最後の英雄、最初の友人

 長い年月が過ぎた。既に地球は人類の星ではなくなっていた。彼らに対し組織だった抵抗をできるような勢力は消え失せ、わずかに生き残った人々は、彼らの襲撃に怯えながら細々と隠れ住んでいた。

 滅びを待つだけの人類に、一人の兵士、いや、英雄がいた。彼は誰よりも多くネイバーを殺し、誰よりも長く生き延びたネイバリアンだった。仲間達が戦いに倒れ、あるいは心身の異変に耐え切れず死にゆく中、彼は強靭な生命力と精神力で、ネイバリアン誕生の初期から現在に至るまで、数年以上の時間を生き続けていた。

 彼は数多の戦場を駆け抜け、ネイバーを殺して殺して殺し続けた。そのたびに普通の人間ならば死に至るような重傷を負った。そしてそのたびに彼はネイバーの屍肉を食らって傷を癒した。損傷と再生を繰り返すごとに、彼の体は人類のそれからかけ離れていく。今の彼は、知らぬものが見ればネイバーとほとんど見分けがつかないほどであった。そして、それは精神もまた例外ではない。ネイバーを食らうたび、彼の精神は蝕まれていった。地球のものではない様々な光景、自分のものではない、驚異に満ちた様々な記憶、荒れ狂う感情。人類としてのちっぽけな人格を押し流さんばかりの、圧倒的な情報の渦。彼は必死にしがみついた。自分を見失わないよう、自分が何者か忘れないように。彼の祖国は既になかった。いや、国と呼べるようなものは、この星のどこにもなかった。故郷はなく、仲間もなく、それでも彼は戦った。どれだけ戦っても敵は減らず、味方は次々と倒れていき、ついには一人になっても。それしかなかった。それしか残されていなかった。どんなに絶望的であっても、先がなくとも、人類のために戦うことだけが、彼を彼として踏み止まらせていた。


 彼はネイバーと戦いながら、各地を転々としていた。どこもかしこも、ネイバーで溢れている。人の姿など、もうずっと見ていなかった。代わりに、その痕跡ならば嫌というほど目にした。住む者のいなくなった家屋や都市。主を失った廃墟には、惨劇の跡が生々しく残されていた。

 彼は、追い詰められていた。肉体的にも、精神的にも。いくら彼が歴戦の猛者であろうと、大群を相手にしては勝ち目などない。確実に勝てる数のネイバーだけを狙って殺し、それ以外は常に彼らから身を隠しながら過ごした。心も体も休まる時はなく、どれだけ歩こうとどれだけ戦おうと、希望は見つからない。彼は緩やかに、すり減っていった。


 そして、その時が来た。数え切れない、一体どれだけいるのか。地平線の向こうまで、埋め尽くすほどに。彼ら、この星の支配者。対する彼は、ただ一人だけ。味方はいない、とうの昔に。守るべき人も、もういない。

「親愛なる地球人類」

「我らの最初の理解者、最初の友人」

「その最後の一人」

 彼らが、声を発した。戦争が始まって以来、彼らがコミュニケーションを取ろうとするのは、ほとんど初めてのことと言ってよかった。

「星の海を渡り、数多の生命と出会ったが、我らと通じ合えるものはいなかった」

「彼らみな、未熟であったため、あるいは、我らとあまりにも違いすぎていたために」

「だが、それらも決して無為ではなかった。彼らはみな、我らの内にある」

「彼らみな、我らのヤドムスの糧となった」

 ヤドムス。地球には存在しない、翻訳不能の言葉。だが、彼にはそれが何かすぐ理解できた。

「我らの旅、我らの存在、全てはヤドムスのため」

 それは彼らにとって文化であり宗教であり神であった。霊であり祖であり子であった。彼らを彼らたらしめる全てであった。そして、彼をネイバリアンに変え、今もその心身を蝕むものだった。

「我らは殺す」

「我らは食らう」

「果てのない高みへと至るため。これもそれも彼も全て、全を一とするために」

「その旅路で、君達と出会えたことは望外の喜び」

「君達ほど凶暴で残忍で狡猾な素晴らしい種を、我らは知らない」

「君達の作り上げた素晴らしき文化、兵器、軍隊、戦争」

「他者をより効率的に嬲り、殺し、蹂躙するための文化」

「君達からすれば、我らの戦いのなんと稚拙なことか」

「しかし、君達と戦い、殺し、食らったことによって、我らもまたそれらを理解できた」

「その上君達は、我らの文化、我らの教義、我らの意志、それらを理解し、どころかそれを実践し、我らとの合一を試みてくれた」

 彼は理解した。彼らはそうやって、他者を食らい、自らの糧、ヤドムスの糧としながら、果てのない進化の旅路を辿ってきたのだと。そして、人類が行ったこと、ネイバリアンを生み出したこと、その意味。彼らの喜びが、手に取るようにわかった。彼の内にあるものが、彼に教えてくれた。永い永い旅を続け、彼らは初めて出会ったのだ。対等な相手に、自らを理解してくれる友人に。

「君達との出会いに感謝を」

「君達との出会いに祝福を」

 彼らは、真に感謝していた。心の底から喜んでいた。

「そして、君という個」

「素晴らしい」

「君達の誰よりも強く、我らの誰よりも強く、輝けるヤドムスを持つ者よ」

「君を八つ裂きにし、千々に砕き、我らの糧としよう」

「そうして、君達という種は滅び去る」

「だが、嘆くことはない」

「君達の全て、我らの内にある」

「我らと共にある」

「そして共に、悠久の旅路へ」

「悲しむことはない」

「我らと君達の進む先」

「永劫の光輝、ただそれだけがある」

 言葉を終え、彼らが前進を開始した。

 彼の心に、嘆きと喜びが溢れた。彼の人であった部分は、自らの死と、人類の滅びを嘆いた。彼の人でない部分は、真にネイバーを理解し、自らもまた彼らとの合一に至ったことへの喜びに満たされていた。

 彼は絶叫した。彼は咆哮した。それは人としての彼の断末魔であり、ネイバーとしての産声だった。

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最後の隣人、最初の友人 アワユキ @houryuki

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