異世界トイレの事情。

尾巻屋

第一話 ゾンビ世界

 さて、どこから話すとしたことか。ああ、悪いね。僕も正直、この話をするのは初めてでね。ちなみに、ここは酒場パブで、君はそのエルフの里産のエダマメとオーク麦のビールを食してる最中なんだけど、その上でこの話を聞きたいんだよね?―うん、分かった。

 でもまぁ僕も、一杯おごってもらう代わりに面白い話をしてやるって言った手前、きちんと支払いをしないとね。じゃあ、始めるとしよう。


 世界広しといえども、僕のような経験をもつ冒険者は他にいないんじゃないかな。僕にはね、不思議な能力があるんだ。それはその、ものすごく言いにくいんだけど、厠に行くときに使えるもので、ほら、大きい方をするときに、個室に入るだろう?僕の能力は、個室に入って用を足し始めると、そのまま別の世界に飛んでしまうというものなんだ。

 おっと、やはり食事時にする話じゃあ...え、続けろ?君も変わっているなぁ。

 ああ、冗談じみているだろう?僕も最初は驚いたものさ。君にはその旅先の一つ、屍人の世界に行った時の話をするよ。


 それは、夏が終わる手前の時期―ちょうど、昼間の暑さが少し残る、夕方の時分だった。宿に部屋をとり、一通り旅装も解いたあと、催してしまってね。厠はどこかと主人に尋ねたところ、そとにある小さな箱がそうだと言われた。ちょうど、そうだな、人ひとり分がやっとの、とんがり頭の厠だ。

 金具も錆びてしまって取れかけている扉を開くと、まぁなんとも贅沢とは縁遠いものだったよ。しかも、よく見れば堆肥溜めに続いているようで大きな隙間も空いているんだ。

 さっさと済ませてしまおうと、意を決して僕は座ったね。

 食事中の君を配慮して、詳細を少し省くけど、一通り成すべきことを成した後、拭い紙を―って、こっちではない文化だな...そうだな、こっちでは海綿体で拭くだろ?その宿のある地域では贅沢にも紙で拭くんだ。

 とにかく、その拭い紙に手を伸ばそうとしたとき、あたりの雰囲気が変わっていることに気付いたんだ。ああ、またか。僕は頭を抱えたね。一度飛ぶと、しばらく経つまでもといた世界には戻れないからね。

 悩んでいても仕方ないし、さっさと拭こうかと、拭い紙に再び手を伸ばしたんだよ。そうすると、あれ、筒を成しておいてあるはずのそれがない。僕は頭を抱えたね。泣きそうになったよね。

 なにせ、紙がなかったのだもの。

 外の世界はどうも夜のようで、暗い地面が扉の隙間から見えていた。人を呼ぼうにも、こんな夜更けではきっと誰も外を歩いてはいないだろう。でも、このままではどうにも気持ちが悪い。

 僕は日ごろ怠けていた分まで祈ったね。なににって?そりゃあ、かみにさ。

 そうすると、厠の外から足音が聞こえてくるじゃないか。かみに見放された僕でも、かみは御手を差し伸べてくれたのだ―目尻に涙を溜めながら、僕は叫んだ。

「すみません。そこのお方、助けていただけませんか」

 その返事には唸り声が聞こえたんだ。こんな夜更けに頼みごとをされては、さぞかし腹も立つだろうと、僕は胸を痛めつつも、下も痒めてしまっているのでそのまま、

「紙がないんです。どうか、なにか、代わりとなるものを探していただけませんか」

と、続けたんだ。

 すると、扉が激しく揺れだしたんだ。ああ、きっともとから腹を立てているところに、さらに僕のような訳の分からぬ頼み事をされたから、堪忍袋の緒が切れたのだと、僕は思ったんだ。

 しかし、どうにも様子がおかしい。先ほどから、扉を揺らすかの人が、ずっと唸り続けているんだよ。憤りのあまり気が動転したかとも考えながら、そのまま様子を見守っていると、扉の隙間から、その姿が見えてしまったんだ。

 なるほど。気が狂っているのではなく、蘇ってしまった方のようだ。

 僕は頭を抱えたね。尋常じゃあないくらいに、頭を抱えたね。

 同時に叫んでいたね。かみに見放されてかみにまで見放されて、僕は絶望していたよ。

 すると、唸り声が複数重なっていることに気が付いたんだ。ただし、どうもこれは扉の方からじゃあない。嫌な予感がして、僕はまたの下からのぞいたんだ。先ほど気にしていた、大きな隙間を。

 増えていたね。蘇ってしまった方々が、半分腐ったような腕をぶら下げて、集まりだしていたんだ。

 ああ、きっと、僕はこのまま、食い殺されてしまうのだ。どこぞやの伝承の通りに、脳のみそを啜られてしまうのだろうか。

 そこで、僕は重大なことに気が付いてしまった。

 まだ、

 嫌だ。絶対に嫌だ。下も満足に拭わないで死ぬなんて、そんなの死んでも死にきれない。ずっと汚いままの下を晒しながら、無念の霊魂に化けた自分の姿まで想像したよ。

「か、紙を、紙を...」

 僕は叫んだね。近づく屍の群れに襲われながら。

「紙を...紙をください...紙を、か、紙...紙をください...」

 涙を頬に伝わせながら、僕は必死に願ったんだ。かみに。

 唸り声が厠を囲み、扉の金具が弾け、腰の下の隙間から、ぬめる指先が僕の下に触れたのを感じた瞬間、僕は恐怖のあまり目を瞑ったんだ。


―あとは君の想像通りさ。この通り、僕はここにいる。つまり、無事に帰ってこれたという訳なんだけど、以来、僕はこの、拭い紙を肌身離さず持ち歩いているんだ。ほらね。腰に取り付けるための金具まで買ったんだよ?

 さて、落ちのない話で悪いが生憎、今話せるものはこれくらいだ。おいしいラム酒をありがとう。じゃあ、僕はこれで。おっと、そういえば、この酒場の厠はどこだっけ?酒で腹が緩んでしまったようだ。―そっち?ああ、ありがとう。じゃあ、改めて。またどこかで会おうじゃないか。僕がこの世界に戻ってこれたらの話だけどね。

 





 

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