エピローグ

第30話:お料理教室

 休日の昼下がり、俺の家では、お料理教室が開催されていた。

 キッチンでは、講師の久遠寺さんが包丁を叩く小気味よい音が鳴っている。

「で、これに、このお塩をかければいいんだよね?」

 久遠寺さんの隣で瓶を握っている生徒、志乃が、指さしながら確認する。

「ええ、そうよ。と言いたいところだけど、押田さんが持ってるそれ、砂糖よ」

「あっ……てへっ☆」

「ミスが初歩的すぎる!」

 カウンター越しに聞こえてきた残念な会話に、試食係の俺は思わずツッコミを入れた。

「ケイよ、声を荒げるでない。女性の真心がこもった料理が楽しみではないのか?」

 俺の横でおとなしくテーブルにおさまっている第二の試食係である黒岩は、二人が作った料理を食べるのが相当楽しみらしい。鼻息を荒くして、ふんふん言っている。

 何故こんなことになったかというと、きっかけは志乃の一言だった。

 ――お料理、上手になりたいなぁ。

 隣でそのぼやきを聞いていた俺が「じゃあ、久遠寺さんに教えてもらったらどうだ?」と適当に言ってみたら、それからは早かった。

 志乃がさっそく久遠寺さんに頼み、了承を得ると、今週の日曜に俺の両親が買い物で不在であることを聞きだされ、近くで興味深そうにその話を聞いていた黒岩が「わ、我も試食係になりたい!」と唐突に叫びだして、まあ、こうなった。

 俺だけでも試食係を固辞するべきだったと、今では少し後悔している。

 何といっても志乃の料理だ。久遠寺さんという強力なサポートがついているとはいえ、食すのはひたすらに恐怖を覚える。「ハンバーグを作る!」とか言いながら焼き肉用のカルビを団子にしてこねだしたり、「隠し味に~」とか言ってスパゲッティらしきものに三ツ矢サイダーを注ぎだしたりするようなやつだからな、志乃は。今までに何度悪夢を見てきたことか。

 何も知らない黒岩が高揚するのを見るのは、なんだか胸が痛かった。

 一度は志乃の料理の腕前を事前に教えてやろうかとも思ったが、「手料理ぃ~、久遠寺さんの手が加わった手料理~」と小躍りを始めたオタクを前に、そういった優しさは消えた。

「黒岩、どんまい」

「……はて、どういう意味だ?」

「同情を先取りしておいたんだよ」

「ほう……」

 いまいち納得していない様子の黒岩はいったん放っておいて、俺はキッチンを所せましと動き回る二人の様子に視線を移した。

 異空間に行った日からすでに一週間ほどが経過した今、志乃と久遠寺さんはすっかり仲直りしていた。

 俺の与り知らぬところで、志乃は例の件を謝ったらしい。この料理教室を何度か繰り返したら、いつか久遠寺さんに調理対決を挑むと、これまた妙な意気込みまで見せていた。

 久遠寺さんは、異空間から戻って以来、少しずつではあるが周りの人ともコミュニケーションを取るようになっていた。良い傾向だ。今回の料理教室の開催を承諾したのも、そのことを裏付けている。

 俺の監視も一応続けられているわけだが、ほとんど形骸化していて、当初の「久遠寺凪子の秘密をばらさないため」という名目は失われつつあった。そもそも、俺は元より暴露してやろうという気はなかったのだから、そうなって当然だ。

 でも、それでも監視は続けられている。お互いにとって心地よい距離感が、そこに形成されるからだろう。俺は勝手にそう思っている。

 隣で椅子に座りなおした黒岩が、ふと思い出したように話題を振ってきた。

「む、そういえば。ケイよ、相架山が切り崩されることになったのは知っているか?」

「ああ、知ってるよ」

「なんだ、既知であったか」

 遅くとも今年中には工事が始まる予定らしい。今頃、そうして生まれた土地をどう利用するか、お偉い方たちが議論をしているんじゃないだろうか。詳しくはわからないが。

 あの渋い警察官の最期の願いは無事に叶った。それが、町役場に届けたあのメモ帳が引き起こしたことかは定かではないが、それでも、願いは届いた。

 約束を守れて、よかった。

「町の民は大多数が喜んでいるとのことだったが、我らがSO研からすればはた迷惑な話だ。せっかくの研究対象が、忽然と消えてしまったのだからな」

「お気の毒に」

「むむ、心がこもっておらんぞ」

「こめてないからな」

「知ってた」

 くだらない応酬をしているうちに、キッチンから二人分の料理が運ばれてきた。

 ハンバーグだ。ただし、俺のそれは決定的に何かを間違えたハンバーグだった。

「なあ、これ……」

「黒岩君のハンバーグは、お手本としてほとんど私一人で作ったものよ。八坂君のは、およそ半分の過程を押田さんにやってもらったわ」

 エプロン姿の久遠寺さんが淡々と告げる。

 同じくエプロン姿の志乃を、思い切り睨んだ。

「気合込めたよ!」

「気合意外にも変なもの込めただろ!」

 その後、俺が涙を飲むことになったのは、もはや言うまでもないだろう。



 人生を豊かにするために。

 とりあえず、久遠寺さんの悩みを解消することには成功した。

 さて、次はどうしようか。

 ちょっと料理を勉強してみて、俺から志乃に教えてやろうかな。

 体がなまってきてるから、ジムに通うのも悪くない。

 黒岩に対抗して小説を書いてみる、なんてのも十分ありだ。

 ――ああ、そうだ。

 久しぶりに、絵でも描いてみよう。

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才女と刀 白羽スギ @shirowasugi

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