第三話 異世界トイレの事情
んん?
ああ、その席なら空いているよ。別に連れがいるわけでもない、好きに座ってくれ。
何故にやついているのかって?
そう見えたかな。いや何、ちょっと懐かしくなってしまったんだ。許しておくれ。
少し前までその席には僕の友人がよく座っていたんだ。見る間に出世していくやつでね、今じゃこんな下卑たところには来ないだろうよ。なんてったって一国の王様だ。
はじめこそ駆け出しの冒険者だったが実力は昔からあった。魔物退治に魔王討伐、政治の手腕だって大したものさ。
小汚い酒場で僕のような変わり者のバカ話を聞く暇なんてもうないだろうね。少し寂しい気もするけど、僕までなんだか誇らしいよ。
って、あれ?
君、その顔は…
お忍びだって?危ないことするじゃないか。見た感じ護衛も付けてないようだし。
そんなもの必要ない?
なるほど。まぁ確かに。神々の聖剣を持つ君に敵なんてものはいないか。
おっと、ラム酒を奢ってくれるのかい?いやぁ、なんだか変な気分だよ。王様のお酌だなんて。
ああ。改めて、久しぶりだね。僕の方はよくやってるよ、君が頑張ってくれるから行商人も安心して商売ができる。信頼の厚い金貨が一つ二つあるのは本当に助かるんだ、取引が円滑になるからね。
その顔、よく覚えているよ。また僕のへんてこりんな話を聞きたいんだろう?
よく飽きないね。まぁ僕も楽しいから嬉しくないわけではないんだけど。
さて、じゃあ今日はとっておきの話をしてやろう。
君の成功と国の安寧を祝してね。
久しぶりに話すからおさらいだ。
僕には妙な力がある。神様の悪趣味なくじを引いてしまったこの身には、厠にいくと変わったことが起きる何かがあるんだ。
食事中に話すのも少し気がひけるが、その、大変な方を致そうとすると、厠ごと僕は違う世界に飛ばされてしまうんだ。もう慣れてしまったけれどね。
そうして僕は様々な世界を、厠の仕切り越しに見聞きしてきた。
君とはそうしたたくさんの冒険の話をしたね。
屍人の世界、話せる物の世界、帝国の隆盛や、衰退の只中。決闘場や何かしらの学舎、緑溢れる大自然の中に出てみたり、曇りと雨の灰色の中に出てみたこともある。
だが今回はそんな冒険の中でも一番最初、僕が初めて違う世界へと旅立った時のことを話そうと思う。
いい顔をするね。
でもそこまで期待されても困るかな。いつも通り与太話程度に聞いてくれると嬉しいよ。
さて。まずこの話をするにはある国を治めていた王様と、その子供達について話さなければならない。
双子の少年が言葉を話す狼に拾われる、そうして成人した二人が土地を拓いて国を作る、なんてそんな洒落た伝説が根付くこの国は、度々滅亡の危機に瀕していた。
化け物に襲われるだとかそんなものじゃない。戦争や貧困、身分の自由を謳う民衆、権力の腐敗、分散。何もないように見えて水面下で起きている諸問題がこの国を揺すっていたんだ。
この国の王様―そうだな、たまに皇帝とも名乗っていた―の交代も割合早くてね。民が気に入らなければ彼らはその座から引き摺り落とされたり、暗殺されたりするのが原因だった。
そんなわけで後継争いが絶えなくてね。なまじみんな死んでくれるおかげで世襲制もままならない。
そうした不安定な時代が続いてしばらく後に、ようやく落ち着いた政治がやってきた。
国土は世界のどこの国にも負けぬ広さで、王都はこれ以上ないくらいに繁栄していた。不満がないわけでもなかったが、民衆はこの時期とても幸せでいた―少なくとも、僕はそう思っていた。
王位の後継問題だが、それもしばらくは議会容認で世襲制が続いたそうだ。
さて、混乱が収まってから三代目の王様には後継がなかなか生まれないという問題があった。正妻とも、妾とも全く子供が出来ないでいたんだ。焦った国王は養子を取ることにした。
この養子だが、元の家柄こそ抜きん出てよくはないものの、頭脳明晰、容姿端麗、おまけに誰からも好かれるような完璧な逸材だったんだ。身分問わず人々のことを気にかけ、幼い子供からはみんなの「兄さん」として好かれていた。
国王もこれで安心したのだろうね。そう時間もたたぬうちに、子供を何人も作ってしまうくらいには。
三代目の王が危篤となる頃、王位継承権を持つ人間は八人もいた。最初の養子も含めてね。しかし世間は思っている以上に不平等でね、彼はその中でも最も玉座と遠い位置にいたんだ。
一番長く王に愛され、民に愛され、自らも国を愛していたのにも関わらず、ね。
当初、養子はそんなことなどどうでも良かったのだろう。でも、そうした不条理を利用する奴らはいくらでもいた。
王の死んだ朝、養子は王国に反旗を翻した。
心優しい彼のことだ、きっとそそのかされでもしたのだろう。でもそのことに変わりはなかった。彼の名の下に宣戦布告がなされ、養子は王位継承権を持つ残り七人の王子達を次々と殺して回った。
一ヶ月もたたぬうちに王国のほとんど全ての都市が降伏をし、王子も残りひとりとなってしまった。王位継承権第一位―由緒正しき正妻との間に生まれた子供だ。
皮肉なのはこの王子と養子が最も近しい友人であったことだ。兄弟同然にも暮らし、将来を語り合ったこの二人が、世紀最大の敵同士となってしまったんだ。
決着はすぐについた。
当たり前だ。三世代も平和が続いた王都の軍なんて、農民を寄せ集めただけのお飾りにすぎない。王都陥落は時間の問題だった。
養子が都の要塞に乗り込んだ頃、残った最後の王子は死を悟り頭を抱えていた。
「どうして、どうしてこんなことになってしまったんだ」ずっとそう漏らしていたんだ。
ただ生き物の摂理というのはどんな時であろうとも変わらない。そんな中でも王子は催してしまったんだ。
朝焼けが城壁の壁を照らす頃、王子は厠へと急いでいた。鳴り続ける腹を撫でながらね。
ようやく個室についたと思った矢先、それは聞こえた。
低い低い、大砲の音。轟くそれらが石造りの壁を崩し、兵士が門を蹴り破る声。
王子は深い後悔の中でただ、個室の壁を見続けることくらいしか出来なかった。今にも正面の扉から敵兵が刃を携えて飛び入ってくるのだ。自分はここで死ぬのだろう。
そんなことを思いながら。
ふと、露となっている下半身―太ももに何かが落ちるのを感じた。
見やると、それはどこかしらから紛れ込んだ雫のようであった。雫は一つだけではなく、立て続けに一つ、また一つと滴っているようだった。
王子は気がつかないでいた。それが涙で、自らの顔が酷く醜く歪んでいることに。それが、自分が世界で最も深く愛する「兄さん」との望まぬ別れから端を発していることに。
彼はただ、願ったそうだ。
全ての苦しみから、全ての責任から、全ての
愛する人と敵対し、殺し合わなくてはいけないような、こんな世界ではない、全く別の『異世界』へ行きたい―と。
ただただそう願って、頭を抱えたんだ。
王子はしばらくそのまま、じっとしていた。頭を腕の中に埋め、身を強張らせ、湿気てしまって不快な顔面を隠していた。
そうしてどれくらい経った頃だろうか。
先ほどまで聞こえていた、兵同士が争う怒号や、大砲の音がなくなってしまっていることに気がついたんだ。ただ静寂というわけでもなかった。
どうやら人の話している声が聞こえてくる。しかも驚いたことに、笑い声までするじゃないか。彼はあまりに混乱して、そのまま唖然としていた。
そして、何としても外を見なくてはならない。そう、思ったのだ。
戦いは収まったのか?
何が起きたのか?
王都は落ちたのか?
自分は「兄さん」と再び笑い合うことができるのか?
仕切りの向こうの景色がどうしても見たくなったんだ。
それからそう時間も経たぬうちに、王子は自分の願いが叶ったことに気がついたのだった。
自分が生きてきたものとは時代も文化も常識も、何もかもが異なる世界へと移ったのさ。
それから彼は厠に行く度、別の世界へと旅をするようになる。それまで生きてきた世界を捨て去るかのように、逃がれるかのように、転々と、ただ世界を跨いで行く。
そう。これが、僕の
はっはっは、そう驚いた顔をしないでくれよ。
落ちぶれた王族の話なんてそう珍しいものじゃないだろう?
現に君だって今や王族じゃないか。まぁ君の場合僕みたいな情けない王子なんかじゃなくて、立派に国をまとめあげる指導者だけどね。
元の世界に戻りたくはないのか、だって?
そうだな。その気が全くない、といえば嘘になる。
ただ前も話したように、僕がどのような世界に行くかは完全に出鱈目なんだ。
僕は世界を選ぶことができない。しかも、一度厠の仕切りから出てしまうとそれまでいた世界に戻れる保証がないんだ。そうする勇気も湧かない。
だから僕は今のまま、厠の中から世界を眺めるだけでいいと思ってるんだ。君のような友人だって出来たわけだしね。僕はわりかしこの世界を気に入っているよ。嘘じゃない、本当さ。
ただまぁ、うん。毎回この世界に戻ってこられるかはわからないんだ。そこが厄介だったりする。
もし間違えて厠から出てしまえば?
別の世界で殺されたりでもしたら?
厠の扉を開く度にそんなことを考えるよ。でもね、仕方がないんだよ。
これが僕の運命で、逃れることのできない呪いでもあるんだ。愛する人と対峙することから、僕自身の世界と向き合うことから逃げた僕の背負う業ってやつなんだよ。
だから僕は恐れない。躊躇わない。僕は僕として生きていく他、選択肢なんてないから。
だからこそ君にこんな僕の願いを託したい。
僕の見てきた世界はどれも不幸があって、苦しみがあった。
いわゆる悪人ってやつがいて、人の不幸で飯を食ってるやつがいた。
何もかもが最悪で、死んだほうがはるかにマシに思える過酷な世界だってあった。
でもね、それでも必ず生き抜いている人々がいるんだ。
死に絶える世界の生き残りでも、その世界最後の瞳から光が消える瞬間まで何かを求める人がいるんだ。
なぜだろうね。幸せなんてものを知らなくて、ただひたすら苦しんで、それも報われずにいるのに、彼らは諦めないんだ。
ただ、各々の世界で彼らは生きている。生きているんだよ。
僕は善人でもないし、偽善ぶるつもりもない。ただこう言う他にないんだよね。いくら陳腐に聞こえようとも。
それが、希望なんだって。
彼らは自分の世界の中で生きている。どれほど過酷であろうとも生き続けている。意味がなくとも、意味があろうとも、それは関係ない。
ただ、明日がより良い日であることを願って、信じて、瞳を瞑る。
そうして続く屍の道を踏みしめて次が、また次が生きていく。
こうして国が、世界がまた出来上がっていく。
定まった形のないそれを僕は希望と呼びたい。
だからね、君のような指導者に僕は請い願う。
どうか、希望の芽を摘まないでやっておくれ。誰かの絶望の上で成り立つ幸福を作らないでおくれ。否定の中で希望を死なせるようなことをしないでおくれ。
みんな必死に、必死に生きているんだ。それを笑うような世界にしないでおくれ。
でないと、希望さえない世界になってしまうから。
―熱くなりすぎてしまったかな。すまないね。
まぁでも君なら問題ないだろう。なんてったって幾万の世界を渡り歩いてきたこの僕が認めるんだ。まぁ認められたって嬉しくないだろうけどね。
美味しいラム酒をご馳走さま。
僕はまた行かなくてはならない。
これが最後の別れになってしまうかもね。でも僕は何も怖くない。自分の運命も、僕の好きなこの世界の行く末も。
この世界には君がいる。
そして、君は知っている―
―『
異世界トイレの事情。 尾巻屋 @ruthless_novel
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