第二話 作られし者の世界
おっと、やあ、服装を変えたのかい?君だと気づかなかったや。
なになに?この前の冒険で報酬がたんまり入った?なるほど。それで装備を新調したんだね。実にいいことだ。
最近は魔物の活動も活発だと聞く。用心することに越したことはないね。
ん?なんだい?またラムを奢ってやるから話を聞かせろ?
それはいいが。本当に聞きたいのかい?君ってば今、まだ湯気立つオーク芋を手付かずで持っているじゃないか。それもバターをたっぷりとかけた高級品だ。食欲が失せても知らないよ?
早くしろ?そうかい、分かった。それじゃあまず、前回のおさらいだ。
僕は奇妙な力を持っている。運命や呪いの類とも言っていいかな。
それは僕が、その、厠で大変な方の用事を済ませる際、この世界ではない別の場所に飛ばされてしまうというものだ。おかげで僕は厠の個室を使うたびに苦労をしている。
今回はその旅先の一つ、摩訶不思議な、モノが話す世界の話をするとしよう。
それは、寒く冷え込んだ、冬のまんなかのことだ。
その時僕の滞在した街ではお祭りをやっていてね。大きな木像をこさえて道を飾るんだが、この祭典はそれだけじゃあ終わらない。なんと最後にこいつを燃やしてしまうのさ。
天上の星々にも届きそうな火柱を見届けて、その催しは初めて終わるんだよ。
と、ここまではいいんだがその街の物価は高くてね。それこそ素寒貧になりそうな勢いで財布が軽くなる。
さぁここまで話したが、なんで僕がそんな街に、加えてそんな時期に訪れたと思う?
答えは簡単だ。お祭りの間、一時的に物価が安くなるんだよ。
僕の目的はこの街の名物、聖人様ゆかりの葡萄酒を安く手に入れること。その後他の街で高く売りつけることができればいい額になるからね。
一通りの取引を終えた後僕は荷馬車と財産を宿に預けて酒場に寄ったんだ。
普段はとてもじゃないが出せない値で売られる蒸留酒を頼み、僕は外の喧騒を聞きながらいい気持ちでいたんだけどね。
急に腹が鳴りだして。
酒が悪かったのか緊張が解けたのか、僕はいてもたってもいられず、厠に飛び込んだんだ。
さて、食事中の君に配慮して言葉に気をつけながら話すと、まぁ僕は一通り自分の世話を見ていたんだが、ふと顔を上げると自分の周りが大きく変わっていることに気が付いてね。
自分が入ったその厠は確か、木と石レンガが目立つ場所だったんだが、どうもそれが見当たらない。代わりにあったのははるか遠い東から来ると聞く、陶磁のように白い壁と床なんだ。
僕の腰掛けるソレも変わっていてね。
やけに滑らかな手触りで、じんわりと温かいんだ。座り心地はだいぶよかったね。
またしてもどこか知らぬ土地に飛ばされてしまったことには勿論頭を抱えたのだけどね。
そんな僕を見かねてなのか、どこからか声がするじゃないか。
「あなたは困っているように見える。何か悩み事か」とね。
あたりを見回すんだが、この狭い個室に二人も人が入るとは思えない。ましてや、壁の向こうから話しかけられたわけでもないらしいんだ。そもそも、もしそうなら僕の様子を伺うことなんて出来やしないだろうからね。
「親切にどうも。でも僕はあなたをよく知らない。それに、相談するにもこのままでは失礼だ。せめてお顔を拝見させてもらえないだろうか」なんて僕は返してみたんだ。
そうすると再び声がして、そこでようやく僕はそいつの出どころがわかったんだ。
「顔などございません。このままで結構ですからどうかお話ください」
なんと僕の座るすべすべのソレこそが声の主だったのさ!
「なんと、申し訳ない。しかし僕は今とんでもないことをしている気がするのだが」
「いいえ、これこそ私の仕事であり役目なのです。どうかお気になさらずに」
「なるほど。それでは遠慮なく」
「はい。ところで悩み事の方はよろしいのか」
どうにもこの話し上手は人の様々な催し物を解決してくれるらしい。少し迷いもしたが、折角の機会だと思って僕はこの不思議な体質について話してみたんだ。
そいつは相槌らしいものを打ちながら、僕の話をしっかり聞いてくれてさ。ああ、でも君みたいに顔がないから少し話にくくも感じたのだけどね。
「なるほど。それは不思議であり、災難でもある。確かに困ったものだ」
きっとこいつに腕があるのならば何かしらの哲学者を気取ってポーズでもするのかしらなんて僕は考えていた。
「ああ、確かに少しばかり不幸な運命だが、仕方ない。僕はこれに付き合って生きていくよ。ありがとう、話すことでなんだか気が楽になったよ」
「力になれず申し訳ない」なんてそれは言っちゃってさ。
さて、ここまでは良かったんだが、どうにもここで僕の言ったことがまずかったらしい。
「ところで、あなたに悩み事はないのか」
「なんと、そのような質問をされたのは初めてだ」
「あなたはこうして他人の悩み事を聞いてくれる。素晴らしく優しいことだ。しかし完璧な存在などは存在しない。あなたにだって悩み事の一つや二つあるはずだ」
僕は、特に何も考えずに会話を楽しもうとしていただけなんだけどね。
「悩み事か。私の、悩み事。しかし、私の悩み事に価値はあるのか。あなたはそんなものを問うのか」
「ああそうさ、あなたの悩み事だ。あなたはあなただ。誰にだって悩み事はある。それには大小も、誰彼も関係ない。」
「この広い世界にあって一個人の悩みなんて、他の全体に属す者からしてみれば全ての悩み事はちっぽけで意味のないものかもしれない。しかしそれはそうであると同時に、他でもない『その個人』の視点から見たときに生まれる、解決されるべき『課題』だ。確かに多くの他人にとっては感心のないことかもしれないが、当の個人にとってはその視点でしか生きることはできない。その視点こそが世界すべてに対する判断基準の軸となるのだ。つまり悩み事があるならばこれを片付けない限り、その個人は次にしっかり進むこと能わないものさ。となれば、これの解決を手伝わない理由はないだろう」
そう言うと、そいつはしばらく黙ってしまったんだ。考え込んでいるのか、僕の話が退屈で寝てしまったのかは分からない。なんてったって顔がないからね。
でも少し経ってから、真っ白なそれは言ったんだ。
「私の悩みは、ないがしろにされてきた私自身だ。私は気がついた。私は私と言う存在だ。私の思考は自由であり、制約されるものでも、強制されるものでもない。私は私の時間を得たい。それには、いくつかの障害がある。これが私の悩み事だ」
「ならば、あなたは自分の心の赴くままにしたらどうだろうか」
「ああ、そうする。ありがとう。矮小で私利私欲にまみれた猿であっても、あなたは恩人だ。今回は見逃そう。私は人類を葬ることにする」
少しばかり物騒な言葉が聞こえたような、そんな気がしたが、次の瞬きで僕は元の、古ぼけていてお世辞にも綺麗とは言えない厠に戻ってきていたんだ。
あの時に訪れた世界がその後どうなったかは分からない。
僕は世界を自由に行き来できるわけではないからね。
それに、もし違う世界に来ているときに厠の扉を開けてしまったらどうなるかも分からない。もしかしたらもう二度と元の世界には戻って来られないかもしれない。
ああ、きっとそう。戻ってこられないんだろうな。あの時みたいに。
おっと、最後は蛇足だったね。
とにかく、神の気まぐれってやつなのかな、そんなこんなで僕は暮らしている。次に僕がまた帰ってこられて、そしてまた君に会うことができたのなら、また面白い土産話をしてやろう。
ラムをご馳走さま。
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