07 さらに検証する
大畑が不在時に給湯室に出入りした人物が犯人――。
「ちょいと強引すぎやしないか?」
異議を唱えたのは、我が副部長だ。
「大畑さんの不在時に鍵が盗られたっていうけどな。世間話で気を
「馬鹿にしてんのか?」
大畑が低い声で凄む。
目の前で盗られる程マヌケじゃない、と言いたいらしい。さて置き、彼と世間話するような間柄の人間はいないし、実際そんなことはなかったのだ。
半分冗談だったのか、肩をすくめた葦月はすぐ矛先を変える。
「『給湯室に出入りした人間=犯人』っていうのもちょっとなあ」
「文句ばっかだな先輩! じゃあ聞くけど、用も無いのに立会人席をうろつく人を見たのかよ?」
「そんな奴いないって」
投げやりに否定したのは枡条。
「僕は現場責任者として、君たちを監督していた。お茶淹れしていた穂波ちゃんをはじめ、立会人席まで進めば必ず給湯室に入っていた。選挙中みだりに歩き回るなんて、そんなことする奴が他にいてたまるか」
明らかに大畑への皮肉だったが、彼の
「監視中に不審な動きをしていたヤツはおらんかったか」
選管委員長は眉を顰めたまま首を振る。手元までは注意がいかなかったらしい。
「あの」
早乙女くんが遠慮げに尋ねる。
「金庫の鍵は一つですか? 予備は無いんでしょうか」
枡条は三つの鍵が束ねられたチェーンを掲げて、
「事務局に戻ればスペアキーがあるけど。ここに在るのは、投票用紙の金庫用、会長選と監査長選の投票箱用、それぞれ一つずつだ」
「はいはいっ!」
挙手した野巻さんに、どうぞとオレが促す。
「えっとね、どうして会長選の投票用紙だけが盗まれたのかな?」
「……どうしてって。全部は盗めなかったからじゃないかな。監査長選と併せて千枚になるし」
250枚の束が四つだ。
「アタシが疑問なのは――なぜ犯人は監査長選の方に手を付けなかったか? ってことなの。同じ枚数でも、会長選と監査長選を半分ずつにするとか。他に組み合わせがあるでしょ」
「選挙妨害の為だろう。投票率は例年五、六割なんですよね?」
雷宮さんが穂波さんに確認して、「今のペースでいけば、今年も用紙を使い切ることはなさそうだ。野巻がいう組み合わせで盗まれたとしても、投票用紙は足りたんじゃないかな? それだと妨害にならないと犯人は考えたのかもしれない」
「盗まれたこと自体が問題なんだけどな」
枡条が苦い表情をした。
だが犯人はそう思わなかったのかもしれない。どちらにせよ、今の段階で動機を断定するのは無理だろう。
「――とりあえず前に進みませんか?」
漂い続ける暗雲を吹き飛ばすように、カラッとした口調で祈が言う。
「さっき説明した通り、大畑さんが席を外したとき、誰が給湯室に入ったかを確認したいんです」
「それで、犯人が分かるの?」
眼鏡女子になった穂波さんがおずおずと尋ねる
「やってみる価値はありますよ。これが今考えうる唯一で最短のルートだ」
「覚えている限りでいいですから。お願いします」
口下手な探偵のフォローをして小さく頭を下げると、おのおの諦めにも似た了承の態度を示した。
*
複数の証言と大畑の電話の通話記録によって、表がまとまったのは二十分後だった。
『ちょうど高校講座が始まるところだった』『今日の園芸が終わった瞬間だった』等々。教育テレビの小刻みな番組表が役立ったことは言うまでもない。
☆大畑の不在及びその間給湯室に出入りした人物のまとめ
(1)10時50分~11時頃
・給湯室に入った人物
穂波(お茶淹れ)
(2)12時30分~12時40分頃
・給湯室に入った人物
雷宮・松山(昼食)
(3)14時40分~15時頃
・給湯室に入った人物
穂波・葦月(お茶淹れ)、梅沢(砂糖)、野巻(カップ返却)
(4)17時10分~17時20分頃
・給湯室に入った人物
枡条(栄養ドリンクを飲む)、穂波・早乙女(コンタクトを外す)、葦月(手洗い)
※17時半 事件発覚
こうして
特に三度目の不在は二十分間に
青ざめた人物がいる。
じっとりした視線を感じたのだろう、穂波さんが深くうなだれている。
「……私じゃないです」
彼女が登場したのは最多の三回。励ますようにオレは言う。
「何度も出入りしたからって、犯人とは限らないですよ。一度の出入りで犯行は出来ますから」
大畑の机から鍵を盗む、投票用紙を盗む、鍵を戻す――これらは一度で全て可能なのだ。
「ちょい待ち。(3)の俺やけど。
この時間――穂波さんもそうやけど――、全員分のコーヒーを淹れて配って。めっちゃ忙しくて、そんなんする暇なかったで。俺のスペシャルブレンド美味しかったやろ?」
「給湯室でひとりの時間が無かったと証明できるか」
「あ?」
葦月が訝しげに祈を見返す。
「金庫を開錠して投票用紙を盗んで施錠する。器用な人間だったら二十秒いや十秒あれば出来る。その間もひとりじゃなかったと?」
「証明できん」
先輩は素直に認めた。
今の祈の台詞を
選管委員の枡条と穂波さんは金庫の扱いに多少手慣れていたかもしれない。が、金庫は隠してあったわけでなく堂々と食器棚に置かれていた上、珍しくもないシリンダー錠の開閉式だから、大したハンデにならないだろう。
客観的にみれば、オレにも犯行のチャンスは十分にある。
給湯室でコーヒー用の砂糖を捜索している間、カップを下げにきた野巻さんと鉢合わせするまで一人だったし、出るときも誰かと一緒だった記憶はない。
(2)の祈と雷宮さんにしても、雷宮さんが先に給湯室に入り、祈は彼女の後から出たので、彼らにも機会はあったと
皆、給湯室でわずかな時間もひとりでなかった、という証明が出来ないのだ。
「あ。早乙女君には無理じゃないか?」
思い付きを口にすると、顔を上げた本人と目が合う。
「(4)のとき、彼は穂波さんの付き沿いで給湯室に入って、先に出てきたよな確か。犯行の機会は無かったんじゃないか?」
祈を振り向くが、「そうとは限らない」と別方向から声が上がる。
「あのとき、三奈帆先輩はコンタクトレンズを失くして視力が極端に弱かった。傍で犯行に及んでも気づかなかったかもしれない」
「光ちゃん、ひどい!」
冷徹に発言した雷宮さんに、早乙女君が泣きつく。
「気付かなかったかもしれないって……穂波さんはそんなに目が悪いんですか?」
「悪いってもんじゃないよ!」
野巻さんが鼻息を荒くする。
「合宿の朝、『私のメガネ、メガネ』って自分で踏んづけて壊したからね」
「たはは。裸眼で0.1ないんだよね私。あのとき、コンタクトが片方残っていたのが余計気持ち悪くて。横でゴソゴソされても分からなかったかも……あっ私は早乙女君のこと信じてるからねっ!」
今さらフォローしても遅い。
哀れ早乙女君は、長い睫毛を伏せて落ち込んでいる。
口を開きかけた祈に、葦月がストップをかけた。
「なんだよ先輩。まだ何かあるのか?」
「怖っ! 目つきが悪いなお前は。ええか? 大畑さんが不在時に犯行がされたという前提で話が進んでいるけど。そもそも彼が犯人なら鍵を自由に扱えるやろ」
「いえそれは無いんです」
ぎょっとした大畑を横目に、オレは断固として否定する。彼だけは例外だ。
「大畑さんが給湯室に入ったのは一度きりで、その間ずっとオレと野巻さんが一緒だった」
味方したいわけじゃないが事実である。
腹が空かないから、と昼食をとらなかった彼は一度だけ、外出から戻った際コーヒーの催促に来たのだ。野巻さんからコーヒーを受け取って出るまで一人の時間は無かった。
うん? そういえばあのとき――
「そうだ! 鍵が閉まっていた!!」
突然叫び出したオレに、葦月が叫び返す。
「いきなり何や梅沢! びっくりするやないか」
「さっきの話。大畑さんが給湯室に来たとき、金庫に触れたんです」
「なんでまたそんな怪しい行動を」
立会人に非難の視線が注がれる。
「違うオレが言いたいのはそういうことじゃなく! 大畑さんは開閉レバーを弄り倒したけど、金庫は開かなかったんだ。
息を弾ませて喋り終える。
聴衆はぽかんとしていた。だから何? という顔だった。
「15時に金庫は施錠されていた……」
そんな中、口元を手で覆った祈が小さく呟いた。
*
「候補者を一名記入してください」
事件を知らない投票人が意思を投じていく。
時刻は十八時半を過ぎ、投票用紙は残り二十枚を切っていた。夕食の手配はどうなっているのだろう? 腹減った。が、見るからに
二人だけじゃない、投票会場という特殊な密室に閉じ込められ、明らかに全員が憔悴していた。
早乙女君は半目で左右の指先を合わせている。宇宙と交信でもしてるのか。野巻さんは物憂げに頬杖をつき、雷宮さんはポニーテールの毛先を弄っていた。葦月のズボンは尻から破けた。大畑はメンズネイルの爪を弄っていた。
オレは、畔上部長がいたら――と考える。
周りで起きるささいな事件なら、あの人は直ぐに収めてしまう。特別頭がきれるわけではないが、言葉に力があるのだ。どこかの寺の跡取り息子という噂は本当だろうか。
「大丈夫か?」
組んだ手を後頭部に回して目を瞑る幼馴染に声をかけると、
「ああ、だいぶ容疑者が絞れたぞ。あと少しだ」
驚くほど明るい表情で答えた。
「ほんとうかよ……」
畔上部長と比べ、お世辞にも人格者とはいえない松山祈だが、この無神経ともいえるタフさは尊敬に値する。
「それなに?」
ふと祈がオレの机の端を指す。小さな黒い塊がそこに在る。
「大畑の爪だよ」
「えっ汚な!」
「さっき金庫を開けたとき、開閉レバーの隙間から落っこちたんだ」
犯行発覚時のことである。回想しながら伝える。
「15時頃に金庫を弄ったとき、大畑の爪がレバーに挟まって割れたんだよ」
「絆、よくこういうの平気だな」
爪を拾ったことを言っているらしい。
「なんだよその目。床に落ちたままになってる方が気持ち悪いだろ。……祈?」
ふと見上げると、クオーターの幼馴染は口元を手で覆ったまま固まっていた。
なにやらブツブツ呟いているが、英語が混じっていてよく聞き取れない。
「――確かだな?」
「ん?」
「15時に欠けた爪がレバーに挟まって、17時半に金庫を開けたときそれが落ちた。間違いないな?」
「と思うけど……」
こいつは何を言いたいんだろう。オレは頷きかけて、
「あ、でも。朝イチに金庫の施錠を確認したらしいから、そのとき同じ事故がなければだけど」
「確認しよう」
すっくと立ちあがる。
「なんだよ。そんなに重要なことなのか」
「とてつもなく重要だぞ。
あの金庫、開錠後にレバーを押し下げると金庫が開く仕組みになっている。15時レバーに挟まった爪が、17時半レバーを下ろしたときに落ちた――ということは
きしり、と。
オレの頭の中で、事象の断片が積みあがる音がした。まだ漠然としていて形を成さないが。
確認させてもらった大畑の十指は、右手の人差し指の爪以外キレイなものだった。朝にハプニングは無かったらしい。
「何をしてるんだ君たちは……
歩き回るオレたちを、枡条がくぼんだ目で凝視している。いつ選挙を中止にしようか、そればかり考えていたに違いない。
祈が高々と告げる。
「犯人が分かった」
ざわりと空気が動く。
疑惑に満ちた投票会場を探偵役がぐるりと見回す。スーツの腕を組んで、何の前置きもなくしゃべり出す。
「15時に
そして犯人の動作――〈立会人席から鍵を盗る〉〈金庫の開錠〉〈投票用紙を盗む〉〈金庫の施錠〉〈立会人席に鍵を戻す〉。これら五つの
【解答編へつづく】
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