深淵を覗く時、深淵もこちらを覗いているのだ

湖城マコト

オタク刑事VS天才犯罪者

「本当に大丈夫なんでしょうか?」

「信じる他ない。奴と交渉できる可能性があるのは、もう西崎にしざきしかいないんだ」


 犯罪史にその名を刻む凶悪犯だけを収監した特殊監獄の入り口を、二人の刑事が不安気に見つめていた。

 現在、都内を中心に猟奇的かつ巧妙な連続殺人が発生している。

 すでに十人を超える犠牲者が出ているにも関わらず、犯人の逮捕はおろか、容疑者の特定にすら至らぬ厳しい状況が続いている。


 この事態に警察は、苦渋の決断を下すことになった。

 それは、特殊監獄に収監されている天才犯罪者――大廻おおばハヤテに捜査協力を依頼するというものである。


 毒をもって毒を制する。猟奇殺人事件解決のヒントを、犯罪者から得ようと考えたのだ。

 

 しかし、現実はそう甘くない。


 日本の犯罪史に名を残す大廻ハヤテの持つ闇は想像以上のもので、捜査協力の依頼に訪れた警察関係者は、大廻の闇に触れたことで例外なく精神に異常をきたしてしまった。それが原因でこれまでに二名の警察官が職を辞している。


 捜査官達の心身を第一に考え、警察は大廻への捜査協力を取りやめようと考えていたが、先日一人の若い刑事が名乗りを上げた。


 それが今回、大廻の元を訪れている西崎巡査である。変り者と評判の西崎ではあるが、常に自分のペースを崩さない姿勢と臆せずに名乗りを上げた度胸をかわれ、正式に大廻の元へと派遣されることとなった。

 

「そろそろ接見が始まりますね」


 同僚の刑事たちは腕時計で時刻を確認しつつ、西崎の無事を祈った。


 ※※※


「警察も懲りないね。何人壊せば気が済むんだい?」


 白いパーカーを目深に被り、見る者全てをからめとるような、深い闇を宿した瞳が印象的な大廻ハヤテは、作り物染みた笑みを浮かべて西崎を出迎えた。


 今世紀を代表する危険人物とされるこの男は、自らの手を一度も汚すことなく、百を超える人間の命を奪った。


 闇を抱えた人間に接触すると、内に宿る復讐心や犯罪欲求を巧みに操り、殺人という一線を越えさせる。大廻はそういった行為をゲーム感覚で楽しんでいたのだ。


 大廻が、自身が黒幕であるとする決定的な証拠を伴って自首してきたことで逮捕に至ったが、警察は大廻の関与を一切疑っていなかったので、自首が無ければ事件そのものが迷宮入りしていた可能性が高かった。


 取り調べを受けた際に、大廻は自首した理由についてこう語っている。


『一向に警察が僕を捕まえに来ないから、飽きちゃった』と。


 取り調べも、裁判も、収監中の生活も。刑事が捜査協力に訪れるという今の状況でさえも。大廻にとっては全てがゲームなのだ。


「本庁の西崎です。ここへ派遣されるのは、おそらく私で最後になるかと思います」

「警察もいよいよ諦めたってことかな」

「上がどう考えているかは分かりませんが、私は諦めてはいませんよ。絶対に捜査協力を取り付けてみせます」

「今の内に帰った方が身のためだと思うけど? 心の安寧は大切だよ」

「心配ご無用。私には嫁がいますので、それだけで心はいつも平穏無事です」

「へえ、君は既婚者なんだ。奥さんは可愛い?」

「もちろんです。大きな瞳と愛らしい甘え声の組み合わせが、反則級に可愛くて」

「犯罪者を前にのろけとは、恐れ入るよ」

「もしよろしけば、嫁の顔をご覧になりますか?」

「興味があるね」


 自分の妻の顔を犯罪者に晒すなど、目の前の刑事はどんな神経をしているのだろうかと、大廻は心の中で嘲笑した。


「これが私の嫁。エリカたそです」

「たそ?」


 語尾を気にしつつ、大廻は西崎が見せてきたスマートフォンの画面を覗き込む。


「君はふざけているのか?」

「ふざけてなどいません。彼女が私の嫁、エリカたそです」

「……アニメのキャラクターじゃないか」


 西崎のスマートフォンいっぱいに映し出されていたのは、フリルのついた青色の衣装を着た、魔法少女風のポニーテールのキャラクターだった。


「嫁は嫁です。二次元だとか三次元だとか、そんなことは関係ありませんよ」

「……理解に苦しむね」

「エリカたその魅力を知らぬとは、人生を損していますよ?」

「そこまで言うかい?」

「はい。断言できます。エリカたそは、殺戮兵器としての宿命を背負いながらも、幼馴染を守るために所属する組織を裏切り、元より長くはない命をすり減らしながら戦っていくのです。彼女の物語は涙なしには語れません」

「思ったよりもシリアスなんだね。ちなみにタイトルは?」

「虐殺魔法少女クリムゾンフェイスです」

「物騒なタイトルだ」


 大廻は半笑いだった。漫画やアニメ、ライトノベルなどにはあまり縁の無い人生を歩んできたため、良くも悪くも新鮮な情報ではある。


「確かに物騒なタイトルですが、アニメ終盤で明かされるタイトルの真の意味を知った時には、驚きを隠せませんでした」

「物騒であること以外に、このタイトルに意味があるとは思えないが」

「浅はかですね。物事を表面的にしか捉えないなんて」

「僕に対して浅はかとは、なかなか言ってくれるね」

「遠慮はしない主義でして」

「面白い。そこまで言うなら、君の勧めるそのアニメとやらを見せてもらおうじゃないか」

「見せて差し上げたいのはやまやまですが、ここは仮にも塀の中ですからね。流石にアニメを差し入れるのは」

「ならば交換条件というのはどうだろう。君が僕の要求に応えてくれるのなら捜査協力に応じよう。警察側としても、安い取引だと思わないかい?」

「いいですね。では、そのようにしましょう」

「では後日、視聴環境を整えてもらおうか」

「何なら、今すぐ御覧になりますか?」

「どういう意味だ?」

「実は私、休憩時間中にいつでもアニメを楽しめるよう、ポータブルのプレイヤーとDVDを常時携帯していまして」

「君は本当に刑事なのかい?」

「オタク刑事とでも呼んでください」


 満面の笑みでそう言うと、西崎は鞄からポータブルプレイヤーと「虐殺魔法少女クリムゾンフェイス」のDVD第一巻を取り出した。


「とりあえず、前払いです」


 ※※※


「お手柄だったぞ西崎。お前が大廻から入手した情報のおかげで、犯行を未然に防ぐことが出来た」

「私は大したことはしていませんよ」


 一週間後。西崎は同僚の刑事たちから大きな称賛を浴びていた。

 西崎が持ち帰った、大廻ハヤテの導き出した犯行予測により、犯人に狙われていた女性を保護することに成功した。

 異変を察した犯人はその場から逃走し逮捕には至らなかったが、新たな殺しを防げた功績は大きい。


「謙遜するな。あの大廻ハヤテから捜査協力を取り付けただけでも凄いってのに、次から次に有力な情報を聞き出してくるんだから」

「お褒めにあずかり光栄ですが、心の底から喜ぶのは、事件が解決してからにしておきます。犯人はまだ特定さていませんし」


 ネクタイをきつく締め直すと、西崎は鞄を片手に捜査一課を後にした。向かう先はもちろん大廻の待つ特殊監獄だ。


 ※※※


「あなたのおかげで、新たな犠牲者を出さずに済みました」

「犯人の思考を読むくらい、僕には造作もないことだよ。そんなことより、今回の分のDVDは持ってきてくれたんだろうね?」

「はい。クリムゾンフェイスの最終巻、しかとお持ちしましたよ」

「待ちかねたよ。まさか、アニメ全十二話を完走することになろうとは、思いもよらなかった」

「情報を提供していただく度にDVDを一本差し入れるのが、私達の交わした取引ですからね」

「だが、その契約もこれで終了だ。今回分でDVDは制覇。僕にはこれ以上、捜査に協力する義理は無い」


 大廻は西崎から受け取ったDVDを鼻歌交じりに眺めていた。

 西崎とのやり取りも程々に、早く最終巻が見たくて仕方がないようだ。


「クリムゾンフェイス、面白かったですか?」

「始めは下らないと思っていたが、いつの間にか虜になっていたよ。これまではアニメーションとは縁の無い人生を歩んできたが、僕が知らなかっただけでなかなか奥の深い世界のようだ」

「気に入って頂けたなら、布教した側としても嬉しいです」

「布教? 言葉の意味はよく分からないが、君は僕に新たな知識を与えた数少ない人物だ。誇っていいよ」

「確かに、収監中の犯罪者にアニメを布教した刑事なんて、後にも先にも私だけでしょうね」


 布教に成功した西崎は、満足気に笑っている。

 もっとも、オタクとして満足しただけで、刑事としてはまだ満足できていないのだが。


「大廻さん。同じクリムゾンフェイスを愛する者のよしみで、もうしばらくだけ捜査に協力して頂くことは出来ませんか?」


 それまで明るかった西崎の声色が、仕事モードの低音に切り替わる。


「確かにクリムゾンフェイスは素晴らしいが、僕達の協力関係は、あくまでも対価があっての取引だ。情に訴えかけるのは愚かだよ」

「一応聞いてみただけですよ。無償で協力を取り付けられれば儲けものかなと思っただけで」

「まるで、新たな対価を用意してあるかのような物言いだね?」

「ありますよ。ここに」


 不敵な笑みを浮かべ、西崎は鞄から新たな交渉材料を一枚取り出す。


「それは……」

「劇場版虐殺魔法少女クリムゾンフェイスのDVDです。特典映像満載の限定版ですよ」

「劇場版があるなんて情報、僕は知らないぞ?」

「劇場版に関する情報は、今お渡ししたテレビシリーズの最終巻で、初めて告知されるものですからね。知らなくても無理はありません」

「……つまり、君はこれで最後にするつもりなど、始めからなかったということだね」

「契約を続行していただけませんかね?」

「いいだろう。劇場版だけ見逃すのは忍びない」

「決まりですね。では、新たな情報をお教え願いますか?」


 かくして、奇妙な取引は継続されることとなる。

 大廻はこれが最後の取引のつもりでいるかもしれないが、西崎にはそのつもりはなく、まだしばらくは大廻の知恵を借り続けようと考えていた。

 一連の事件の犯人はまだ捕まっていない。大廻にはまだまだ活躍してもらわなければいけない。


 もちろん、交渉材料はまだ残されている。

 劇場版を見終えれば大廻も気づくだろうが、「虐殺魔法少女クリムゾンフェイス」の物語はまだ終わらない。

 現在までにアニメシリーズは第三期まで製作されており、西崎にはまだまだ残弾が大量にあるのだ。

 一度「虐殺魔法少女クリムゾンフェイス」の魅力に囚われてしまえば、もう後戻りは出来ない。アニメシリーズを完走するまで、大廻はDVDの視聴を続けることだろう。


 全ては西崎の計算通り。二次元の魅力で天才犯罪者を利用することに、彼は成功したのである。


 深淵を覗く時は、気を付けなければいけない。

 深淵を覗く時、深淵もまた、こちらを覗いているのだから。


 だが、影響を受ける可能性があるのは、本当にこちら側だけなのだろうか?

 

 こちら側を覗いてしまった深淵が、こちら側に染まってしまう可能性も否定出来ないのではないだろうか?


 西崎と大廻。

 相手の色に染まってしまったのがどちらなのかは、言うまでもないだろう。




 了

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