09 悪意の主張

「さっきから思ってたんだが」

 投票人が帰った会場で、枡条がおもむろに切り出す。

「犯人の行動をパターン化したり、まるでパズルみたいに扱ってるけど。動機はいったい何なんだ? 肝心なところが全然見えてこないじゃないか」

「鍵を開けた理由……」

 穂波さんが膝の上で、手を組んだり解いたりしている。


 犯行を終えたはずの犯人が、なぜ金庫を開錠したのか――? 奇行、としか言いようのない行動に皆が戸惑っていた。


「確認のためじゃないでしょうか」

 注目を浴びた早乙女君は萎縮いしゅくしながらも続ける。

「ちゃんと施錠したかどうか、後から不安になったのでは……? そういうことありませんか。家を出た後、鍵をかけたか心配になること」

「あるある! 出かけた後に思いつくんだよね。まあいっか、って忘れちゃうけど」

「心配だったら戻って確認しろ」

 黒志大の一年生トリオが漫才的なやり取りをする。なかなか息が合っている。


 オレは苦笑して、「わざわざ確認に行ったのに、鍵が開いていたのは何故?」

「それは、間違えたんですよ、きっと。犯人も慌てていただろうし、ロックしたつもりが誤って開錠してしまったんです」

「犯人は慌ててなんかいないよ」

 祈は大股で立会人席に近づき、手にした鍵束を掲げる。

「犯人は、三つの鍵の中から〈金庫の鍵〉を正確に選んでいる」


 三つの鍵――金庫用と二つの投票箱用だ――は形状が似ていて、持ち手のラベルを見ないと区別出来ない。開錠されていたのだから、正しい鍵が挿し込まれたのだ。


「でも、だからって犯人が冷静だったとは判断できないんじゃ……?」

「いやいや。施錠されているかどうかは、よく観察すれば鍵穴の向きでわかるし、手っ取り早いのは開閉レバーを下げてみることだ。きちんと施錠されていたら金庫は開かないんだから。――ところが、爪の件で明らかになった通り、犯人はそれさえしていない」


「爪に気付いたからじゃ?」

 突拍子もない説を思いついてしまった。勢いのまま喋る。

「レバーを下げようとした瞬間、爪が挟まっていることに気づいたんだよ。ブラックネイルだから多少目立っただろうし、冷静なら気付いた可能性はゼロじゃない。15時の騒動を目撃した犯人がそれに思い当たってレバーに触れるのをためらった……」


 なぜためらったか? 犯人は15時以降に金庫が開いたことを知られたくなかった……? だがそれは、鍵が開いていたことと矛盾しないか? 思考の沼にハマっていると、


「ハッ! よう分からんけど、犯人がそこまで目撃したなら『金庫が開かない=施錠されている』ことも当然知ったやろうな、なあ梅沢助手?」

「あっ」

 葦月が豪快に笑って、周囲からも失笑が漏れる。

「ドンマイ梅沢助手」

「助手はやめろ!」

 探偵役はニヤリと笑った。


「今の議論から推察できることがあるぞ。――犯人が勘違い・・・などではなく・・・・・・金庫を・・・開錠する・・・・ために・・・行動したということだ」

 焦れたように枡条が吠える。

「開錠したってことは、施錠も出来たってことだろ? わざわざ鍵を開けておくメリットってなんだ!?」

「……わかりませんか?」

 祈は意味深に枡条を伺うが、すぐ話題を変えた。

「投票用紙を盗んだ犯人は、(4)で再び行動を起こす機会に恵まれた。

 犯行自体に計画性は無いから、最初から意図していた訳でなく、機会が・・・あったから・・・・・行動した・・・・。それが本当のところだろう」


 ふっ、と。エアポケットみたいな沈黙が訪れる。

 テレビはいつの間にか電源が消されている。


「話を戻すけど――もし、(4)での犯人の動作が『鍵の返却』だけなら、俺は、二人の容疑者を絞りきることが出来なかった。そうじゃないらしい、と気付いたときが犯人を知った瞬間だ。

 難しい話じゃない。(4)での動作を行うのに、ある人物の挙動が不自然過ぎるんだ。穂波さん」

 名指しされた彼女が体を震わせた。ノーフレームの眼鏡が微かに揺れる。


「あなたが(4)に給湯室に入ったのは、『コンタクトを外すため』でしたね」

「……うん。右目のが外れちゃったから、左も外したくて」

「そっか!!」

 立ち上がった野巻さんが絶叫する。

「コンタクトが外れた三奈帆先輩は周りがよく見えない状態だった! そんな先輩が鍵を弄るとか複雑な作業ができるわけないのよ!!」


「そうとは限らない」

 出鼻をくじかれた野巻さんが、「なんでよっ!?」と祈に噛みつく。

「どれだけ視力が弱いかは本人しか分からないし、近視だって手元くらいは見えるだろう。犯行が不可能とまでは言えないよ」

「三奈帆先輩は本当に目が悪いんだってば! 近視なめんな!」

「野巻、落ち着け」

 傍らの雷宮さんがなだめる。


「俺が言いたいのはそういうことじゃないんだ。犯人の真意は分からないけど、なるべく目立たないよう速やかに行動したかった筈だ」

「まあ、悪事を働くときは大抵そうね」

「なのに――『コンタクトを落とした』だ。これほど周囲の注意を引く・・・・・・・・・セリフがあるだろうか?」


 大学に入学したばかりの頃の話。

 構内のエレベーターで女の子が「コンタクト落としちゃった!」と叫んだ。結果、乗客全員身動きが取れなくなったのである。


「そんなことを言ったら、誰かが――特に先輩想いの後輩たち――が助けを申し出るに決まってる。実際、早乙女君が給湯室まで付き添うことになったろ? 『穂波さんに付き添った早乙女君に犯行のチャンスは無かった』、そう推理したのは絆だったな」

 オレは頷く。視力がおぼつない穂波さんは証人としてアテにならない、と却下されたが。

「それは早乙女君・・・・だけじゃなく・・・・・・穂波さんにも・・・・・・・当てはまる・・・・・んじゃないか?

 犯人の動作――『1 鍵を盗る』『2 金庫を開錠』『5 鍵の返却』――を行うには、給湯室に・・・・入る前に・・・・1を済ませないと上手くないことになる。


 早乙女君が去った後、給湯室から一瞬出て鍵を盗って戻る、というのは会場の誰かに目撃されるリスクがあるし、手元をうまく隠せたとしても不自然に映るだろう」

 探偵役は腕を組んで一人ごちる。


「『5 鍵の返却』だけならいいんだ、帰りに出来るから。でも、行きのチャンスをみすみす逃すなんて……」

「そこまで慎重には考えられなかったのかもしれない」

 祈が話し終わるのを待たずにオレが反論する。

 黒志山大の四人がオレを振り返る。


「給湯室に行く理由を作るため、深く考えずに発言してしまったんじゃないかな? 『コンタクトを落とした』って」

「そうかな」

 ささいな抵抗は簡単にはね退けられる。

「穂波さんは〈庶務係〉なんだから。お茶淹れとか差し入れの栄養ドリンクを配るとか。他にもっとマシな理由を作れるだろう。考えれば考えるほど割りに合わない」


「……早乙女君も共犯だったんじゃ?」

 顔をしかめた祈に、おずおずと言う。

「だって、彼らは先輩後輩の仲なんだから。給湯室でふたりになったとき、穂波さんが共犯を持ちかければ良い。共犯とまではいかなくても『金庫を弄ったことは秘密にしておいて』と頼めば、早乙女君は従ったんじゃないかな」

 そんなことありませんっ、と力む早乙女君を祈が制する。

「だったら、なぜ給湯室を出るとき二人は別々だったんだ? 出るときも一緒だったら、穂波さんが疑われることはなかった」

「でも、そうしたら犯人は――」


「俺も異議を唱えるぞ」

 葦月が挙手する。

 いつもと変わらない太々ふてぶてしい笑みを浮かべて。


しょぱなにお前は、『計画的共犯』の可能性を否定したな。でも、計画的・・・じゃない・・・・共犯だったらどうや?」

 丸い躰を揺らして、葦月が立ち上がる。

 推理研の先輩と後輩が対立する。


「例えばこんなケースや。穂波さんが投票用紙を盗むのを目撃した人物が、彼女をかばうために行動を起こした。彼女が知らないうちに共犯者が居てたんやな。――であれば、(4)に給湯室を出入りした枡条も立派な容疑者になるぞ。選管委員長として部下をかばうために行動したんや」

「なっ!」

 激高した枡条が顔を真っ赤にする。

「金庫を開錠したのは捜査かく乱のため。誰にでも投票用紙を盗るチャンスがあったとアピールするため。どうや?」

「本気で言ってるのか先輩? だとしたら失望したぞ。

 枡条が共犯者なら、犯行自体を・・・・・隠せば済む話・・・・・・だろう。立会人の大畑は職務熱心じゃないようだし、彼は選管委員長なんだから。いくらでもごまかしようがあったはずだ。

 わざわざ金庫を開錠するなんて愚の骨頂こっちょうだ。誰かが・・・投票用紙を盗んだ・・・・・・・・、と主張するようなものなんだから」


 彼らのやりとりをオレは呆然と眺めるしかなかった。

 頭の片隅で、枡条の立場を早乙女に置き換えてみる。犯行を目撃した彼は、先輩をかばうために金庫を開錠した――いや。穂波さんが午前中に一度しか給湯室を出入りしていなければ、15時に金庫が施錠されていたことが明らかになり(彼は何らかの方法で事前に知っていた)犯人じゃないと断定できるが、彼女は15時以降も給湯室に出入りしているのだから。無意味だ。


「フン。どうしてもオレが犯人と決めつけるんやな。じゃあ、金庫を開錠した理由は? まるで見当がついてないというわけでも無いんやろ」

 葦月が挑発的に問いかける。祈は片眉を上げた。

「動機なんて本人に聞けばいい、と俺は思ってる。でも、アンタが犯人らしいと分かってからは一応考えてみた。――もし、選挙終了まで金庫が・・・開かれなければ・・・・・・・どうなって・・・・・いただろう・・・・・?」


「投票用紙を補充しないまま選挙が終わったら、ってこと?」

 意味を図りかねるように穂波さんが呟く。

「投票率は例年五、六割。今年も例年どおりのペースで、補充が必要かどうかは微妙なところだった」

「まあ……」

 選管の男女はいぶかしげに顔を見合わせる。


「ヒントになったのは枡条さんと前合同自治会長の会話です。『投票用紙は開票結果が出るまで金庫で厳重に保管する』――そう答えていましたね。犯行後にこれを聞いた犯人は、今年も特に上がりそうにない投票率と併せて不安に駆られた。

 このまま金庫が開かれずに選挙が終わってしまったら、自分のしたことが露見せバレじまいになってしまうのではないか――?」

 枡条さん、と鋭く呼びかける。


開票結果が出た後・・・・・・・・に、用紙を盗まれたことが判明したらどうします? 無事選挙が終わりかけているのに、自分たちの不手際ふてぎわを公表しますか?」

「……揉み消すって言いたいのか? ふざけるな、ちゃんと公表するさ!」

「なるほど。でも、犯人はそこまでアナタたちを信用していなかったのかもしれない」

 枡条が力なくうなだれる。


「犯人は、あくまでも選挙中・・・に犯行が明らかになり、騒動になることを望んでいた。このままだとそれが危ぶまれると案じた彼はもう一度行動に出る」

 探偵役は葦月を振り向く。先輩の表情から太々しさが消えていた。

「選管がちゃんと施錠したはずの金庫が開錠している。何者かが金庫に手をかけたぞ、という犯行声明・・・・――金庫の鍵を開けたのは、犯人の〈悪意の主張〉だ」


 完全な動揺の色が支配するなか、げらげらと葦月が笑った。

「悪意の主張、やなんて。陰気くさい表現やな」

「質問いいですか?」

 気弱そうに見える早乙女だが、疑問を口に出さずにはいられないタイプなのかもしれない。祈に向かって言う。


「犯行声明だったら、投票用紙を全部盗んだ方が良かったのでは? 金庫を開けたとき、中身が空っぽの方がインパクトがある」

「全部盗んだとしても、選挙終了まで金庫が開かなければ同じことだ」

「……でも、金庫を開錠したって傍目はためには大して変わりませんよね? 鍵穴の向きが変わるくらいで。だったら、金庫の蓋を開けておいた方が一目瞭然……」


「ホンマは俺もそうしたかったんや」


 オレは密かに息をのむ。

 いたずらに失敗したような子供の顔で、犯人が自白を始めたのだ。


「適当な理由をつけて給湯室に入り、金庫の蓋を開ける。〈第一発見者〉になるつもりやった。

 便所から戻ったとき、穂波さんが席にいないのを見逃したのは不注意やった。入れ違いで給湯室から出てきた彼女に、どれだけ失望させられたか?

 直後に、金庫の蓋を開けるのはさすがに博打ばくち過ぎるやろ? 『金庫の蓋が開いてる!』と騒いだところで、『私が見たときは閉じてましたよ』と証言されたらオシマイやからな。まして彼女は選管委員なんだから、金庫に注目していた可能性も高い」


 実際にはコンタクトを外していただけだが、トイレに立っていた葦月はそれを知るすべがなかったのだ。


「で、あんな〈半端な主張〉になったというわけ。早乙女が言ったとおり、鍵穴の向きで誰かが異常を察してくれるかもしれん、と愚かな期待を込めて。結論からいえば失敗や。――しかし、余計なアリバイ調べやら推理合戦やら。仕方なく付き合うてやったが、後輩たちには足を引っ張られたなぁ?」


 オレは、ぎりと唇を噛む。

 信用していたのに。問い詰めようとしたところで、


「あっ、人が沢山来ます!」

 早乙女君が叫んで、穂波さんが時計を見上げた。

「夜間部ゼミの人たちです。連絡くれたのに、すっかり忘れてました!」

「めっちゃ沢山いるやん。マジか。あれだけ人が来ると分かっていれば、余計なヘマをしないで済んだのに……」


 生憎あいにく、連絡があったとき彼はトイレに居たのだ。

 心底ガッカリしたような溜息を吐き、いったん会場を出た葦月は投票者らに混じって入口から戻ってくる。


「――ほれ」

 机に紙束を放られた。会長選の投票用紙だった。


枡条アイツ、探し方が甘いな。男子トイレの掃除用具の中に隠してたんや。あ、便所臭いのは勘弁な」

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