• ミステリー

ホームズとワトソン、明治日本の軍人たちとの出会い

 シャーロック・ホームズには、マーク・トウェーンやO・ヘンリーをはじめ世界中の作家によって、さまざまなパロディーやパスティシュがおびただしい数書かれていますが、日本との関わりを正面切って取り上げた作品は、山田風太郎、加納一郎などの少数の作品の他、寡聞にして目にしていません。
 多くのホームズ愛好家やシャーロッキアンの方々をさし置いて、真に大それたこととは思いますが、私は推理小説のスタイルを借りて、二十世紀初頭の日本とシャーロック・ホームズとの出会いというテーマで、ホームズのパスティーシュ物を書いてみたいと考えました。
 時代は日露戦争の始まる二年前、一九〇二年の七月末から十月上旬に設定しました。ホームズ正典では六月の「三人ガリデブ」の後から、九月の「高名な依頼人」を挟んだ時期に位置するようにしました。(なお、ワトソンの再婚相手を、メアリー・メイパリー夫人としているため、「スリー・ゲイブルズ」事件は一九〇二年の春としています)
 物語は、一九〇二年の日英同盟直後のロンドンを舞台として、歴史的事実を踏まえた中に多くの虚構を交えたストーリーが展開されます。
 六月、エドワード七世国王戴冠式参列の小松宮使節団に柴五郎中佐が随行したこと、七月七日と八日ウィンチェスター館で福島安正少将が日英軍事協商会議に陸軍代表として参加したこと、諜報工作で有名な明石元二郎中佐がパリの日本公使館で駐在武官を勤めていたこと、竹内十次郎海軍大主計が在ロンドン造兵造船監督事務所で会計官を務めていたこと、また、後の大疑獄事件となったシーメンス・ビッカース事件の収賄は、すでにこの当時から行われていたことなどは、すべて歴史的な事実です。
 こうした事実を背景に、日英同盟には、実は日露開戦時、英軍の満州派遣を定めた秘密軍事協約があったというフィクションを用いて、この協約書を日本側の方が紛失させてしまうという事件にしました。 
 やや月並みかもしれませんが、密室の中で施錠された鞄から書類だけが消えていた、という不可解な状況で事件は起こり、これをホームズが推理していくスタイルです。
 捜査の過程で、ホームズは日本の軍人たちに接しますが、彼らはおおむね、知性的で視野も広く、国際感覚を身につけ、なによりも謙虚です。私は、日露戦争前に海外に赴任していた日本軍人たちは、たぶんこうした人たちだったのではないか、と勝手に想像してみました。
 大言壮語し、軍人精神や忠君愛国をヒステリックに唱える、坊主頭の昭和の軍人とは違って、彼らは列強諸国との格差や立ち後れた日本の現状を充分認識し、日本が国際社会の中で受け入れられるためにはどうすればよいのか、常に意識していたと思うのです。
 柴五郎中佐を始め、宇都宮少佐、福島少将に接したホームズとワトソンは、彼らの真摯さと誠実さに次第に好意を持ち始めます。しかし、国家機密に通じたマイクロフトによって、英国は初めから協約を履行する気はなく、日露開戦後の日本の敗北を予想して、戦後の列強諸国による極東の支配権と勢力均衡のため、英仏で密約を交わしていることを知ります。
 二人は英国の背信行為を知って、日本へ深い同情はしますが、イギリス人としては自国を裏切ることは出来ず、やりきれない思いも感じます。
 やがて、捜査の結果、犯行計画は軍事協約阻止を狙ったパリにいる明石中佐、協力者は軍艦建造のコミッションを取っていた海軍士官玉井大佐、協約書を盗み出した実行犯は、ホームズも敬意を払っていた意外な人物と分かります。
 ホームズとワトソンは、ドーバーに急行し、海峡渡船の桟橋でその人物に会いますが、彼はすでホームズの追跡を予期していて、軍事協約は日本の滅亡につながる、という犯行の動機を明らかにします。そして、幼いとき、生まれ育った国、会津の滅亡を体験した自分は、二度と自分の国が滅びるのを目にしたくないという、燃えるような思いを静かに語ります。
 この後、日英両国ともこの事件を闇に葬りますが、日本は協約の廃棄とロシアとの単独決戦を覚悟する代わり、戦時公債発行に英国の債務保証を要求します。これも全くのフィクションですが、要求が受け入れなければ、日本はロシアと協商せざるを得ないという福島少将の強迫に、ついに英国が折れるというところで事件の第一幕は終わります。
 ついで、小説の最後では、第二幕としてこの事件の真実には裏の裏があることが、ホームズの口から語られます。明石は自ら犯行を企みながら、実はそれをホームズに解明させることで事件の真相を白日の下にさらしたかった、なにもかもが明石の計算づくの企みで、これによって母国日本の目を覚まさせることが目的だった、というオチで第一篇は終わります。
 一九〇四年から一九〇五年に亘る日露戦争の勝利によって、日本は近代国家として輝かしい飛躍を遂げるのですが、「禍福はあざなえる縄の如し」ということわざ通り、この勝利は逆に日本に四十年後の敗亡の途をたどる運命をもたらします。
 この物語は、日本が「坂の上の雲」をめざしていた時代の日本人の清新な雰囲気を、ホームズとワトソンの目を通して描きました。しかし、日露戦争後の日本は、自らの過信と傲りによって、次第に世界の同情と共感を失っていき、時代は「凩の時代」へと変わっていきます。
 私は、小説の第二編で、ポーツマス条約締結の前後を時代背景にして、ホームズとワトソンの目を通して、彼らが敏感にこうした日本の変化に気付くという内容を描きたいと思います。

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