郷少尉と楠さんは先に部屋にもどり、私はフロントで使節団宛の郵便物やら請求書やらを受け取って、エレベーターの前で待っていると、向こうの階段から日本人らしい人物が降りてきて、そのまますぐに玄関から出ていかれました。急いでいたらしく、私には気づかれなかったようです。帽子をかぶり私服姿でしたが、おそらく柴中佐でいらっしゃったと思います。」

西郷少尉が首を振って、

「そんなはずはなかとです。お見送りしようと、おいが九時に柴中佐殿の部屋に行ったときにゃ、もう中佐殿はおらんかったですわ。おいはその後、楠はんと二人で閣下の表敬の準備で忙しかったので、そのままになりもうした。」

ホームズは、

「なぜ、シバ中佐は見送りを受けなかったのですか?」

「前の晩、朝早いし、お前は福島閣下の表敬の準備で忙しいじゃろうから、明日は見送りせんでええと言われもうした。」

「ニッタさんは、シバ中佐がこの日の朝早く出発されたことは知っていましたか?」

「いいえ、全く知りませんでした。ですから、このときはとくに気にも止めずにおりました。今お話を聞いて不思議に思っています。」

「間違いなくシバ中佐だったのですね?」

「そう言われると、遠くから後ろ姿を見送っただけで、自信がないのですが、しかし柴中佐は有名な方ですし、公使館でも何度かお見かけして お顔はよく覚えていました。ただ、いつも軍服姿で、私服の中佐を見たのは初めてなので、見間違いだったかもしれません。」

楠式部官が、

「このホテルには、戴冠式の関係で、清国、香港、マニラやら安南等、東洋方面からの客もけっこう来ているので、見間違いだろう。もし、本当に柴中佐だとしたら、福島閣下をお見送りされているはずだ。」

ホームズは、この件は柴中佐が戻られたら、分かることでしょうと言って、今度は西郷少尉に質問し始めた。

「サイゴウ少尉、ホテルの説明によると、使節団の部屋の鍵は、まとめてすべて日本側に渡していたそうですが、日本側のどなたが管理されていたのですか?」

「ええ、軍関係はおいがしちょりました。文官のほうは楠はんがされちょりました。七月三日、小松宮殿下がヨーロッパに行かれた後は、陸軍関係者だけとなりもうしたんで、おいが管理しちょりました。」

「そうすると、今、不在の部屋の鍵は少尉がお持ちなのですね。ちょっと見せていただけませんか?」

西郷少尉は、立って書き物机まで行き、引き出しの中から、鍵束を取りだして来て、ホームズに渡した。

「この鍵は、外出の度に少尉が預かるのですか?」

「ええ、そうなっちょります。みなさん、出てかれるときにおいに渡していかれることになっちょります。」

「ところで、3010と3009の境の扉の鍵はどれですか?」

西郷少尉は、少しあわてて、

「えー、その鍵は、今ここにはありましぇん。柴中佐殿がお持ちで、まだもどってはおりましぇん。」

「そうすると、鍵は3009にまだ置いてあるかもしれませんね?」

「たぶん、そうだと思ちょります。」

「なぜ、シバ中佐がお持ちなのですか?」

「隣の福島閣下の3010号室で、毎日、会議やら打ち合わせやらをされちょるんで、中佐殿が行き来に便利だからとおしゃるんで、お貸し申しちょりました。」

「十日の朝、シバ中佐が出発されたとき、少尉は、部屋に行ったら、中佐はもう出発した後だったと言っておられたが、3009の部屋の鍵はどうなったのですか?」

西郷少尉は、顔を赤くして、

 ええと、鍵はフロントに置いちょかれました。実は、滞在中の外出の時。みなはんはだいたいおいに渡すよりフロントに預けておかれちょりました。」

楠式部官が横から、

「私のところでも、最初に鍵を渡したあとは、各自が管理しておりました。私がやったのは、ホテル側から鍵をまとめて受け取って、部屋割りを決めて鍵を渡したことくらいです。」

私は少し気になって、メモを取るのをやめて、

「ふだんはそれでもよいが、協約書がホテルにある間は、管理が不十分だったのではないかな。フロントに預けても安全とはいえない。いやむしろ、フロントに置いてあるほうが、こっそり鍵を持ち出したり、鍵のコピーをとったりしやすいかもしれない。」

こういうと、西郷少尉の顔はますます赤くなった。楠式部官が、

「ということは、誰かがフロントから3009の鍵を持ち出すか、複製を作るかして部屋に入り、境の扉の鍵を見つけ出して、3010に侵入して書類を盗み出したかもしれないということでしょうか?」

ホームズは、

「そこまで言い切るにはまだ問題があるが、一つの仮説としては成り立つでしょうね。」

西郷少尉の顔は、今度は青くなった。ホームズは、

「3009の鍵は、いつフロントに取りに行ったのですか?」

「確か、福島閣下がお戻りになった十二日だったと覚えちょります。」

私は、案の定だと思って、

「そうすると、まるまる二日間はフロントに預け放しだったわけだ。少し不用心過ぎたのじゃないかな。」

西郷少尉の顔はますます青くなった。楠式部官が、

「しかし、境の扉の鍵が部屋のどこかにあるとしても、犯人がそれを知っているはずがないのですから、この扉から3010に侵入する事は考えにくいのでは。」

ホームズは、

「いや、侵入盗のプロは、これくらいの錠前なら、鍵が無くても開けるのはそう難しくはないはずだ。時間がかかっても部屋の中にいるから見つかる心配はない。安心して錠を開けられますよ。」

今や、西郷少尉の顔は青黒くなって、彼はすっかり元気をなくしていた。ホームズは、西郷少尉をなぐさめるようにして、

「まだ、フロントの鍵が原因と決まったわけでないから、あまり気にしないでください。それにフロントに置いてある鍵が使われたとしたら、これはむしろホテル側の責任といえますよ。ところで、シバ中佐がこちらに戻られる日が分かりましたか?」

「昨日、電報が来ちょって、今晩、お帰りなるようでごわす。」

「早速、お会いしたのですが、どうしたらよいですか。」

「お帰りになりもうしたら、お伝えもうしておきます。明日午前中、福島閣下が公使館で会議をされるんで、皆さんは公使館に行かれることになっちょります。じゃから、明日、直接公使館に連絡されたらどぎゃんですか?」

西郷少尉は、元気なくボソボソと言った。


 聞き取りを終えて、我々は辞去した。日本人たちは、礼儀正しく扉の外まで出てきて、見送ってくれた。私は車の中で、

「サイゴウが隠していたのは、鍵のことだったのだな。」

「そうらしい。鍵の管理がずさんだったのさ。」

「信号みたいに赤くなったり青くなったりして、意外に純朴な男だな。」

と言って私は笑った。

「少し、おどかし過ぎたかもしれないね。」

「鍵がフロントにあったとしたら、やはり、3009からの侵入かな?」

「その可能性は大きいね。」

「ただ、ホテルのフロントには常時、フロント係が居るし、鍵の管理には十分注意しているだろう。やはり、内部に協力者がいたのかな?」

「なんともいえないね。外国の諜報員が関与している場合は、考えられないこともない。この辺は、諜報局に再調査してもらおう。」

「ところで、明日はコロネル・シバに会えるだろうか?」

「一応、明日、公使館のウツノミヤ武官に連絡をとろう。僕は明日、マイクロフトに会いに行って、捜査経過の報告と尾行の件を聞くつもりだ。そのときディオゲネス・クラブの電話を使って、公使館に連絡しようと思う。君も、もし来られるようなら、直接ディオゲネス・クラブに来てくれたまえ。」

「分かった。必ず行くよ。コロネル・シバに会ってみたい。」

馬車の中から何度も後ろを見たが、とくに尾行らしい動きは見られなかった。

「やはり、行きも帰りも尾行らしい車は見られない。ところで、我々の護衛はどこに居るのだろうね。」

「これさ。」

「えっ?」

「この馬車さ。辻馬車に化けているみたいだ。行きも帰りも待っていたみたいに馬車が現れたろう。それと御者も、年中外に居る仕事の割にあまり日焼けしていない。街の走らせ方も、辻馬車みたいに手慣れていないし、極めて慎重だ。彼は辻馬車の御者じゃないね。」

「そうか、じゃ安心だね。」

私は、尻ポケットの6連発のリボルバー(回転式拳銃)に手をやりながら言った。

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シャーロック・ホームズ「知られざる事件簿」『消えた軍事協約書』 惟 在人(タダ アリト) @zuotang

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